愛の標本






 昴が誘うように後ずさると、新次郎は見えない紐で結ばれているかのように寝室に引きこまれた。
 弄ばれた跡の生々しい、細い裸体を、昴は晒していた。それは同じ嗜虐を煽りかねない危うさを醸し、そしてそれこそが昴の狙いでもあった。  

 歩み寄った新次郎は、しかし、足元に落ちたシーツを拾って、そっと昴の肩にかけた。
「昴さん…大丈夫ですか…?」
 胸が熱くなり、涙が出そうになって、堪えた。どこまでもやさしい新次郎。なのに、自分は今から彼を罠にかけるのだ。

「僕は、大丈夫だから…落ち着いて、新次郎。深呼吸してごらん」
 甘いこの香りは、催淫作用のある薬品。素直な新次郎は言われるままに深々と吸い込んだ。
 見る間に瞼が重たげに下がり、息が乱れる。
 新次郎の視線が、シーツの隙間にのぞく自分の胸や下腹部を後ろめたげにさまようのを、昴は気づいていた。むくむくと新次郎のズボンの前が膨らむのを眼にして、ぞくりとした感覚が背中を走った。それは紛れもない喜びだった。新次郎が自分を欲しがっている。こんな小さくて頼りない体を。

「おいで…」
 新次郎の手を取り、まるで手術室のように様変わりした寝室の奥の、昴の体には大きすぎるキングサイズの寝台へと導いた。
 新次郎は荒い呼吸を必死に抑えているようだった。その瞳にはまだ戸惑いが見られる。昴はサイドテーブルの香炉に手をのばし、消えかけた火を再び灯した。甘い香りがじわじわと濃さを増す。
「昴は問う…人が成長するのに必要な物質は、何か、と…」
 寝台にのぼり、しなやかに体を折り曲げ、昴はやさしげに語りかけた。
「え…ええと………あれ…なんでしたっけ…カタカナの…」
 新次郎の瞳がおぼつかなげに揺らいだ。いいぞ、と昴は思う。香りを吸うほどに思考や判断力が鈍り、肉体の要求が強くなる。現に、新次郎は昴の顔ではなく胸のあたりを、羨ましいような表情で眺めていた。
「成長ホルモンだよ」
「ああ。そう、その、ホルモンですね…」
 のろのろと答える新次郎は、既に薬品の効果に支配されつつある。こんなことをしようとしている自分も、同じく薬に酔っているのかもしれないと、昴は思った。もっとも既に慣れたこともあり、新次郎ほどに影響はされない。
「つまりね、刺激が必要なんだ。わかるかい…?」
「刺激、って…?」
「僕の体を刺激して、止まってしまった成長ホルモンの分泌を促すんだ。ダイアナが研究してくれているのは、そういうことなんだよ」
 ベッドサイドの禍々しい機械を探って電源を入れ、目盛りを最少に合わせながら、昴はゆっくりと説明した。次に、ベッドの下をくぐらせて繋いだなめし革の手枷を拾い上げ、器用に片手だけで自分の左手にはめる。
「右手を、留めてくれないか?」
 枷のもう片方を差し出すと、新次郎は明らかに不審そうな顔をした。
「僕自身を守るためなんだ…ほら、機械や薬品がたくさんあるから、暴れてぶつかったら危ないだろう…?」
 手首の擦過傷に気づかれた以上、どうしても納得させる必要があった。正当化するためにダイアナが唱える理由にも、しかし新次郎はまだ躊躇していた。
「昴が、君に、頼んでいるんだ。昴の安全のために」
 真っ直ぐに見つめて言うと、新次郎は折れた。困惑気味に小首を傾げながら、それでも丁寧な手つきで、そっと昴の手を戒める。
 標本箱の中の蝶さながらに、昴は寝台に両手を広げて留められた。枷は足元にも落ちていたが、それは無視した。新次郎が行為を行いやすいように。自分の頬も朱に染まっているのだろう。思いながら、視線で、機械から伸びたテスターを差し示した。
「それで、僕に触れてくれ…敏感な部分に」
「え…」
「君が、僕の体の…敏感だと思う部分に、だよ」
「昴さんの…」
「そう、昴の、………感じるところに…」
 甘く吐息に乗せて囁くと、新次郎はふらふらとテスターの持ち手を握り、その先端を、先ほどから視線を捕らえて離さない昴の胸の先へと近づけた。

