コンチェルトが聞こえるか (5)








 ついに、巨大降魔は動きを止め、どうと音をたてて倒れた。

「ふう…」
 新次郎が刀を納め、額を拭った。昴は軽く首を振って髪を均すが、息を乱してもいない。

「な、なあ、紐育華撃団って、アメリカにある華撃団の部隊のことだよな?」
「アンタたち、敵のスパイじゃなかったの?」
 源三郎の声に、昴が不快そうに小鼻に皺を寄せる。
「誰だ…そんなことを言ったのは…」
 皆がいっせいに自分を見たので、音子は慌てた。
「でっ、でもでも!確かに昴さんが言ったんです。奏組の、お終いだ、って…!」

 昴はくしゃと前髪を掻き上げ、大きく溜息をついた。

「昴は指摘する…君の聞き違いを…。正しくは…奏組の視察はお終いだ、…だと」


「視察…?」
 ぽかんとする音子に、新次郎が微笑みかけた。
「実はぼくたち、奏組の視察に来たんです。紐育華撃団でも、奏組に相当する部隊を作る計画があって…」
「ちょっと何それ…後輩どころか全然先輩じゃん!やめてよね」
 源三郎が冷や汗気味にこぼす。

「あの時、周囲にひと気はなかったはず…どうやって……そうか、音を見たんだな」
「そっ、そうです!」
「成る程…そういう使い方もあるわけか。自分にない能力というのはなかなか想像がつかないものだな…不覚」
 昴がかすかに唇の端を持ち上げて苦笑する。
「丁度風の音か何かで、視察、の部分が見えなくなったんだろう」
「あ…」
 音子が思い当たったその時。

「ギシャアアア…!」
 硝子を幾重にも引っ掻くような、おぞましい鳴き声が響いた。



 倒したはずの降魔が体を起こし、立ち上がった。その体表は斑色に変色し、長い尾から鋭い棘を生やしていく。ぼこぼこと隆起した背中からは、砲筒のような突起がいくつも突き出した。
「コイツ、まだ生きてやがる!」
 皆、騒然となった。
「…往生際の悪いやつだ」
 昴が再び鉄扇を開いた。
「今度こそ、とどめを!」
 新次郎も二刀を抜いて立ち向かう。

 だが、復活した巨大降魔は、先ほどよりも威力を増していた。鞭のように素早く尾を振り回し、背中の砲筒から、瘴気弾を雨あられと放射する。
「ちっ…!」
 昴が舌打ちするのを、音子は信じられない思いで聞いた。降魔の猛攻で、二人は近づくこともままならないようだった。
 この二人が敵わないなら、最早この巨大降魔を倒す術はないということに…。




「音子隊長!」
 名を呼ばれて、はっとする。気づけば、目の前に昴がいた。
「君に頼みがある」

 耳打ちされた言葉の内容に、音子は当惑した。
「そ、そんなこと、私、…無理です!」
「君なら出来るはずだ」
 昴の瞳には、強い確信と信頼がある。
「頼んだよ」
 言い置いて、昴はすぐさま苛酷な戦闘に戻っていく。

 音子は戸惑ったまま、二人の戦いを目で追った。彼らとて、無敵なわけではないだろう。しかも、普段は量子甲冑を纏うところを、生身をさらして挑んでいるのだ。
 子供のような体で、昴は鬼神のように戦っている。二刀を振るって降魔の爪を防ぐ新次郎の袴の裾が、瘴気の雨を浴びて、ずたずたになっているのが見えた。




(…やるしか、ない)
 決意とともに、音子は指を振り上げた。




「みなさん!私の指揮に合わせてください…!」
「シー、マエストロ!」
 五人が即座に答えて楽器を持つ。



 音子の指先を指針に、奏組の奏でる音が織りなすのは、霊音の迷彩。
 それを、得意の裁縫のイメージで縫い上げる。
 二枚の打掛のように仕上がったそれを、音子は新次郎と昴に向かってふわりと投げかけた。

