PUCHI☆KONG (4)






「寒くないかい?コング」
 やさしく声をかけて、新次郎は、コングの体の上の大きな帆布を引き上げてやった。

 まだ麻酔で眠っているコングの返事はない。コングを安静にさせるために、医師は多量の薬を投与した。きっとコングは早く動き回りたいだろうが、紐育はそれが許される土地ではない。コングのためにも、安静を保ち、一刻も早く傷を治して、島へ帰れるようにしてやるのがベストだろうと、新次郎も了解していた。
 広い格納庫内は、コングのために何台ものストーブを焚いていたが、紐育郊外の夜は冷える。
 コングの腕の間の窪みに、新次郎は寄り添うように体を横たえた。己の小さな体温では足りないかもしれないが、ないよりはいいだろう。あの蒸し暑いジャングルに比べれば、ここは酷寒の地だ。怪我をしたうえに風邪までひいたら大変だ。
 あの島で、コングがティラノから守ってくれたように、ここでは自分がコングを守ってやらなければ。自分のためにコングが負った傷の分は、必ず恩を返そう。
 庇護欲と使命感の合わさったような感情が、新次郎の胸を熱くした。



 うとうとしかけた新次郎は、微弱な振動を感じて眼を開けた。
 それは次第に大きくなり、こちらに近づいてくる。まるで重戦車の走行のような振動だ。
 新次郎はそっと起き出し、身を低くして窓に走り寄った。不穏な空気をひしひしと肌に感じた。

 月明かりの中に現れたのは、巨大なトレーラーだった。百足のように並んだタイヤが、長い尾のようなコンテナを引きずっている。
 かっ、と大きなヘッドライトが窓を照らした。逆光の中に、ぱらぱらと人影が飛び出し、何か武器を構える様子が見えた。
 咄嗟に頭を引っ込めた新次郎の頭上で、ばりん、と窓ガラスが割れた。砲弾のような形のものが、ごんと床に落ち、ごろごろと転がる。それは爆発するかわりに、白い煙をしゅうしゅうと盛大に噴き出した。
 否応なく吸いこんでしまった新次郎は、強烈な目眩に襲われた。
(麻酔ガス…!?)
 それ以上何も考えることはできず、視界が、洞窟をのぞくように暗く遠くなっていった。


「プチミントか。いやにコングにご執心だと思ったが、一緒にいたとはね。こいつはいいや。彼女も連れて行こう」
 マスクをして見おろしているのは、ボーナムに雇われた荒事師を率いるブラントンだった。
「旅行中に何か弱みでも握ってやれれば、ボーナムさんへの土産になると思ってたが、現物を進呈する方がいいに決まってる……そうだ、一緒にショウに出演してもらうってのはどうかな!」
 一人で嬉々として語るブラントンの声は、足もとに倒れた新次郎には聞こえていなかった。









 翌日は、曇天が粉雪を散らす寒い日だった。ブロンクス・リバー・パークウェイを北上するリムジンの後部座席には、昴とサジータが座っていた。
「お手製のジャパニーズ・ランチを差し入れとは、新次郎のやつ、思われてるねえ」
「別に…予備のキャメラトロンを届けるついでだ」
 貴重な和食材を駆使して作られた、握り飯と煮染めの詰まったお重は、風呂敷に丁寧に包まれて昴の膝に乗っている。
「君はなんだってついて来たんだ」
「いや、面白そうだからさ。まあ、確かにキングコングにこんな立派そうなランチは作れないよなあ」
 両手を頭の後ろで組み、サジータはにやにやと笑って呟いた。
「ふふん…九条昴が、動物に嫉妬なんてねえ」
「面白い冗談だな…この僕が、あんなけだものに…なんだって?」
 凄みを孕んだ目で睨みつけても、サジータは素知らぬふりで口笛を吹いている。昴は苦々しげに顔を背け、窓の外の景色を眺めやった。
 手提げの紙袋に用意した着替えは、モギリ服だった。新次郎は、コングが混乱しないようにと、プチミント姿のまま、似たようなピンクのフレアスカートに着替えていた。果たして、このモギリ服を着てまでも、新次郎はプチミントのかつらを被り続けるだろうか?そして、プチミントがかつらを外した時の、コングの反応や如何に。
 それは胸のすく想像のはずだったが、さっぱり心は晴れなかった。こんな貧しい感情に捕らわれる自分が情けなく、それは再び新次郎とコングへの忌々しさにつながる堂々巡りだ。

