ミルクとハチミツ






 春先の穏やかな朝のまどろみから、新次郎の目を覚まさせたのは、馴染みのある甘い香りだった。
「あれ…?」
 嗅覚は、一人暮らしの住まいにはあり得ない状況を告げている。訝しげにベッドで身を起こすと、キッチンから昴がカップを持って現れた。
「おはよう、新次郎。目が覚めたかい」
「昴さん」
 驚いたふうの新次郎に、昴はゆったりと微笑んだ。
「朝食を一緒にと思って来たんだけどね…休日の君は随分と朝寝坊なんだな」
 テーブルにはピックアップベーグルの紙袋が置いてあった。
 アパートの鍵はクリスマスプレゼントのキーホルダーにつけてある。時折昴が気まぐれにそれを使って訪れるようになり、その回数を重ねるごとに、少しずつ二人の関係が進展していくような気がして、新次郎はうれしかった。
「えへへ、すみません。でも、朝から昴さんに会えて幸せです」
 受け取ったハチミツ入りホットミルクのカップに口をつけ、いただきます、と一口啜る。完璧なる天才の作るホットミルクは、温度もハチミツの甘さ加減も絶妙で、あたたかさが体の隅々まで染み渡った。

「ところで、君はいつもそんな刺激的な格好で寝ているのかい…?」
 新次郎の剥き出しの上半身にちらりと流し目をくれ、昴は鉄扇を開いて口元を覆った。
「え…?あ、あはは、やだなあ、ちゃんとぱんつは履いてますよ!」
 照れ笑う新次郎の、胸や肩の筋肉の細かな動きを、昴は瞳を狭めて鉄扇の縁から見つめていた。首やウエストは男性にしては細めだが、ぐいと左右に張り出した腕が、広い肩幅を作っている。プチミントの衣装が、肩幅をフリルや衿でカバーするデザインが多いのも道理だった。そしてやさしげな肩の曲線の内側は、剣修行で鍛えた筋肉の束だ。
「昴は思った…君の体はなかなか魅力的だ、と」
「昴さんたら、からかわないでくださいよ」
 新次郎は困惑顔でもぞもぞとシーツを腹の辺りにかき集めた。服を羽織るにはベッドを出なければならないのに、昴が身を乗り出すようにして近寄るので、出るに出られなくなる。
「ふうん…思ったより筋肉がついているんだね」
「ああ、それはもう、これでも鍛えてますから!」
 どうやら他愛ない話題に着地できそうだと安堵して、新次郎は得意げに笑い、片手をあげて力こぶを作ってみせた。
「さわっても、いいかい…?」
「どうぞ!固いですよ」
 ぐっと拳に力を込めて、新次郎が無邪気に二の腕を差しだした。
「…本当に…?」
 値踏みするような昴の眼差しに、むっと唇を結ぶ。
「本当ですって!ほら!」
 小ぶりながらもしっかりと盛り上がった筋肉の隆起に、昴がついと指先を滑らせた。そのまま、肩のまるみを辿り、ピアノの鍵盤を叩くように鎖骨を歩く。
「昴さん…?」
 不思議そうな新次郎の顔に、ふわりと昴の髪がかかった。
 軽く唇を合わせるだけのキスならば、おやすみの挨拶代わりに何度か交わしていた。だが、昴はそれよりも深く唇を割り込ませ、舌先を忍び入れた。
 びり、と新次郎の背筋がふるえた。
 昴の舌が、自分の口の中にある。とろとろと動く小さな肉の塊は、縦横に新次郎のそれに絡みつき、蠢いた。
「…ミルクとハチミツの味がする…」
 息を継ぎながら囁くと、再び唇が重ねられた。
 貪欲で鮮やかな舌の動きにぼうっとしながら、昴さんはキスも完璧なんですね、などと新次郎はぼんやり考えていた。首に回された昴の手が、襟足の髪の毛を弄んでいる。これはまだ寝ぼけて見ている夢なのか、今自分は息をしているのか、していないのか、そんな境界もあやふやだった。
 唇のラインを昴の唇がなぞり、顎の先にかりと歯をたてる。そのまま、耳元や喉のくぼみに、まるで仔猫が甘えるように、昴は鼻先を擦りつけた。
「あの、昴さん…どうしちゃったんですか…?」
「君の体はあたたかくて気持ちいい」
「はあ…」
「体の中がとろけそうだ」
「そうですか…」
「僕を欲情させた責任をとってもらうよ」
「よ、よ、よく、じょう???」