「あ…っ…!」
 ぴりり、と微量の電流が流れ、昴の喉が反った。新次郎は驚いたように身をすくませ、電極の先を離した。
「いいから…続けて」
 悦楽にとろけた声で誘うと、新次郎はほの昏い興味に負けて、再び桃色のつぼみのような乳首に金属棒を触れさせた。
「あ…んっ…ふ…あっ…」
 チリチリとした痺れは、噛みしめた粒胡椒のように神経を刺激した。胸の先を苛む苦痛すれすれの快楽に、昴は声を堰き止めることをしなかった。理性を失うまでにはいかないが、昴にも香の作用が働いていた。淫らな歌を歌うように、昴は途切れることなく喉をふるわせ続けた。
 新次郎の息は、病に喘ぐように激しくなっていた。半ば開いた口の奥から、荒々しい、飢えたようなうめき声が漏れた。
 ふいにテスターを放り出して、新次郎が昴の胸に吸い付いた。唇で挟み、激しく舌先をこすりつけ、舐め上げる。
「…は…っう……あ…っ」
 背骨の崩れるような快感に、昴は高い声をあげた。もう片方に吸い付くためにようやく解放された時、起きあがった乳首が紅く色づいててらてらと光っているのが見えた。
 新次郎の衝動は止めどなかった。獣のように唸りながら、昴の腹を這い降り、担ぐように腰を支えると、脚の間に深々と顔を埋め込んだ。
「ああ…っ…!」
 悲鳴が漏れた。そこが既に滴るほどに濡れているのを、昴は自覚していた。やわらかな肉の繊細な部位を、新次郎は噛み、啜り、舌をこじ入れ、口全体を駆使して貪った。昴の背中は反り返り、金縛りにあったように細かくふるえた。下腹部から喰らわれるような、衝撃的な快楽だった。
 ようやく口を離されて、息切れしながら首をもたげると、自分を見つめる新次郎の視線とかち合った。浅い息に肩を上下させた、追いつめられた動物のような、ひたむきで、獰猛な、懇願の眼差し。
 昴は小さくこくりとうなずいた。

 遮二無二、新次郎は昴に飛びかかった。慌ただしくズボンを降ろし、脚の間に割り込んだ。
 それは、新次郎の体中の熱を集めたかのように熱く、今までダイアナに施された何よりも太く、硬かった。襲いかかる圧迫感に、体は反射的に逃げ場を探してもがいたが、手枷がそれを許さなかった。
「ぐ…っ…」
 昴は歯を食いしばった。薬の作用に捕らわれた新次郎は全く余裕がなく、憑かれたように強引に腰を動かした。苦痛に慣らされた体はすぐにそれを乗り越え、強い歓喜と悦楽が取って代わった。
 新次郎が、自分の中にいる。新次郎に求められ、愛されている。どんなにか夢見て、最早叶わぬと諦めた願いが、歪んだ鋳型の中でかろうじて実現していた。この状況がどれほど患っているとしても、突き上げられるたびに瞬く快感は、かつて知らないほどに強烈で、純度の高いものだった。
「あ…ああっ、はあっ、あ…」
 自分のあげる声が、残響となっていつまでも耳にこびりつく。陶然とした新次郎の表情を見ていると、せつなさが込み上げて、息が苦しかった。
 天井の照明を、巨大な雲となって新次郎の頭が遮り、雨が降り始めた空を仰ぐように、ぽつぽつと汗の飛沫が散った。重機のように組み敷く体の下で、昴は揺さぶられ、彫り込まれ、実ることのない種を蒔かれた。

「はあ…はあ…っ」
 二人の深い息が共鳴する。新次郎は昴の中に入ったまま、まだ痙攣しながら放っていた。愛しくて、もっと欲しくて、幾度も締めつけた。薬効のせいで、いつ登りつめたのかもわからず、意識も体もホワイトアウトしたまま水のように茫漠と流れて広がっていた。緩慢に引いていく潮の中、脱力し、覆い被さって喘ぐ新次郎を、どんなにか抱きしめたかった。しかし両手が戒められていては、叶わなかった。
「新次郎…」
 代わりに、昴は請い願った。
「キスして…新次郎…」
 うっとりと、唇を受けた。薄くやわらかな粘膜から、新次郎の熱が昴の唇に移し込まれる。
「約束の、キスだよ…」
 汗に光る細かい産毛や、長い睫毛の下の濡れた瞳を、幸福な思いで見上げた。着衣のままの上体の、ベストから下がった鎖が、脇腹のあたりを擦ってくすぐったかった。ああ、次はきっと、新次郎の裸の胸を感じたい。つややかに盛り上がった胸板に、みっしりと押しつぶされたい…。
「…僕が頼めば、また、こうして、手伝ってくれるかい…?大切なことなんだ…僕に必要なことなんだよ…」
 新次郎は、虚ろな眼差しのまま、かくかくとうなずいた。
「だから、わかるだろう?ダイアナは僕にとって大事な人なんだ。彼女を傷つけないでくれ。誤解しないでくれ…」
 なぜダイアナの名が出るのだろうと、最早思い出せないような様子で、新次郎はぼんやりしていた。
「…いいね?」
「あ…はい…」
 こっくりとうなずくと、新次郎はとろんとした目で昴を見つめ、思い直したように抱きしめてきた。
「昴さん…好きです…大好きです…昴さん…」
 うわごとのように繰り返す言葉に、喜びのあまり涙ぐみそうになりながら、しかし昴は返さなかった。僕も、新次郎が好きだよ、と。
 そんな資格はない。ここに愛があってはならないのだ。愛の形はダイアナのために。新次郎には、その欲望を受け止めるだけでいい。
 そうして、新次郎が傷む肌を捏ね、繰り返し貪り、力尽きるまで小さな体を貫くのに、昴は両手を磔られたままじっと翻弄されていた。