 そんな鬱々とした昴だったが、異変に気づくのは早かった。リムジンが私有地に入るなり、雪で湿った地面に目を落として言った。
「この大きなタイヤの跡は何だ」
「…昨日のミニバスじゃあないな。よっぽどでっかいトレーラーみたいだ」
 サジータも真剣な顔になる。
「早く格納庫へ!何かあったようだ」


 リムジンのドアから飛び出した二人は、中へ駆け込むまでもなかった。全開したシャッターから、もぬけの空になった内部が広々と見える。
「新次郎!」
 倒れていた人影は新次郎ではなく、詰めていた獣医だった。
「おいっ、しっかりしろ!」
 サジータが引き起こして頬を叩くが、眼を開ける様子はない。
「麻酔ガス弾だ」
 昴が、空の弾頭を拾って言った。
「犯人はブラントン以外に考えられない。船長たちはコングを連れて来ていることを知らなかったはずだ」
「そんなガス弾だのトレーラーだのを用意するなんて、あいつめ、どこに伝手があったんだか…」
 憎々しげに眉を寄せるサジータの傍ら、昴はキャメラトロンを操作してシアターと交信していた。
「…そうだ。トレーラーを探すんだ。それからブラントンの経歴と背後を調べてくれ。きっと黒幕がいるはずだ…」










 シアターの支配人室には、非常事態の連絡を受けた星組メンバーが集まりつつあった。
 誰もが新次郎の身を案じて不安げに顔を曇らせている中、遅れてのんびりと現れたサニーサイドは、しかしさっぱり気のない様子でぼやいた。
「いやあ、残念だなあ。元気になったコングともう一回記念写真が撮りたかったのに」
「何を悠長なことを!」
 サジータがいきり立つ。
「でも、さらわれたって言っても、別にコングはボクのものじゃないし」
「誰がコングの心配をしてるんだよ!新次郎がさらわれたって言ってるんだ!」
 ジェミニも拳を握って言った。
「そうだよ、サニーさん。新次郎はプチミントの格好のままなんだよ!武器も何も持ってないんだ」
「そうかあ、そりゃあ困ったね。もしプチミントが男だってばれちゃったら、大変なスキャンダルになる」
「サニー、真面目にやって頂戴」
 ラチェットの冷ややかな眼差しにも、サニーサイドは肩を竦めただけだった。
「だってさあ、誰より頼もしい味方が一緒なんだろう?ほら、なんとかザウルスから守ってくれたって言ってたじゃない」
「でも、二人ともさらわれちゃったぞ!どんなにコングがでっかくて強くても、ますいで寝ちゃってたらなんにもできない!」
 泣きそうなリカの頭をよしよしと撫でて、サニーサイドはけろりと笑った。
「そのうち見つかるよ。あんな大きなもの、そうそういつまでも隠しておけるものじゃない。フライくんが、トレーラーの目撃情報を追って動いてるしね」
「どうしてフライ?加山はどうしたんだ?」
「加山くんは今エジプトに行ってもらってるんだ」
「エジプト!?なんだってそんな所へ?」
 質問攻めのサジータに、サニーサイドは眼鏡のブリッジを指で押し上げながら答えた。
「ちょっと気になることがあってね。でも、プチミント嬢の絶体絶命のピンチだと言っておいたから、彼、地球の裏側からでもすっ飛んで来るだろう」

「…埒が明かないね。とにかく、ブラントンがコングをさらった理由はなんだ?どこかの酔狂な金持ちにでも売りつけるか、見せ物にして儲けようってのか…」
 サジータが腕を組み、思案げに宙を睨む。
「そういう胡散臭い見せ物なら、コニーアイランドあたりが怪しいな。少なくとも、このブロードウェイでそんな…」


「大変ですみなさん!」
 そこへ、ダイアナが息せき切って駆け込んできた。
「これを見てください!今、シアターの前で配っていたんです!」
 渡されたビラを見て、全員が驚愕の声をあげた。
「世界第八番目の脅威、キングコング!うわ、つまんないキャッチコピーだねえ。こんなの思いつく奴の気が知れない」
 誰もサニーサイドの言葉を聞かず、異口同音に叫んだ。
「これは…プチミント!?」



