ここはBUDOUKAN 








「うーん…」
 新次郎が眼を開けると、板張りの低い天井が見えた。
 周囲は仄暗いが、すぐ横に階段があるのがわかる。そして、どこか薄い壁の向こうから、大音量の音楽と手拍子が聞こえていた。
「あれ…ここは……?……そうだ、昴さん!」
 視線を動かすと、昴は腹のあたりに折り重なるように倒れていた。
「昴さん、大丈夫ですか!」
 肩を揺さぶると、昴が呻いて顔を上げた。
「…つっ……君こそ…怪我はないか…」
「…ちょっとお尻を打ったけど、平気です。…それより、ここはどこでしょう…」
 不審げな新次郎の声に、周囲を見渡して昴も眉を顰めた。
「おかしい…シアターの舞台ではないな…」


 新次郎はリトルリップシアターで、スターVのメンバーと一緒に、次の公演用にステージの動作点検をしている最中だった。
 そこで何らかの事故が起きて、奈落の蓋が開いてしまったのだ。
 たまたま片足を乗せていた新次郎が、バランスを崩して落下し、横にいた昴が咄嗟に腕を掴んで…一緒に落ちた。
 だが、ここはどう見てもシアターの奈落の下ではない。蓋は閉まっているし、高さは2メートルほどしかない。そして、この華やかな音楽……。



「あれっ、スガヌマさんにソノザキさん、なんでこんなところにいるんですか?ザ・シティー終わりましたよね?」
 黒いTシャツを着てタオルを首に巻いた男性が、二人に呼びかけた。
「やだなあ、スヤマさんじゃないんだから、奈落に落ちたりしないでくださいよ?」
 苦笑する声に、思わず顔を見合わせる。

「日本語だな」
「そうですね」
 男性がシアターのスタッフではなく、明らかに日本人なのは、薄暗い中でもはっきりわかった。

「それより、ソノザキさんは早く着換えないとヤバイんじゃないですか?」
 男性に背中を押されて階段を上がり、二人はどこかの通路のような明るい場所に出た。
 衣装ケースやコンテナが積んであり、ストローを挿した水のボトルがテーブルに並んでいる。掲示板のようなボードに何枚も紙が貼られ、何やら慌ただしく人々が動き回っている。
 その中に、新次郎は思いも寄らない姿を見つけた。

「…シゾー!?」
 巴里に現れたというウサギ型怪人・シゾーが、大きなハサミをぎらつかせて歩いているのだ。新次郎は資料の写真でしか見たことがなかったが、その姿は見間違いようがない。
「シゾーは巴里花組が退治したはず…!なぜ生きている!」
 昴が素早く鉄扇を開いて構える。
「まさか、ここは敵地…?何かの魔力で連れてこられちゃったんでしょうか」
 剣を持っていればと新次郎が拳を固めていると、怪人シゾーはにこやかな笑みを浮かべて寄ってきた。
「おっ、ミエさんポーズ決まってるねえ。すっごい昴っぽいよ」
 からかうように向けられたハサミを、昴の鉄扇が目にも止まらぬ早さで寸断する。真っ二つになった柄を両手に持って、シゾーは大声をあげた。
「うわあっ!壊れちゃった!どうしよう!まずいよ、小道具さーん!おーい!」
 泣きそうな声で走って行く後ろ姿を見て、新次郎は何か変だと思いながらも、ぽかんとしていた。
「妙だな…なぜシゾーが日本語を?」
 昴の言葉で違和感の正体に気づき、新次郎もはっとする。
「そういえば、日本語でしたね…フランスの怪人なのに…」

 そこへ、なつかしい人物が廊下に現れたので、新次郎は目をまるくした。
「一郎叔父!」
 思わず名を呼んで駆け寄る。
「ん?何?」
 帝都にいるはずの花組総司令は、新次郎を見ても驚くことなく軽く眉をあげるだけだ。
「どうして一郎叔父がいるんですか!っていうか、ここはいったいどこなんです?」
「え?いきなりセリフ合わせ?ホントに真面目なんだから…」
 詰め寄る新次郎に、大神はぽりぽりと頭をかいた。
「セリフって、何のことです?」
「どのシーンだっけ…あ、ところで胃の調子どう?」
 とぼけた様子の大神の背後を、わらわらと帝都花組のメンバーが談笑しながら通り過ぎていく。
「…ここは帝都のようだな」
「ってことは、大帝国劇場…?さっきまで紐育にいたのに、いったいなぜ…」
 と思ったところで、続いて巴里花組のメンバーも現れたので、新次郎はパニックした。
「わひゃあっ、帝都じゃなくて巴里…?いったいどうなってるんだ!」


