世界は日の出を待っている (3)





 VIP席の革張りのソファは、寝そべられるほど豪華なサイズだった。高価そうなブランデーのボトルと、帽子のように大きなガラスの灰皿がテーブルに置かれ、傍らには流行のフラッパードレスを着た少女が侍っている。
 間近に見たサリナスは、黒い口ひげを刈り込んで整えた、若い頃は美男だったかもしれない容貌だった。まるで何か高尚な悩みでも抱えているかのように、苦々しげに眉根を寄せている。それでいて、口の端は薄く持ち上がって、シニカルな雰囲気を漂わせていた。
 どれほどの男か知らないが、とりあえず成金の馬鹿ではなさそうだ。


「素敵なお店よね。マーキュリーより大きいし、とってもゴージャスだわ」
 愛想笑い一つしない私と違って…もっとも私には愛想笑いしてやる義理も理由もないが…サジータは怖じることなく、サリナスに取り入るかのように艶めいた笑みを作っていた。
「君たちの歌はなかなかよかった。ただし、この店のショウに出られる黒人には規定がある。背が高く、若い。即ち、身長は約六フィート、年齢は二十才以下、ということだ」
 私たちを前に座らせ、勿体をつけた口調で、サリナスが言った。
「身長はご覧の通りクリアしてるわ。年はあたしが十六でマーサは十八よ」
 嘘八百の数字をサジータはすらすらと並べてのける。
「よろしい…君たちが条件に適っていて、私もうれしいよ」
 大してうれしくもなさそうに言うと、サリナスは葉巻に火をつけ、ソファの背にもたれた。

 サリナスの気取った態度と葉巻の匂いが不愉快だった。なんだって私はこんな席に座っているのだろう?一刻も早く片をつけておさらばしたい。小声でサジータに文句を言った。
(何のために私を連れて来た。銃で威すんじゃなかったのか)
(タイミングってもんがあるだろ)
 同じく小声で答えると、サジータはサリナスに笑顔を作って誤魔化した。
「あら、内緒話しちゃってごめんなさい、彼女緊張しちゃってるみたいなの。こう見えてウブな子なのよ」
 私はサジータを張り倒してやりたい衝動を耐えなければならなかった。あとで覚えていろ。

「なら、移籍決定ということでいいかね?ギャランティについては…」
「待って。その前に、ちょっと問題があるのよね」
 遮ると、サジータはさも心許なげに眉を下げてみせた。
「実はあたし、厄介なファンにつきまとわれて困ってるの。まだほんの坊やなんだけど、しつっこくって。ステージの邪魔になるようなことをするのよ。こっちに移籍しても、迷惑かけるかもしれないわ」
 そして、しなをつくって上目遣いにサリナスを見上げる。
「ねえ…ミスター・サリナス。あなたに、なんとか私のトラブルを片付けてもらえないかしら?そうしたら、安心してここのステージに立てるわ」

 成る程。サジータはカマをかけているのだ。
 サリナスが気安く請け合って、更に都合よく手の内を明かせば、スキップの居場所の手がかりが掴めるかもしれない。私の出番は最後の手段というわけだ。ここで銃を抜けば騒ぎになるのは間違いない。
 だが、甘い。確かに彼女は年の割に機転も利くし頭もいい。だからといって、やはり海千山千の大人には太刀打ちできるわけもない。
 案の定、サリナスは面倒そうにはぐらかした。
「警察に知り合いがいる。紹介してやるから、相談したまえ」
「まあ、助かるわ。ちなみに、あなたもトラブルの解決はその知り合いに頼むのかしら?どんなふうに解決してくれるの?」
 それでもサジータはしつこく食い下がる。




 その時、店のドアが開いて、新しく客が入って来た。
 私は密かにぎくりとした。
 それは、先程私と撃ち合っていた二人組だった。


 心臓の鼓動が速度を増すのを、抑えようとした。
 二人とも、まさか私が黒人に化けて店にいるとは思うまい。余程近寄らなければわからないはずだ。

 だが、寄りによって二人組は、VIP席のすぐ手前の席に座った。片手をあげて、酒を頼んでいる。そして、念の入ったことにも私の話をしていた。
「あのアマ、見つけたら今度こそあの世に送ってやる」
 魅力的な言葉だったが、今は迷惑なだけだった。