 ビラに大きく印刷された写真には、二本の柱に両腕を繋がれ、力なく首を倒したプチミントと、背後にそびえるキングコングの巨体が写っていた。コングはだらりと手を落として座り、眠っているようだったが、眼だけ開けているように描き加えられている。
「体長三〇フィートの巨大ゴリラ…生け贄にされる美女役・プチミント嬢…リトルリップ・シアターより当劇場に移籍…今夜九時、パラダイス・シアターにて…」
「ああ、あそこかあ、なるほどね。オーナーのボーナムってのはギャングとも繋がりがあるらしいし、このくらい強引なことはやりそうだなあ」
 読み上げられた文に、サニーサイドがぽんと納得の手を打つ。



「よし、みんな、行くぞ」
「どこへ?」
 肩を怒らせてドアに向かおうとしたサジータに、サニーサイドが問う。
「決まってるだろう?プチミントを助けにだよ!眼と鼻の先にいるってわかったんだ」
「ちょっとやめてよ、シアターの女優が押しかけて営業妨害の乱暴狼藉、って向こうは攻撃材料が出来て大喜びだよ」
「あんた、何考えてんだ!このまま黙ってショウをやらせる気かい!?」
「うん。なんだかその方が面白そうな気がしてきた」
 突拍子もないことをあっさりと言ったサニーサイドに、全員が唖然とした。
「そんな…駄目ですよ!駄目ですよ!もしコングが暴れたりしたら、大変なことになります!」
「それでショウが失敗してくれたらラッキーだね。ボーナムは前からボクを目の仇にしてて鬱陶しかったんだ」
「お客さんが怪我したり死んじゃったりしたらどうするの!?」
「そんなことにはならないでしょ。だって、大河くんが一緒なんだから。…ああ、彼が無事だってわかってよかったよかった」
 そう言って、サニーサイドは、これで終わりというように立ち上がった。
「まあ、コングを連れて来ちゃった責任は取らなきゃいけないかな。みんな、スターで待機していてくれ。何か騒動が起きたら、出撃してもらうから」




「…サニーサイドの言うとおりだ。スターで待機しよう」
 それまで、一言も発していなかった昴が、煙のように静かに言った。
「…上等だよ、サニーサイド。騒動になれば、いくらでもこちらから相手を攻撃できるからな」
 どういたしまして、というように、サニーサイドは眉を上げてみせた。昴の声は低く、能面のような顔からは表情が読み取れない。

「いざという時は、昴が、コングを撃つ」









「う…ん…」
 自分の呻き声が、耳の奥でくぐもって聞こえた。目眩がして、肩や腕が痛む。
「おや、プチミント嬢がお目覚めのようだ」
「丁度いい、そろそろ起こそうと思っていたところだ」
 周囲がざわざわと騒々しい中、はっきりと聞こえた声に、新次郎は眼を開けた。ぼやけた視界が象を結び、二つの人影を映した。
 一人はブラントンで、もう一人はダブルのスーツを着た禿頭の男だ。どこかで見覚えがあるような気がしたが、思い出せなかった。
 それよりも、二人の向こうにある光景に、新次郎はかっと眼を見張った。

 そこには、コングがうずくまるように座り込んでいた。

 意識がないのか、じっと眼を閉じて動かない。その体は、輪の太さが新次郎の腕ほどもある鎖で、ぐるぐる巻きにされている。
 怒りで眼が眩んだ。怪我をしたコングに、なんてひどいことを。

 さらには、自分の両手が、杭のように突き立った二本の柱に手枷で縛られているのに気づく。これは何の真似だ、と叫びそうになって、新次郎ははっと息を止めた。
 ここは無力でか弱いプチミントのふりをし続けた方がいいかもしれない。相手を油断させられるし、何よりプチミントが男だとばれたらシアターに迷惑がかかる。
「…あっ、あのう、これはどういうことでしょう?お願いですから、放してくださいな」
 精一杯の裏声で、新次郎は心細げに言ってみた。
「君は今日からこのパラダイス・シアターの女優になるんだよ、プチミント」
 禿頭の男に言われて、四十丁目にある劇場を思い出した新次郎は、ここが舞台の真ん中なのを見てとった。照明が照りつけ、裏方たちが慌ただしく行き来し、背後の幕の向こうから楽団の練習する音もする。
「そんな…だって私はリトルリップ・シアターの…」
「書類など、いくらでもこしらえてやるさ。それより、もうすぐ幕が上がる時間だ。劇場前には、詰めかけた客が長蛇の列を成している。君の人気も花を添えてくれたようだ」
 禿頭の男が手を延ばし、新次郎の顎をくいと持ち上げる。うげっ、と思ったが、なんとか怯え顔を保った。
「せいぜい可愛い悲鳴をあげて、ショウを盛り上げてくれ」
 ふいに、がくんと足もとが揺れ、ゆっくりと下がっていった。床面が新次郎の目線を過ぎて遠ざかり、遙か頭上で奈落の蓋が閉じた。