 半ば放心状態の新次郎を帰し、昴は息も絶え絶えにぐったりと横たわっていた。右手の枷は外してもらったが、左手を外す気力もなかった。疲れ果て消耗しきっていたが、どこか夢見心地で虚空を見ていた。
 脚の奥から、とろとろと流れ出る感覚があった。夢ではない。ひりひりとした渋い痛みも、広げられたままのような異物感も、確かに新次郎が自分の奥深い部分で脈打っていた証。このまま何もかも忘れ、めくるめく幸福感にいつまでも浸っていたかった。

 疲労と薬品の効果で、意識が半ば混濁していたため、昴は足元に立つ人影に気づかなかった。

 しなやかな手が、床に落ちた足用の枷を拾って、片足にはめた。
 はっとして脚を閉じようとしたが、手早く抑えられた。
「いいんですよ、昴さん。隠さなくても」
 ダイアナが、ひっそりと忍び笑った。
「…大河さんに、可愛がってもらったのでしょう…?」
 もう片方の足首を戒めながら、慈愛に満ちた笑顔を傾ける。
「あら…まあ…こんなにたくさん…うふふ…大河さんたら、お元気なんだから…」
 指先を入れられ、掻き出すようにされて、昴はふるえあがった。
「よかったですね、昴さん。うれしかったでしょう」
「違う、昴が大切なのは君だ。ダイアナ、君を守るために、仕方なかったんだ…」
 ダイアナが新次郎に嫉妬したら。昴は青ざめ、真剣な声で否定した。
「ええ、わかってます。そんなあなたが大好きなんです」
 しかしダイアナの答は意外だった。
「そこまで昴さんに身を挺して思われるのが、わたしではないのは、確かに、残念ですけど…でも、もういいんです」
 胸を押さえて、半ば眼を閉じ、恍惚と溜息をついた。
「すべては大河さんのため…我が身を省みない高潔な昴さん…感激です…ああ…美しいです…ふう…」

 四肢を留め終えると、ダイアナはにこやかに微笑みかけながら、鞄から消毒の済んだ器具や薬品を取り出して、次々と枕元に並べていった。昴によく見えるように。昴の瞳が暗く翳り、麻痺したように表情が削げ落ちた。
「今夜は、ええと、何からはじめましょうか…」
 こつんと、ダイアナのつま先に当たったのは、新次郎が放り出したテスターだった。拾い上げ、くすりと笑って、計器の目盛りを最大に合わせる。
 昴は身を固くし、呼吸を整えようと胸を喘がせた。その様子に、空色の瞳がキラキラと輝く。
「ああ…素敵です、昴さんの顔。決して怯えたり、情けを乞うたりしない…少しだけ悲しそうな、覚悟を湛えた瞳…あ…はふうっ…」
 ダイアナは身震いし、よろめき、荒い息を吐いた。
「まあ、わたしったらはしたない…まだ何もしてませんのに…」
 上気した頬を抑え、恥ずかしそうに視線を流す。
「そうやって、わたしの求める姿を完璧に演じ続けてくださいね…」
 いとおしげに、敬うような仕草で、昴の乱れた髪を撫でて整えた。その眼差しには、殉教者を崇めるような崇拝と、獲物を前にした捕食者の憐れみが、ない交ぜになって揺らめいていた。


「お口は、塞いだ方がいいですか?」
 コーヒーか紅茶か、と聞くような口振りで、ダイアナが問うた。
「いらない…」
 じっと天井を見つめたまま、昴は小さく答えた。
 悲鳴など、あげやしない。
 昴は、ほんの僅かに口元を持ち上げた。
 新次郎は、また抱いてくれると約束した。先ほどの目映い幸福を思えば、どんな苦痛も霞みそうだった。
 正気に戻った新次郎が不審に思っても、ここへ来たら、また薬で酔わせればいい。
 新次郎を守るためにダイアナに身を任せ、ダイアナを守るために新次郎に抱かれる。
 それで新次郎が生きられるなら、この体がボロボロになろうとも、永劫にだって堪えてみせる…。

 固く胸に誓いながら、歓喜と業苦の針で生きながら縫い止められた小さな美しい蝶は、弱った羽を健気にふるわせた。






《了》








すいません。でも続きを読みたいとゆってくださった方々に捧ぐ。



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