「邪魔な坊やを、どうやって片付けてくれるの?」
 サジータの声が確信に近づいている。


 気づかないでくれ、と私は祈っていた。
 何故だ、と自問しながら。
 私は彼らと撃ち合いできれば上等と思って、ここまで来たはずだった。
 でも、今私が彼らと揉めれば、サジータの目論みは壊れる。

 彼女のことなど知ったことではない。
 だが…。

 二人組の片割れが、こちらを見ていた。金髪の黒人は目立つ。
 私は目を逸らし、サリナスと談笑している振りをした。

「おい、この黒人女、誰かに似てねえか」
「ん?」

 訝しげな視線が頬に刺さる。
 目の色は誤魔化せなくても、せめて髪型を変えてくればよかった。
 思わず、髪に手をやった、それが私の失敗だったようだ。
 髪に隠れていた生え際の、ドーランの塗りが甘かったのだ。





「貴様……マリア!」


 男たちが叫んで懐に手を突っ込んだ時には、私はもう内腿に巻いたベルトからエンフィールドを抜いて構えていた。

 連射で、彼らの銃を撃ち落とす。
 仕方なかった。ここで撃ち合いになれば、隣りにいるサジータまで撃たれる確率は高い。彼らの銃の腕前は三流だ。

 突然の銃声に、店内には悲鳴が上がり、ステージも客席も騒然としていた。何人かが我先にと店から飛び出していく。
「いったい何事だ!」
 サリナスがソファーに伏せるようにして叫んでいた。

 これで、穏便にサリナスを探る道は断たれた。
 だが、サジータの変わり身も早かった。


 結い上げた髪に手を突っ込むと、サジータは一振りのチェーンを取り出し、サリナスの首に巻き付けたのだ。
「動くな!」
 背後からのしかかり、締め上げるようにして、サジータはサリナスの耳元で怒鳴った。
「スキップをどこへやった。白状しな!」


「旦那!」
 店の用心棒と思しき黒人の大男が動こうとしたのを、私は銃弾をかすめて黙らせた。
「おまえ、そこの二人を縛り上げろ。ベルトでもなんでもいい。早くしろ」
 銃口を向けて、私は大男に指図した。面倒な要素は少しでも抑えておいたほうがいい。ついでに、足もとに落ちた彼らの銃も取り上げる。

 用心棒が不服そうに従うのを睨みながら、背後でサリナスが呻くのを聞いた。

「スキップ…?何のことだ」
「あんたがさらった黒人の少年だよ!」
「…ああ…、彼のお仲間か」
 サリナスの声に憫笑が混じった。
「こんな事をしても、もう手遅れだ」
「なんだと?どういう意味だ」
 サジータの声が固く緊張した。

「…殺したんだろう」
 私は代わりに答えてやった。さあ、おまえはどうする?サジータ。


 だが、サリナスの答えは違った。
「殺す…?そんな野蛮な…なぜこの私が、わざわざ手を汚さなくてはならないのかね」
 文字通り首根っこを抑えられているというのに、サリナスの声は勝ち誇ったようにとりすましていた。
「じゃあ、どこにいる?」
「さて…そういえばつい先程、麻薬所持で捕まった黒人少年がいるそうだ。紐育市警に行ってみればどうかね」
「貴様…息子の罪をスキップになすりつけたな…!?」
 サジータの声が炎のような憤りに揺らいだ。


 身を伏せていた客やダンサーたちがじりじりと動き、逃げだそうとしている。一斉に動かれたら、私の銃一丁では制御しきれない。
「早くしろ」
 急かすと、焦れた声でサジータが応じた。
「なら、息子はどこだ!サリナス・ジュニアは!」
「息子なら、もう紐育にはおらんよ。ほとぼりが冷めるまで、お灸を兼ねて、イギリスに留学させた。今はもう大西洋の上だろう…」
「息子を呼び戻せ!でなきゃ、スキップを釈放しろ!」
 手に力を込めたのか、サリナスがまた呻いた。
「ぐう…もう遅い…」
「命が惜しくないのか!」
 サジータの言葉で、私はエンフィールドの銃口をサリナスに向けた。
 だが、なまじハーレムで最先端の店を切り盛りしている男の神経は、気取った見かけほどヤワではないようだった。
「断る。…馬鹿な息子ほど可愛いというが、真実のようでね…」
 その表情は、苦しげながらも、決して口を割る気がないのが明白だった。

「くっ…!」
 サジータが唇を噛む。彼女に、本当にサリナスの命を奪うつもりはない。どんなに友達が大事でも、そのために人殺しまではできまい。そのことを、サリナスも読んでいるのだ。