 暗い奈落の底で、新次郎は必死に考えを巡らせた。置かれた状況はなんとなくわかった。どのくらい気を失っていたのか知らないが、せいぜい一日だろう。客が列を成すほどなら、リトルリップ・シアターのほうも事態を把握しているはずだ。
 ならば、何故助けが来ないのだろう?何か問題が発生しているのか。手枷の鎖を掴んでぐいぐいと引っ張ってみたが、柱も鎖も頑丈で、とても外せそうにない。いずれにしても、コングを置いて自分だけ逃げるわけにもいかなかった。






 夜が訪れたブロードウェイは、これからが本番、というようにネオンを瞬かせている。ちらつく粉雪の冷たさも、人々に楽しみを諦めさせることはできないようだ。
 あるものは毛皮の外套に身を包み、あるいは継ぎの当たったコートを着込み、ひとときの華やかなショウの世界を求めて、居並ぶ劇場へと足を向ける。彼らの姿は、今宵は特にパラダイス・シアターの、突貫作業で作った大看板の下に集中していた。
 しかし、結果的に赤い天鵞絨張りの観客席を埋めたのは、ボーナムのふっかけたチケット代を払えた裕福なものたちだった。宝石を胸元に煌めかせた女性、髪を撫でつけたタキシードの男性。開幕ベルとともに照明が暗くなると、自然とざわめきは止み、好奇と期待の空気が客席に満ちていく。
 スポットライトに照らされて、蝶ネクタイでめかし込んだボーナムが、マイクを握って現れた。
「紳士淑女の皆様!我がパラダイス・シアターが、今宵のショウを上演できることを誇りに思います。南米の密林から、多大なる労苦と費用をかけて、私が独自に入手したこの貴重な生き物は…」
 仰々しく長々しい嘘八百の弁舌が続いた後、ようやくボーナムが声を張り上げて宣言した。
「お待たせいたしました!いよいよ、世界第八番目の脅威、キングコングの登場です!」


 ドラムロールが鳴り渡り、ファンファーレに似た華々しい金管の音とともに幕が開く。
 現れたコングの巨体に、客席からはどよめきが湧いた。
「なんて大きいんでしょう!」
「まあ怖い!神様!」
「ありゃあ、本物か?さっぱり動かないぞ」
「ぬいぐるみじゃないのか?」
 緊張感を煽るような音楽が始まり、プチミントを乗せた奈落がせり上がってくると、顔に派手なペインティングをした大勢の黒人ダンサーがわらわらと登場した。腰簑や骨のアクセサリーをつけ、未開地の蛮族に仕立ててある。捕らえたプチミントをキングコングの生け贄にしようと、両手を振り、奇声をあげながら踊り回る。

 サジータが見たら激怒しそうな演出だ。新次郎は眉を顰めた。コングはまだ眼を閉じて動かないが、もし眼を覚ましたらきっと暴れてしまうだろう。なんとかこのまま眠っていてくれたら…。

 だが、ボーナムの方はそうは考えなかった。客席に広がる興ざめの空気を感じ取り、舞台袖でがなりたてていた。
「とっととキングコングを起こせ!動かなかったら、張りぼてと同じじゃないか!」
 慌てた演出助手が、梁に昇ってコングの耳元に爆竹を垂らし、火を付けた。
 ばんばんと銃声にも似たやかましい騒音に、コングがびくんと体をふるわせた。
「おおっ、動いた!」
「すごい!本当に生きてるぞ!」
 観客席から、拍手と歓声が巻き起こる。
 コングはうるさげに眉間に深い皺を寄せ、低く呻いた。そしてゆっくりと瞼をしばたたかせながら、ついに眼を開けた。





《続く》 




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