 直接的な言葉に、ようやく新次郎は差し迫った現状を思い知り、素っ頓狂な声をあげた。
「さわってもいいと言っただろう」
「それは、言いましたけど…」
 胸のなだらかな曲面をするすると撫でられ、肌と肌の触れ合う心地よさに一瞬思考が停滞する。答えのない新次郎に、昴はふと警戒するように問いかけた。
「…イヤなのかい?」
「イヤだなんて、そんな、ことは…」
 正直に言いかね、ごにょごにょと口ごもる。
 日頃、もう少し距離を縮めて、キスしたりふれあったりしたいものだと常々思っていた昴が、こうして自ら親密な態度を示してくれるのだ。うれしくないはずがない。
 とはいえ、唐突で性急な昴の積極さに戸惑っている事実は如何ともしがたく、胸の上を這う昴の指がぎょっとするほど白く見えたり、腹の上に感じるささやかな重みが切ないほどにはかなげだったり、さらにはしわくちゃのシーツで隠した起き抜けの生理現象を昴が気づいているのか否かなどと、どうにも落ち着かないのだった。
 しかし昴は、今度の新次郎の沈黙は都合よく肯定と解釈し、くすりと耳をくすぐる忍び笑いを漏らした。
「イヤじゃないならいい。昴の、好きなようにさわらせてくれないか…」
 胸元に顔を伏せ、肌色のゆるやかなカーブに唇を走らせる。
「あ…!」
 肋骨の縁の小さな花の形の痣を舐められて、新次郎は自分の漏らした声に自分で驚いて口を塞いだ。そこは霊力的に何らかの作用があるのか、渦巻くような熱い快感があった。ちらちらと舌先を動かして、顎の角度を変えたりしながら、昴が執拗に花を貪る。そのまま肌がこそげ取られて、穴が空いて、昴の舌が埋め込まれるように感じた。
 磁石の両極が砂鉄を吸い寄せるように、頬と下肢に血液が集まるのがわかる。欲望のままに力を増した機関が、ぴったりと重ねられた昴の腹を突き上げているのに気づき、新次郎は慌てた。
「あの、昴さん、離れ…わひゃあっ」
 昴の手がさらりと降りて、下着を押し下げた。バネ仕掛けの玩具のように、ぴょんと飛び出して天井を見上げる部分を、昴がさも興味深げにしげしげと眺める。涙のように滲んだ雫を指先で拭い、つるつると裏側まで撫でた。
「本当だ…固いね」
 にやりと悪戯っぽく笑う昴に、それは力こぶの話で…、と生真面目に返す間もなかった。
「あ、わ、はう、昴さん」
 意味を成さない新次郎の呻きなど意に介さず、生々しい機関にたおやかに手を添え、昴が唇を寄せた。
「だ、だめですっ、昴さ…っ!」
 襲いかかる快感の一撃に、思わず昴の頭に伸ばした手がぶるりとふるえる。これは痛みなのか、衝撃なのか。熱く溶けたハチミツを垂らされたような感覚に、新次郎は心臓の鼓動すら忘れたようだった。
 昴の可憐な唇がまるく開いて己の先端を包み、青黒く血管が走る円柱を、細い指先が輪を作って撫でている。さっきまで自分の唇にふれ、舌先に絡んでいた甘い熱が、己のもっとも敏感な部分を食んでいる。昴の舌に移し込まれたミルクとハチミツの味が、性器の先に染み入るような気がした。
 この上なく淫らな光景のはずなのに、まるで茶道の作法か雅楽の演奏でもしているように優雅なのだから、流石は昴さん、と奇妙に感心しながら、新次郎は苦痛に堪えるように呻いていた。全身の毛穴が開いたかのように、どっと汗を噴くのがわかる。腿や尻の筋肉がきりきりと引きつれ、わななく指は昴の髪をぐしゃぐしゃにして撫で回していた。
「ひゃ、あ、昴、さん、だめ…!」
 ふいに、新次郎がぐいと昴の顔をもぎはなした。同時に、勢いよく飛び出した白濁が、昴の頬と髪をかすめて散った。
 荒い息を飲み、新次郎は今にも泣き出しそうな顔になった。
「すみません、すみません、こんなつもりじゃ…」
 必死に詫びながら、慌ててシーツを掴んで昴の頬を拭う。その手が、小うるさげに払いのけられた。
「鈍感も、過ぎれば罪悪だ」
「え…?」
「まったく…君ってやつは、どうしたものやら」
 乱された前髪をかき上げ、指で梳くと、新次郎のうろたえ顔に向かって昴はふうと溜息をついた。