 迷彩が、二人の姿を、一瞬降魔の目から見えなくした。
 それが、二人を降魔に接近させ、技に集中する間を作る。



「狼虎滅却、天、地、人!」
「沙羅双樹の花の色…雪、月、花!」

 新次郎と昴の体が、発散される霊力で眩いばかりに輝いて見えた。


「暴虎氷牙!」
「いざ、狂い咲き!」




 疾風怒濤の氷雪の嵐と、金襴の竜巻が吹き荒れ、巨大降魔を直撃した。
 降魔は遠吠えのような絶命の声をあげ、ぶるぶると体をふるわせると、光の粉となって弾け飛び、浄化された。







 音子はまだ夢でも見ているような気がして、放心状態で立ち尽くしていた。
 その手を、新次郎が取って強く握りしめた。
「ありがとうございました!音子さんの…奏組のみなさんの力のお陰です!」
「え…?」
 きらきらしている新次郎の瞳をぼんやりしたままと見ていると、
「…こら、新次郎」
「ちょっと!いつまで握ってんの!」
 昴と源三郎に引き剥がされ、二人は我に返って赤面した。
「ほあああ!」
「わひゃあ、すいません」



「…えーとえーと、ちょっと待ってくださいね」
 まだ納得できない部分のある音子は、額に指を当ててうーんと考え込んだ。
「…昴さんが、奏組は降魔の強敵だとか言ってたのは?」
「客観的な事実を言ったまでだが?」
 昴が平然と即答する。
「でも昨日の晩、女の人が襲われた場所に新次郎さんがいたのは…?」
「やっぱり見られちゃったんですね…みなさんの活動の様子を見ようと思って先回りしたら、現場に出くわしちゃって。敵には傷を負わせたんですけど、残念ながらとどめをさせなかったんです」
「じゃあ、騙すとか弱点を探るとか言ってたのは…?」
「それは…大袈裟に紐育から視察に来たって言うと、みなさん緊張するだろうし、ありのままの姿が見えなくなるかもしれないと思って…。だから素性を隠して潜入という形で、直接みなさんの本音や実体験にふれて、問題点があるならそれを見極める、というのが、ぼくたちの任務だったんです」
 新次郎が心苦しそうに弁明した。
「だったら、楽団長が気を抜くなって言ったのは…」




「そりゃあ、君たちが素の姿を見せすぎて、奏組の評価が下がったら困るからでしょ」
 どこからともなくいきなり現れたのは光星だ。
「宍戸さん…!」
「ちなみに、昴くんは欧州星組に所属していたこともあるし、新次郎くんは現花組隊長の甥御でもある。間違っても敵のスパイなんかじゃないよ」
 すらすらと述べる月組副隊長に、音子は拳を握ってぽかぽかと叩きかけた。
「もうっ!どうして早く教えてくれなかったんですかー!」
「だって俺の口から正体をばらすわけにはいかないでしょうが」
 何食わぬ顔で言って、光星が肩をすくめた。
「まあ、こちらとしては丁度花組が留守中だし、今みたいに、奏組だけで対応しきれない事件が起きた時のためにもね。二人が来てくれて願ったり叶ったり、ってところかな」