「新次郎、昴、どうかした?」

 聞き覚えのある声に振り向くと、ジェミニが立っていた。『ロデオとジュリエット』の衣装に似たデザインの、鮮やかなピンク色のドレスを着ている。
「ジェミニ!君もいたのか…って、ジェミニが日本語喋ってる!」
「えーそりゃ日本人だもん、あ、ジェミニはアメリカ人だけど」
 日本贔屓のジェミニだが、日本語は片言レベルのはず。それがすらすらとネイティブのように流暢に、何やら支離滅裂なことを言っている。
「どういうことだ…?いったい何が起きている?」
「え…昴、怖い顔しちゃってどうしたの?」
 それに、ジェミニは昴を呼び捨てでは呼ばないはず…。新次郎がただ唖然としていると、ジェミニはいつもの朗らかな笑顔でぽんぽんと肩を叩いた。
「大丈夫?二人ともそんなに緊張してるの?リラックスだよー」
「いや、あの、だから…」
「待て、新次郎」
 昴が割って入った。そして、冷静な声で穏やかに話しかけた。
「…そうなんだ、ジェミニ。僕たちは緊張して混乱してしまったようだ。だから、今一度自分に確認するために、ここはいったいどこなのか、教えてくれないか」
 調子を合わせて情報を聞き出す作戦か。流石昴さん、と新次郎は頷いた。確かに、状況がわからないうちは、騒ぎたてるのは得策ではない。
「え?ブドウカンでしょ」
 ジェミニがこともなげに答える。
「ブドウ…カン…?昴は問う…それはいったい何だ、と…」
「えーミエさんそれだけ成りきれてたら心配ないよー」
「あのっ、ジェミニ、ぼくも緊張してるから確認させて!今日は何月何日?」
 割り込んだ新次郎の顔を、ジェミニはまじまじと見た。
「ちょっと新次郎、ホントに大丈夫?今日は2011年10月7日金曜日!ブドウカンライブ2の真っ最中!」
「にせん…」
 二人は絶句して硬直した。つまり、およそ80年ほど未来ということだ。

「あっ、カヤさーん、アヤカちゃーん、ジュンちゃーん、なんか新次郎と昴が変なんだよー」
 ジェミニが声をかけた先に、ピンカートン姿のダイアナと、見たことのない黒っぽい衣装のサジータとリカがいた。
「あ、ミエちゃんいたいた。もう着換えないと…」
「昴、前を歩いてたのに急にいなくなったから心配したよー」
「衣装さんが血相変えて探してたよ!」

「みんな日本語だ!」
 新次郎が叫ぶと、ジェミニが困惑気味に言った。
「ほら、変でしょ?…ごめん、あたしもう出番だから行かなきゃ!」
「ロデオ頑張ってねー」
 リカの声援を背に、ジェミニは緑色のドアの向こうの暗い通路へと去って行った。
「二人とも具合悪いの?何かトラブル?」
 サジータに言われて、昴が演技を続けた。
「いや、大丈夫だ。騒がないでほしい…それより、確認させくれないか。ブドウカンライブとは僕たちにとってどんな意味を持つのか、改めて考えてみたいんだ」
「確かに、ちょっと夢みたいな大きなステージだよね!」
「本当に、すっごいミラクルだよねえ。サクラのキャストがこれだけ揃うなんて…」
 リカとダイアナがうんうんとうなずきあった。
「サクラ…?」
「そこから確認するの?マジで?」
 顔をのぞき込んでくるサジータの横で、ダイアナがふわりと夢見るような声で言った。
「えっとーだからーサクラ大戦っていうセガのゲームの人気シリーズがあって、それが舞台になって、今日は帝都さんと巴里さんと紐育と、みんなでこのブドウカンで一日限りのライブをやっててー、…でいいのかな?」
「ゲーム…?」
「ゲームだとスターに乗って戦ったりするけど、舞台は歌とお芝居がメインだよね」
「ミエさんホントに大丈夫?楽屋でもっかい台本確認する?」
「台本…そうか…わかった。ちょっと見てみよう」
 リカの指さした部屋に、昴は入って行った。


 残された新次郎は、ジェミニの消えた暗い入り口が気になっていた。
 首を伸ばして覗いて見ると、そこは舞台袖に繋がる通路だった。
「わひゃあ…!」
 目の前に広がる光景に、新次郎は思わず声をあげた。


