甘い記憶





「うーん違うなあ…」
 呟きながら、源二はひょいぱくと甘納豆を口に放り込んでいた。
 続いて、羊羹、きんつば、大福にみたらし団子と、目の前に並べた菓子を次々と平らげていく。
「うん、うめえ!…でも違うなあ。これもうめえけど違う…」
 食べては首を傾げ、腕を組み、また食べる。



 休日の昼下がり、奏寮のサロンのテーブルに、そんな兄の姿を見つけた源三郎が声をかけた。
「兄さん何ブツブツ言ってんの?」
「ああ、オマエか…いや、なんかどうしても気になる味があるんだけどさ、なんの味だかはっきりわかんねえんだよなあ」
 源二がぽりぽりと頬を掻き、何かを思い出そうとするように目玉をきょろりと上向かせる。
「もっとこう…甘くないけど甘いような…やわらかいような…」
「はん、バッカみたい。兄さんは食い意地はってる上に記憶力も悪いわけ?」
 いつものケンカに発展するつもり満々で挑発した源三郎だったが、
「うるせーな!邪魔すんならあっちいけよ」
 そのまま、源二は弟の相手をするつもりは全くないようで、菓子の味見に没頭している。
 あっさりあしらわれ、源三郎は内心で気を削がれた。
「…はいはーい。勝手にすれば?」
 素知らぬ顔を保ってサロンを出ようとした時。
 新入りの楽団員が二人、戸口の影でひそりと嗤う声を、源三郎の敏感な耳が捕らえた。

「あいつ、無駄に大食いだよな」
「食うだけ食ってさっぱり背は伸びないもんな…」


 源三郎の指は素早く腰の小袋に伸び、二つの金平糖を取り出すと、楽団員たちの額に向かって鋭く弾いた。
「あたっ!」
「何すんだよ!」
 命中を食らった二人が怒りの声をあげたが、源三郎は腰に手を当て、剣呑ににらみ返した。
「兄さんの悪口を言うなら僕が相手になるけど?」
 低く声を落として凄む。

 年少とはいえ、源三郎は奏組隊員として一目置かれる存在である。後輩でもある新入りたちは、ばつが悪そうにそそくさと逃げ去った。

「…不思議ですね」
 声に振り向くと、ティーセットのトレーを持ったルイスが、廊下に立っていた。
「あなただって、身長のことで源二くんをからかうこともあるのに…」
 柔和な笑顔の中に、微かにたしなめるような空気を感じ取り、源三郎はぱっと言葉を返した。
「僕はいいんだよ!僕以外のやつらが兄さんをバカにするのが許せないの!」




 自分はいいのだ。なぜなら、自分の身長が兄より高いのは、他ならぬ兄のおかげだからだ。
 だから、誇っていい。
 背の高さを、威張っていい。

(源三郎、握り飯をこっそり一つだけ余分に作っておいたんだ。食えよ)
(兄ちゃんの分は…?)
(オレはもう食ったからいいんだよ。ほら、早く食え。腹、減ってんだろ?)

 子供にとって大切な成長期に、源二は与えうる限りの食べ物を弟に与え、自分はぎりぎりまで我慢した。発育に必要な栄養分の不足した源二の身長は伸び悩み、代わりに源三郎が兄の背を追い越した。
 やがて、ようやく自分たちの持つ能力を評価してくれるものが現れ、自らの働きによって、食べ物に困らなくなった時。
 源二はそれまでの飢餓感を埋めようとするかのように、際限のない旺盛な食欲を見せた。

(…うまいか?源三郎。…よかったな…また食わせてやるからな)

 空きっ腹を抱え、ただ唾液を飲み、それでも頼もしい笑顔で見守る兄でありつづけた彼にとって、目の前に饗された食べ物は幸福な夢の塊なのだ。

 だから、兄の身長や食欲を他人が嗤うのは許さない。それを揶揄できるのは、すべてをわかっている自分だけだ。

(フンッ、兄さんはふたことめには食いモン、食いモンってガキなんだから)
(おまけに跳び上がらないと僕の頭に手が届かない……チビ)