「…どうして研修生と名乗った?」
 最初から疑念を持たせた言葉についてヒューゴが尋ねると、昴が少し困ったように答えた。
「…ずっとその場所に居続ける気構えがないというのは、態度に表れやすい…彼があまり腹芸が得意ではないものでね」
「わひゃあ、そのとおりです」
「だから研修生ということにして、あくまで通りすがりの立ち位置であることをはっきりしておこうと思ったんだが…、却って怪しかったようだな」
 源三郎が密かにこくこくと頷く。
「ぼくがもうちょっとサックスをしっかり練習してきたら、疑われずに済んだのかなあ」
 言って、新次郎が頭をかいた。
「士官学校時代に、ジャズにはまった先輩がいまして…半ば強引にサックスを教え込まれたんですが、それ以来ほとんどさわってなかったもので…急いで練習したんですけど」
「いやあ、楽器はともかくさ、真剣勝負、見応えあったぜ!」
 源二のフォローに、新次郎は笑顔になった。
「ありがとうございます!でも、ヒューゴさんも本当に強かったですよ!ぼく、紐育の中華街で見た二刀の剣舞を思い出しました。ヒューゴさんのって、イタリアのバゼラードって剣ですか?…」
「…ちょっといいかね?」
 遮ったのはジオだ。
 眼鏡のブリッジを人差し指で押さえると、真剣な眼差しで問うた。
「君たちが我々を視察していたというなら、どこが問題点だと思ったのか、是非聞かせてくれたまえ」
「…それは、私も興味ありますね」
「オレもオレも!」

 身を乗り出す奏組隊員に囲まれ、小さな昴は暫し考えた後、静かに口を開いた。

「…昴があえて言うなら、…君たちはもっと誇りを持っていいということかな」


 昴の言葉に、ヒューゴは打たれたように体を強ばらせた。

「……誇りなら、俺たちにもある。だが、もっと力があれば、という思いが、常についてまわる。俺たちの力が及ばない時は、うら若い女性たちを死地に赴かせ、戦闘に駆り立てることになる。…それは、拭いきれない負い目だ」


「…わかります」
 苦しげに拳を固めるヒューゴに、新次郎がそっと言った。
「ぼくも、他の隊員はみんな女性で、年端のいかない子もいますから…。実は、お恥ずかしい話ですが、先日、隊員の一人が過労で体調を崩すことがあって……紐育華撃団の隊員は、それぞれ職業を持っている人もいるんです。しかも、弁護士や医師など、多忙な仕事です」
「舞台公演と戦闘と、その上お仕事まで掛け持ちですか…」
 音子は想像しただけで目の回る思いがした。
「その上、小規模な魔障事件に逐一出動することが重なって…もとから体の弱い人だったんですけど…。だから、彼女たちが出動する前に、未然に魔障事件に対応してくれる人がいたら、それはどれだけ助けになるか、って思ったんです」
 真摯な声で、新次郎は続けた。
「ぼくたちだけじゃなくて、一緒に戦ってくれる人が、…ぼくたちを助けてくれる人が必要だ。だから、星組にも、奏組を作りたい」
「必要…?私たちは、必要なんですか…?」
 呟くような音子の声に、新次郎は力強く頷いた。
「はい!そう思ったから、ぼくはみなさんに会いに来たんです」


「それに、君たちの戦闘能力はまだまだ開発の余地がある」
 昴が、聡明な口調で言い添えた。
「霊力の発現の仕方は、その形も効果も様々だ。イメージを明確に描くことによって、攻撃、防御、回復などのバリエーションも可能なはずだ。例えば、もっと隊員同士の連携を深めて、強い協力攻撃を編み出すことも……まあ、すべては、音子隊長次第、といったところかな」
「…は、はあああああ?私…っ?」
 責任の重大さに、音子はただあたふたするばかりだった。


「はいはーい、みんな立ち話はそのへんにしたら?夜も遅いし、怪我してる人は早く手当てして休まないと。後片付けはやっとくからさ」
 光星が手を叩いて言ったので、皆ようやくここが深夜の公園であることを思い出したようだった。
「そうでした。長話しちゃってすみません」
「続きは明日にするとしよう」
 新次郎と昴が自然に微笑む。その笑顔を、音子はようやく素直に見ることが出来た。


 疑念が解消されて、胸の暗雲はすっきりと晴れていた。
 体は疲労困憊していたし、まだ興奮冷めやらぬ感もあったが、快い熱が体を満たしているのを感じた。

(奏組の、誇りと、可能性…)