 八角形の屋根の下の、広大な空間。眩いライトを浴びて、ジェミニが歌っていた。セントラルパークのクリスマス公演もかくやという数多の観客が、一斉に歓声を上げ、手拍子をしている。その熱気の渦が、新次郎の頬を打った。

「これが…ブドウカン…ライブ…?」


「新次郎、ちょっと」
 昴が、背後から肩をつついた。手に『サクラ大戦 武道館ライブ2〜帝都・巴里・紐育〜』と書かれた台本を持っている。
「わかったぞ…ここは僕たちの世界とは別の、所謂パラレルワールドだ」
「パラレル…?」
「似て非なる世界が、沢山あるという説だよ。ここでは、僕たちの戦いがゲームの架空の物語で、それが舞台となって役者が僕たちを演じている世界だ。そこに、僕たちは飛ばされてしまったんだ」
「ええと…」
「つまり、僕たちは想像上のキャラクターなんだ。実際には存在しない、ね」
 新次郎は混乱して頭を掻きむしった。
「わけがわかりません!じゃあぼくはいったい誰なんですかっ」
「キャスト表によると、君は菅沼久義、昴は園崎未恵という人物が演じているらしい」
「菅沼…?そういえばそんな風に呼ばれましたね」
「ジェミニは小林沙苗、サジータが皆川純子、ダイアナは松谷彼哉、リカは齋藤彩夏…先ほどの大神司令も、陶山章央という役者だ」
「どうしてジェミニたちを日本人が演じてるんですか?」
「わからないが…どこかで重大な認識齟齬が起きているようだ。たとえば、あそこにいる帝都花組の桐島カンナをごらん」
 昴が見やった廊下に、水のボトルを持った帝都花組メンバーたちがいる。
「はい、カンナさんですね」
「何か……妙だ。昴の覚えている桐島カンナと著しく違う部分があるはずなのに…」
 言われて、新次郎も腕組みをして唸った。
「ううーん、そういえばなんだかぼくにもそんな気が………でも、カンナさん以外の何ものでもないですよね」
 改めてよく見れば、アイリスもどこか違う部分があるように思えてきて、新次郎は困惑した。
「…そ、それより!いったいどうしてこんなことになっちゃったんでしょう」
「昴にもわからない。どうやって元の世界に帰ればいいのか…」

「ちょっと昴まだ着換えてないの?もうジョージア始まったよ!」
 ステージから戻ってきたジェミニが、私服姿の昴を見て青ざめる。
「次マダムバタフライだよ!?間に合わなくなっちゃうよ!…衣装さーん!大変だよー!」

 その言葉に、新次郎は昴に真剣な顔を向けた。
「昴さん、なんとか舞台に立てませんか」
「そんな場合じゃない。帰る方法を見つけなければ…」
 昴の険しい声を遮り、新次郎は力を込めて言った。
「でも、この舞台に穴を開けちゃいけないと思うんです」
 サジータとリカの歌うステージを手で指し示す。新次郎の知らないナンバーだったが、パワフルな二人のコーラスとダンスに、割れるような手拍子が鳴り響いていた。
「見てください、この観客の熱狂の様子を。この人たちは本当に、『サクラ大戦』って作品が好きで集まってきた人たちです。シアターのお客様と変わらない…」
 新次郎の熱い眼差しに、昴は一つ溜息をつくと、声を和らげて答えた。
「昴は言った…やれやれ、と…。…いいだろう…さっき台本を見て内容は覚えた。蝶々夫人の歌も歌えるし、ステージでの動きも細かいメモがあったのでわかるからね…」
 そして、厳しい眼で新次郎を見て言った。
「だが、それを言うなら大変なのは君だぞ。ここでは、君も役者なんだ。ステージで歌って踊ってお芝居をするんだよ」
「ええっ!?」
「この後、およそ30分後に、君を含む大人数での新曲が控えている。それをこなせるかい。女優のプチミントではなく、大河新次郎として、だ」
 新次郎はごくりと固唾を呑んだ。
「ふ、粉骨砕身の覚悟で頑張ります!」
 直立して答える間に、昴は神の領域の霊力を使ったのか、超人的早業で衣装に着替えて戻って来た。

 ぎりぎりのタイミングでスタンバイした昴の前で、ステージの背景が真ん中からすうっと開いて行く。
 階段の中程に座った昴が、透き通った可憐な声を放った。
「ピンカートン…あなたが帰ってくるから、部屋を花で満たしておきましょう…」