 処置なし、だ。私は黙ってサジータを見た。
 彼女は派手に舌打ちし、チェーンを解いた。
 同時に、私は天井に向けて発砲した。照明が割れ、店内は暗闇に包まれた。その中を、私たちは出口に向かって走った。
 再び上がった恐慌の悲鳴に混じって、サリナスの声が聞こえた。
「追う必要はない、アルフ!どうせ何もできまい」





 ヒールの踵を鳴らし、私たちは夜道を走った。あの二人組を縛っておいてよかった。この靴では、即座に追いかけられたらアウトだった。
 車通りの賑やかなパーク・アベニューまで来て、私たちはようやく足を緩めた。呼吸を整えようと白い息を吐いていると、サジータがコートを寄越した。
 あの暗闇の中、クロークから持ち出して来たのには驚いた。確かに、紐育の冬の夜にドレス一枚では凍え死ぬ。もっとも、誰のものだかわからないのを適当に掴んできたようだった。それがなにげに豪華な毛皮だったのを茶化してやろうかと思ったが、サジータの顔は大真面目だった。
「これで顔を拭いて」
 次に大ぶりのハンカチを渡された。何の事やらわからずにいると、
「黒人だけでタクシーをつかまえるのは難しいんだよ!」
 憮然として、彼女が続けた。私は理解し、手早く顔のドーランを拭った。


 つかまえた蒸気タクシーに乗り込むと、サジータは運転手に行き先を指示した。
「センター・ストリートまで!急いで!」
 どうやら紐育市警本部へ行くつもりらしい。


 既に夜も更けてきて道路はさほど混雑していなかったが、マンハッタンを縦断してパークアベニューを南下するのは、時間がかかった。
「ケイロンは廃業だな…ちぇっ、何か他のバイトを探さなきゃ…」
 シートに体を預けて、サジータはどこか他人事のように呟いた。
「あの二人組は、さっきやり合ってたやつらかい」
「そうだ」
「間が悪かったな」
 サジータの声に同情の響きがあったので、私は否定するために説明した。
「いつだったか、あの店で飲んだことがあった。その時は、ショウの前で静かだった。いきつけの店に、顔を会わせるとうるさい男がいたので、たまには河岸を変えようと…。そうしたら、やつらが絡んできて下品な話を始めたので、股間すれすれを撃ってやった」
「それで?」
 サジータの瞳がおもしろそうに輝いた。
「やつらは失禁した。以来、しつこく根に持っている」

 短く笑ったサジータは、はっとして笑顔を引っ込め、背もたれから体を起こした。
「ちょっと待て。じゃああんたは、そんな因縁のある店とわかってて、つき合ってくれたのか?あいつらと出くわすかもしれないのに?」

「勘違いするな」
 恩に着られたりするのは本意ではない。私ははっきりと言い放った。

「私は、命を惜しんでなどいない。おまえにつき合ったのは、やつらと撃ち合いの続きがしたかったからだ」



 流石に、サジータは絶句した。

 だまし討ちにでもあったような顔で、私の横顔を見つめている。やがてゆっくりと息を吐くと、再びシートに体を沈めた。



「…そう言やあんた…手指の先みたいに、造作なく銃を撃ってたよな」
 じっと車の進行方向を睨みながら、サジータがぼそりと言った。
「あたしがあんたを助けたりしたのは、本当にお節介だったんだな」
 こっちを見ないままに、神妙に声を落とす。

「今頃わかったか」
 私は冷ややかに答えた。ようやく自分の間違いに気づいたらしい。少しは反省したかと思いきや、サジータはまだ何やら意見があるようだった。
「なあ、でも、あんたさ…」

 幸い、その時、前方左に市警本部のルネサンス様式の建物が見えて来たので、私は鬱陶しそうな言葉を聞かずに済んだ。
「悪い、話は後だ。…そこで停めてくれ!」
 タクシー料金はそれなりの額だったが、サジータは降り様に、
「イースト・ハーレムのミスター・サリナスにつけといて」
 と言い置いて、さっさと正面玄関の階段を駆け上がって行ってしまった。
「おいおい!そりゃあないだろ!」
 タクシーの運転手が気色ばんで叫んでいた。警察本部庁舎の真ん前で揉め事はまずい。
「何か問題でも?」
 私が銃をちらりと見せると、運転手は顔を引きつらせて黙り込んだ。


 さて、ここが終点か。私は顛末を見届けるべく、サジータの後を追って階段を上った。





《続く》



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