「こうすれば、わかってくれるかい…?」
 昴はおもむろにスーツのボタンに手をかけ、脱ぎ始めた。
「す、昴さん、何を…」
 シャツの前をはだけ、足から引き抜いた半ズボンを、無造作に肩越しに放り投げる。ついにやわらかな谷間を露わにして、昴は己の性別を明かした。
「う、わ、昴さん…」
 新次郎の手を取り、胸元に導いて、あるかなきかのふくらみに押し当てる。もう片方の手は再び起きあがっていた新次郎を握りしめ、その先端で足の奥の小さな突起を捏ねた。
「昴は、言った…君を知りたい、と。君を感じて、君を味わって、君と繋がりたいんだ、大河、新次郎」
 訪なう戸口は、しっとりと熱く濡れている。ちゅ、ちゅ、とキスするようなノックの音を経て、新次郎は迎え入れられた。
「ん、く…っ」
 小さく呻き、苦しげに眉根を寄せた表情に、新次郎は狼狽した。
「昴さん、無理をしないでください」
 心配そうに頬に伸びた手を、昴が掴んだ。
「君のやさしさは知っているが、使いどころを間違えるな。昴の好きなようにさせろ、と言っているだろう」
 ゆっくりと腰を揺らし、少しずつ慣らして広げるようにして、新次郎を飲み込んでいく。
 ようやくすべてを受け入れると、昴はどこか遠い彼方を見やるように、うっとりと新次郎を見上げた。
「ああ…君を感じる。君が、僕の中にいる…」
 かすれた声を零して、昴は悩ましげに踊った。背中を反らし、伸び上げ、また深く体を沈める。指を噛み、髪を振り、新次郎の手に口づけたり指を舐めたりして弄んだ。その姿はさながら、羽化する蝶のごとく潤沢な躍動感に満ち、白い肌から立ちのぼる色香は、透明な輝きを星のように放っていた。
 その美しさに見とれながら、目映い快感に、新次郎はただ酔いしれた。
 眠くもないのに、瞼が重い。嗄れた呻き声は、とても自分の声には聞こえない。気づけば、昴に合わせるように腰が揺れている。
 まるで、日だまりの中を、昴と二人、ボートを漕いで波に揺られているような、穏やかで不思議な幸福感があった。
「…ああ、新次郎、っ…」
 昴の声に煽られるように、二人の間で練り上げられる波が、ふいに強くうねって押し寄せる。
「あ、あ、昴さん……は、あっ…!」

 やがて打ち上げられた岸辺に体を並べて横たわり、大きく胸を上下させながら、新次郎の顔を覗いた昴は、余韻に輝いていた顔をふと陰らせた。
「何だか、不服そうな顔をしているね…満足しているのは昴だけで、君は違うようだ」
「いえ、そんな、わけでは…ただ、その…」
 言い淀んで、新次郎は途方に暮れた。自分でもうまく説明のつかないこの感情は何だろう。昴の好きに弄ばれて男の沽券に関わるというような単純なものでもない。むしろ、自分からは何もできずに、昴に奉仕させてしまったような後ろめたさのほうが近かった。

「なるほど…確かに、昴が些か強引だったことは詫びておこう。恋愛関係は対等かつ公平であってしかるべきだ」
 そう言って、昴は新次郎にしなだれかかり、悪戯っぽい眼差しで見つめた。
「今度は君が、昴を好きなようにして、…いいよ…?」
 恥じらいと挑発を孕んだ表情が、新次郎の心臓を鷲づかみにした。






《了》












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