 客席は先ほどまでと打って変わって静まりかえり、昴の声に耳を澄ましている。

 赤い着物に、白い花を髪に挿した昴が、新次郎にはこの上なく美しく、神々しくすら見えた。
 ああ、昴さんは流石だなあ、と新次郎は状況を忘れてうっとり見入った。異世界の舞台にいきなり立たされて、完璧にこなしてみせるのだから…。
「あっ、そうだ、ぼくは新曲っていうのを急いで練習しなきゃ!30分しか時間がない!」
 思い出して、新次郎はわたわたと舞台袖を離れた。



 舞台の上で蝶々夫人となって歌いながら、昴は同時にいくつものことをフルスピードで考えていた。
(奈落に落ちてこの世界に来たということは、シアターの奈落が何か異世界との間をつなぐ通路になっているのか…?)
(次はダイアナに手を引かれて階段を降りる…)
(このマイクはすごいな…これだけ小型化できるとは、流石未来の技術だ。それにこの巨大なスクリーン…)
 幸い、蝶々夫人の歌はかなりコンパクトになっていたので、昴にとってはあっという間だった。

 昴が舞台袖から廊下に戻って来たところで、艶やかなブルーのドレスを纏ったグリシーヌとあわやぶつかりそうになる。
「あっ、あっあ……すごい素敵!」
 詫びるように手をとられ、衣装を褒められたようだが、果たしてこちらの世界の昴はグリシーヌの役者とどのように話すのだろう。
 困った昴は、ただ静かに微笑んでやりすごした。蝶々夫人の役作りからまだ抜けていないと解釈してくれれば幸いだ。


 一方、新次郎は楽屋で新曲の譜面を睨んでいた。
 仮にも舞台関係者、楽譜は読めるが、それだけで本番に臨めるほどの自信はない。

「一郎叔父!お願いです!新曲の振り付けがなんだか頭からすっとんじゃって!もう一度おさらいさせてください!あと、歌も!」
 隣りの大神司令の席は、何やら若い女性の沢山映った写真で飾り立てられていた。
「えー俺はいいよ」
 面倒くさそうに言いながら、小さなモニタで、どうもこのショウとは無関係らしいステージの映像を楽しげに見ている。
「そんなあ」
「連さんと公平先生に見てもらってよ。連さーん、ちょっと菅沼が不安らしいから、振り付けのおさらいしてやってくれます?」
 大神が声をかけると、オレンジ色のスーツに派手な帽子を被った男性が立ち上がった。
「菅沼くん熱心だねえ。最近は新橋ダンスでもなくなったし大丈夫でしょ」
 新次郎には何のことだかわからなかったが、
「そこをなんとか、お願いします!」
 と頭を下げた。
「はいはい…じゃあ、イントロは手拍子から入って…オーオー♪…」
 彼はこのステージの振り付け担当のようで、必死の新次郎に丁寧に教えてくれた。そして、公平先生という眼鏡をかけた男性は音楽家らしく、迫力の発声とピアノの即興演奏で指導してくれた。本来なら30分の稽古でマスターできるはずもないだろうが、そこは士官学校主席の能力をフル稼働して覚えた。

「どうだ、新次郎。新曲はやれそうかい」
 新次郎が公平先生に礼を言って、ピアノのある練習室を出ると、見たことのない青と赤のレビュウ衣装を着た昴がいた。
「あ、はい…菅沼さんも熱心な人だったみたいで、楽譜に沢山書き込みがしてあって助かりました」
 新次郎はどうにか笑顔を作って言った。
「あと、楽屋に薬がいっぱいありました…体が弱い人なのかな。さっきも胃の調子がどうのって言われてたし…。昴さんのとこは?」
「…何やらカエルのぬいぐるみがあった。カエルが好きらしい」
「昴さんがぬいぐるみ?」
 新次郎が眼をぱちくりさせる。
「ちなみに、隣のダイアナの席はもっとすごかった」
「はあ…」

 そこで、新次郎が急に不安そうな顔をした。
「ところで昴さん、一つ問題が…」
「なんだい」
「曲の部分は覚えたんですけど、時間がなくて、セリフの部分がさっぱり読めてないんです」
「わかった、昴が階段の影からプロンプする」
「ありがとうございます!助かります!」
「君はそろそろ出番だろう。行くんだ」
「はいっ」
 ひらひらと昴に手を振られて、新次郎は舞台袖へと急いだ。