 いつも兄に向かって浴びせかける痛烈な言葉の正体は。
 兄に負担をかけた己を責める気持ちの裏返しなのかもしれなかった。

 自分でよかったのに。チビなのも、食い意地が張っているのも、兄ではなく自分でよかったのに。

「…僕だけなんだから。兄さんをからかっていいのは」



 むすっと唇を結んでしまった源三郎に、ルイスは労るような笑みを浮かべた。
「…源三郎くんの分も、お茶を煎れ足してきましょう……ちょっと待っていてくださいね」
「…僕は別に…」
 言いかける源三郎の前に、ルイスと入れ替わるようにぱたぱたと駆けて来た小柄な影があった。

「あっ、源三郎くん…」


 音子は、また意地悪なことを言われるのではと警戒するような、少し固い笑顔を向けた。だが、すぐに脇をすり抜けるようにして、大事そうに抱えた紙包みごとサロンの中へと入っていった。

「源二くん!お菓子、買って来たよ!」
「おっ、音子、ありがとな!」
「源二くんの探してる味が見つかるといいんだけど…」
 おおかた、お節介な彼女が、悩む源二の姿を見て手伝いを申し出たのだろう。源二の前にいそいそと菓子の包みを開く光景に、源三郎は口中で小さく舌打ちをした。

 彼女を見ていると感じる、苛立たしさともどかしさ。
 いつもへらへらして目障りな甘やかされ女をやり込めてやれば小気味よい。なのに、彼女がしょげる姿を見れば、妙にやましいような罪悪感にかられることもある。
 さらには、こうして兄との間に割り込まれれば、何か焦りのような妬ましさまで感じるのだから、始末に悪いことこの上ない。
 そんな源三郎の胸中などつゆ知らず、音子は朗らかな調子で源二に菓子を差し出していた。
「ほら、これは?マシマロ、って言うんですって。ふわふわして、口のなかで溶けるのよ」
「へえっ、ハイカラな菓子だな!……うん、近い。かなり近いぞ…!」
 粉を吹いた白い塊をもふもふと口に含みながら、源二の声に力が籠もった。
「もうちょっとで思い出せそうな気がする…!」
「ほんと?源二くん、頑張って!」
 瞳をきらきらさせた音子の顔を間近に見て、源二ははっと眼を見開いた。


「思い出した!」


 叫ぶなり、源二は音子の頬を両手で挟み、ぱくりと噛みつくように唇にキスをした。
「これだ!オレが探してたのは!」
「わーーーーっ!!!」

 叫んで、源三郎が二人の間にダイブするように割り込んだ。
「兄さん!何やってんの!?」
 ぜえぜえと肩で息をして叫んだが、源二はぽかんとしている。
 音子はと言えば、真っ赤になって脳天に盛大な湯気を噴き、ばたばたと駆け去ってしまった。


 先日、音子の父が上京した折に、成り行きで源二が婚約者の振りをした際のことである。アクシデントで源二が音子に倒れかかり、唇がふれあってしまうという事件があった。
 幸か不幸か、音子の方は鼻が当たっただけだと思っているようだったが、源二はその感触を忘れていなかった…忘れられなかったのだ。

 なのに、当の源二はさっぱり悪びれない様子でけろりと答えた。
「何って…だから気になってた味を思い出したんだよ。あーすっきりした!」


 女を泣かすなとか、人にはやさしくとか、兄の頭の中身は単純素朴で愚直なほどの誠実さばかり。場の空気を読むような如才なさはさっぱり持ち合わせない。
 ただ我武者羅に弟を守り育てることだけを考えてきた源二には、他人の顔色をうかがったり、斜めにものを見たりする余裕などなかったから。
 ましてや、男女のつきあい方などに心が及ぶはずもなく。こんな、接吻の意味も知らない常識外れの朴念仁になってしまった。

「すっきりしたら腹が減ったぜ!源三郎、オマエも食えよ!このマシマロって菓子はうめえぞ!」
 呆れ果てつつも、兄の頬がほのかに上気しているような気がして、源三郎は用心深く観察した。

 異性という慣れない異物に、源二は無自覚のうちに心を動かされているのだろう。
 確信して、源三郎は袴の襞の影できゅっと拳を握った。
(…あんな田舎・イモ・どんくさ女に、兄さんを惑わされてたまるもんか)


 その廉直なやさしさで、兄が騙されたり傷ついたりしないように。
 今度は、自分が兄を守らなければ。
 かつて、兄が守ってくれたように。




 それにしても、兄さんときたら。
 女の子の唇が、菓子と同列とは。

 やれやれ、と途方に暮れながらも、どこか安堵したような複雑な心持ちで、源三郎は髪をくしゃくしゃと掻いた。






《了》




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