 今夜はゆっくり気持ちよく眠れそうだ、と月を見上げて音子は思った。









 もとより花組も、非常時に長く帝都を留守にするつもりもない。駆け足で公演日程を終わらせ、帝都に戻ってくるというその日の朝、新次郎と昴はかなで寮を後にした。


「本当に、お世話になりました。素性を隠していたことについては、重ねて謝罪します」
 かなで寮の門まで見送りに来た奏組隊員たちに、新次郎は姿勢を正して別れの挨拶をした。
「それはもういいですよ」
「うむ。こちらも先輩とは知らず失礼をした」
「スパイだなんて疑っちゃって、本当にすみませんでしたっ!」
「いや…いろいろ、仕方がない状況だったからね」
 平身低頭する音子に、昴が寛容に応じる。
「もっとゆっくりしていけよー!」
「すみません…ぼくも本当は叔父に会いたかったんですけど、紐育での公演の予定もあるので…」
「……これ!金平糖。お土産だから!」
 源三郎がぶっきらぼうに突き出した紙包みを、新次郎は笑顔で受け取った。
「わひゃあ、うれしいなあ!」

「…帰路の無事を祈る」
 ヒューゴの差し出した手を、新次郎が固く握り返した。
「ありがとうございます!」
 互いに握手を交わすと、新次郎は熱の籠もった声で伝えた。
「みなさんも、命がけで戦っている。その志も実情も、ぼくはここで直にふれることができました。この体験は、必ず紐育に帰って役立てたいと思います」
 傍らで、昴も頷いた。
「正式に計画が発動したら、いろいろ協力を仰ぐことになるだろう…もしかしたら、紐育に指導に来てもらう可能性もある」
「にゅ、にゅうようく…」
 帝都が既に遙か遠い国だった音子にとっては、最早別次元の世界の話に思われた。
「ほわああ…行ってみたいなあ…!」

「その時は改めて、隊長としてみなさんをお招きしますね!」
 笑顔で言った新次郎の言葉に、奏組隊員たちは一様に黙り込んだ。


「……ちょっと待って…どっちが隊長だって?」
「ぼくですけど」


「………」
 微妙な沈黙に、新次郎は明らかに傷ついた様子を見せた。
「うう…やっぱりそう見えないんですか…」
「あー、わりい!てっきり昴の方が隊長だと思ったぜ!」
「源二くんたら、はっきり言っちゃダメだってば……あわわ!」
「トホホ…」
「…ま、まあウチの隊長だって、そう見えないって点では負けてないよね!」
「ええっ?源三郎くん、ひどい!」
「そ、そうだよ!どさくさに紛れて何言ってんだ!音子に謝れ!」



 賑やかしくなったところへ、タイミングよく蒸気タクシーが到着した。
「じゃあ、みなさん、きっとまた会いましょうね!」
「元気でなー!」
「さようならー!」
 手を振る新次郎たちを、蒸気タクシーが見えなくなるまで、音子たちは見送った。




「あーあ…行っちまったなー」
「もっといろいろ話したかったものだな」
「…おや、音子さん、お二人が帰ってしまったのに、なんだか楽しそうですね」
 ルイスの声に、音子は満面笑顔で振り向いた。
「え?そうですか?」
「ミヤビってば、さては紐育に行く気満々なんでしょ」
「えへへ…それもあるけど、なんだかすごーくうれしくって」
 うーんと腕を伸ばして体を反らし、音子は流れる雲を眼で追った。
「巴里にも花組さんがいるそうだし…、私たちと、一緒に戦ってる人たちが、いるんだなって…」
 遠い空の彼方の地で戦う、まだ見ぬ仲間たちに思いを馳せる。
「ああ…そうだな」
 ヒューゴも並んで立つと、音子とともに空を見上げた。



 奏組も、花組も、星組も、所属や場所は違っても、一つの思いでつながっている。

 大切な人の住まう街を守ること。
 その笑顔を守ること。

 同じ気持ちで力を合わせて、奏でるのは美しいコンチェルト。




 その音色が、音子には聞こえるような気がした。






《了》




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