「いやあー、サクラの歴史を感じるメドレーでしたねえー」
 とりあえず出だしのセリフは覚えている。大神とともに下手の傾斜した通路を降りながら、新次郎は棒読みにならないように必死に演技をして言った。
(あとのセリフは昴さん、頼みます…)
 そこへ、確かに聞き覚えのある声で、妙な歌が聞こえてきた。
「愛〜ゆえに〜ここーろーはちきれ〜ぱぱんぱぱんぱぱん…♪」

 ぐるりと会場を見渡し、ステージの反対側に声の主を発見して、新次郎は状況を忘れて叫んだ。

「母さん!?」

 なんで母さんが舞台に!とあわや騒ぎそうになるのを堪える。
 ここでは母の双葉も、役者が演じるキャラクターなのだ。
 何やらノリが違うような気がしたが、センターで一郎叔父が「なんだか思ってたのと違う」などとやりとりする様子から、舞台用に少しオーバーな台本になっているのだ、と納得する。
「なあ、新くん?」
 そこへ双葉から話を振られて、新次郎はぎくりとする。
「まあ…一郎叔父の気持ちはわからなくもないって言うか…」
 昴にプロンプしてもらうまでもなく、本心が口をついて出た。
 しかし、観客は大いに沸いて笑っている。
(母さんまで舞台に立ってるなんて、なんだかすごい世界だなあ…)
 新次郎はおかしいやら呆れるやらで、なんとも妙な気分だった。

 昴に助けられてどうにか芝居部分をこなしたところで、サンバ調の賑やかなイントロが流れ、新曲が始まった。舞台袖から大勢の役者が現れて参加する。
 どうやら花組や星組以外のサブキャラクター的な人々が歌うナンバーらしい。
 サニーサイドや帝都の藤枝司令はわかるが、中にはプラムにそっくりの赤い衣装の女性など、知らない人物も何人かいた。舞台のオリジナルのキャラクターなのだろう。シゾーも一緒になってノリノリで歌っているので、新次郎には半端なく不思議な光景だった。ちなみにハサミは無事直してもらえたようだった。
(わひゃあ…こっちのサニーさんこんなに歌が上手いのか!あと、このダンディって人の声…胸にスピーカーがついてるみたいだ!リトルリップシアターにスカウトできたらいいのに)
 新次郎にとってラッキーだったのは、ステージを大きく移動することもなく、ソロもないことだ。曲もかけ声部分が多く、大神司令とデュエットするフレーズさえこなせば、あとはどうにかなった。


 へとへとで通路に戻ってくると、小さなカメラらしきものを構えた人に向かって、杏里が「汗だくー!」と言うなど、みなそれぞれ何かコメントしている。
(え…なんだろう。何を言えばいいんだろう)
 一瞬冷や汗をかいたが、前を歩いていたダンディ氏の真似をして、
「タオルもらっちゃいましたー。えへへ」
 と笑顔を向けて誤魔化した。


「新次郎」
 扉の影に隠れるようにして、私服に戻った昴が呼んだ。
「どうにか切り抜けたようだな…」
「はあ…夢中でタオルを回していたことしか覚えてません…」
 息をつきながら、もらったタオルで額を拭う。
「あのカメラはなんでしょう」
「どうも舞台裏を撮影しているようだ。編集して公開すれば、ファンにとっては特典な映像になるんだろう。昴もさっき向けられて困ったが、なんとかやりすごした」
「成る程……それより、帰る方法はみつかりましたか?」

 昴が、顔を寄せて声を低くした。
「考えられるとしたら、あの奈落だ」
「どういうことですか」
「先ほどスタッフに教わったんだが、大神司令の役者は、前回の武道館ライブで奈落に落ちるという事故を起こしたらしい。君と血縁のある大神司令の事故と、現実のリトルリップシアターでの君の事故と、霊的な因果がどこかで錯綜して、僕たちをこの場所に移動させてしまったんだろう」
「それって滅茶苦茶こじつけっぽくないですか」
「他にどう説明する」
 昴がむっと唇を結ぶ。

「とにかく、もう一度奈落に行こう。すぐ次の曲が星組の出番だ。急いで戻らないと」
「え…じゃあステージはどうなっちゃうんです」
「聞くんだ、新次郎」
 心配そうな新次郎の腕を、昴が掴む。
「恐らく、ここに本来いた昴たちは、きっと入れ替わってリトルリップシアターにいる」
「そうなんですか?」
「一つの世界に、同じ人間が同時に存在することはできないからだ。僕たちが戻れば、彼らもここに帰って来られるはず…このステージは本来彼らのものだ。彼らに返さなければ」
「そ、そうですね!じゃあ早く…」
 奈落に向かおうと扉の影から体を出した途端、
「きゃあっ、園崎さん、どうして着換えちゃったんですかっ!」
 突然、スタッフの女性の、悲鳴のような声が聞こえた。
「早くレビュウ衣装着ないと!次オーバーザレインボーですよ!」
 血相を変えて、こちらに向かって来る。
「急げ、新次郎!」
「はいっ」
 二人は奈落に通じる階段に向かって身を翻した。
「どこへ行くんですか!誰かー!つかまえてー!」


 逃げるように走っていると、背後から大勢の声がした。

「待てーっ!」
「舞台に穴が空いちゃう!」
「アクシデントはもう勘弁!」
 一瞬振り向くと、公平先生やスタッフたちに混じって、サングラスをした長身な男性や、髪がつんつん短くて小柄な男性が追いかけてくる。
「わひゃあっ、なんだか大変なことに…」
 彼らからは、なんとしても今日のステージを成功させようという鬼気迫るオーラが、霊力のように発散されている。それが、まるで物理的な力を持っているかのような勢いで、二人の背中に迫った。
「もう少しだ!」
 昴と手を繋いで階段を駆け降り、あと数段、というところで、新次郎の足が滑った。
「うわっ…」
「わひゃあっ」
 二人でもつれ合ったまま、落ちた勢いで奈落の底に転がり込む。

「あいたっ!」
 どこかに頭をごんと打ち付けて、新次郎の頭がくらくらした。






「ううっ…」
 ぐるぐるまわる眼を開けて瞬きすると、そこは明るいステージの上だった。丁度奈落の真上だが、蓋は閉じている。
 深紅の緞帳、天鵞絨張りの客席。ひと気はなく、静まりかえっていた。
 リトルリップシアターのステージだった。

「……どうやら……戻ったようだな…」
 傍らで、昴が体を起こした。
「昴さん…」
 新次郎はまだどこかぼんやりしていた。
 別の世界に行って戻って来たなど、あり得るだろうか。二人で同じ夢でも見ていたのかもしれない…。
「あっ!これ、持って来ちゃった!」
 新次郎は、手に握っていたタオルを見て声をあげた。
「夢じゃ…なかったのか…」
「やはり、身につけているものは持って来てしまうんだな…レビュウ衣装から着換えておいて正解だった」
 昴が安堵したように言った。

「ああっ…!新次郎と昴さん、見つけた!」
 客席のドアから、ジェミニが姿を現した。勿論、話す言葉は英語だ。
「みんなー!ここにいたよー!」
 ジェミニが呼ぶと、仲間たちがばたばたと駆け込んできた。
「もうっ、いきなり消えちまうから焦ったよ!」
「あ…すみません、ちょっとアクシデントがあって…」
 サジータに向かって英語で詫びると、皆の顔が輝いた。

「元に戻ったんだね!よかったー!」
「奈落に落ちたのにお怪我がないと思ったら、やっぱり頭でもぶつけたんでしょうか…なんだか日本語ばっかり喋って全然わからなくて、杏里さんを呼びに行くところだったんですよ」
「ブドウカン、とかライブ、とか言ってさ。ここはどこ、ってどうにか英語で聞き取れたんだけど、リトルリップシアターだって言ったらパニック起こしちゃって」
「シアターを飛び出してぽかーんと突っ立ってたから、リカ、すっごく心配したんだぞー!」

 新次郎と昴は視線を交わして、思わず笑ってしまった。
「あはは…よかった、彼らも無事に帰ったんですよね。ゲームの世界に来ちゃって、びっくりしたんだろうなあ」
「多分、ね…これで武道館ライブの続きも大丈夫だろう。あとは君が、もう二度と奈落に落ちないようにすることだ」
 見知らぬ別世界の舞台の緊張から解放されて、新次郎は心底からほっとした。
「あ…でも、星組最後の『地上の戦士』って歌は、かっこよさそうで歌ってみたかったなあ。踊れるかどうかわからないけど」
「ふふ…君なら体が勝手に踊るんじゃないか…?」

「二人とも、何の話?」
「いや…なんでもないよジェミニ。心配をかけてすまなかったね」
 澄まし顔の昴の横で、新次郎は宙を見上げて瞳をきらきらさせた。
「サクラ大戦かあ、どんなゲームなんだろう。ぼくもやってみたいなあ!」





《おしまい。》 




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