チョコレート・パニック
(1) 立春を過ぎてもまだ風は冷たく、雪がちらつく日もある。 だがガラス窓から差し込む陽射しは確かに春の訪れが近いことを感じさせる、そんなある日のことであった。 「桐島カンナさん、マリア・タチバナさん、楽屋まで来てください」 館内放送で呼び出されたふたりは階段のところで出会い、連れだって楽屋へと赴いた。 「あたい達ふたりだけだなんて、何だろ?」 「さぁ・・・」 などと言いながら、暢気な様子でドアを開ける。 「あっ、待ってましたふたりとも」 ふたりを出迎えたのは、張り切った様子の由里と、どこか気ぜわしい空気と、そして大量のチョコレートの山だった。 「な、何だこりゃ?」 「バレンタインのチョコレートです」 せっせと仕分けする手を休めずに、かすみが答える。 「今週に入ってから、劇場を訪ねるお客さんのほとんどはチョコを持った方なんですよ」 売店担当の椿も、今日は手伝いにかり出されているのだと言う。 「椿、売店の方はどうしたの?」 「それは大神さんにお願いしてありますから」 マリアの頬がさっと赤くなるのをカンナは見逃さなかった。が、素知らぬ顔で、 「で、あたい達にも手伝って欲しいってわけだな。おし、まかせとけ」 腕まくりしながら部屋に上がった。 だがそんなカンナを由里は押しとどめると、 「違いますよ。カンナさんに手伝ってもらったら、ますますわけわかんなくなっちゃうわ」 などと失礼なことを言う。 「あんだと由里?」 「おふたりはチョコレートを持って帰ってもらおうと思って呼んだんです。何しろ此処にあるチョコのほとんどがカンナさんとマリアさん、それにレニ宛なんですから」 「もちろん他の方宛のもありますけど・・・さすがに男役スタアおふたり宛の数は群を抜いてますから、、仕分けした分だけでも持って帰ってもらうと助かるんです」 「ご心配なく、あたしちゃーんと統計取ってますから。今年は誰が一番かしら、やっぱりマリアさんかな〜」 「由里、口ばかり動かしてないで早く仕事に戻りなさい」 かすみにたしなめられ、由里はぺろりと舌を出すとチョコレートの山に分け入った。 「それじゃ、とりあえず持って帰りましょうか。椿、私たちのはどれなの?」 「はいっ、こちらがマリアさん、で、こちらがカンナさんのです」 椿が指し示した山を見て、 「こ・・・これが?」 マリアが思わず絶句する。 「おい椿、こりゃ何かの間違いじゃねえか?」 こちらは自分のと言われた山を前にしたカンナのセリフだ。 「間違いじゃありませんよ、たしかにこっちがカンナさんで、こっちがマリアさんのです」 「いや、そう言う話じゃなくってよ・・・」 「あれ?違ったかな?」 椿は立ち上がった。が、長い間正座でいたので足がしびれたらしく、 「あ・・ぁっ?」 ふらりとチョコの山に倒れかかった。 「危ない!」 側にいたマリアが椿を抱き留め、事なきを得る。 「ありがとうございます、マリアさん」 「気をつけなさい、椿」 「転んでも平気ですよ、畳の上ですから。それより、チョコの山が崩れなくてよかった」 椿は無邪気な笑顔で言う。マリアは小さくため息をつくと、 「これ以上いると迷惑かけるばかりだわね・・・カンナ、さっさとこれを持って行きましょう」 とカンナを促した。 「おう、そうすっか。かすみ、由里、椿、迷惑かけたな」 「いいえ、これも仕事ですから」 「そうそう、それにあたし達も役得がありますし」 「役得?」 「・・・由里?」 かすみに睨まれ、 「と・・何でもありませ〜ん」 由里が慌てて口元を押さえる。 ふたりは再び顔を見合わせたが、ともあれ荷物を抱えると、 「では、お気をつけて!」 椿にドアを開けてもらい、よろよろと楽屋を出て行った。 「ま、前が見えないわ・・・」 マリアが呻く。何しろ両腕に4つも大きな紙袋を下げているうえ、入りきれなかった分を更に抱えているのである。崩れないように顎先で押さえているものの、その顎も半分上向いている状態だった。 「気をつけろマリア、階段踏み外すなよ・・どあぁっ?!」 「カ、カンナ?!」 「ふぅ〜間一髪だったぜ〜」 「もう・・カンナこそ気をつけなさいよ」 「おう。しっかし、すげえ量だなマリアのチョコ・・・」 「カンナだって同じじゃない」 「マリアには負けるよ。だってあたいが持ってるチョコは胸んとこまでだけど、マリアのは鼻まで来そうじゃねえか。それって身長の差だけじゃねえと思うぜ」 双璧とは言われるものの、チョコの量はやはりマリアのそれには及ばないのであった。 「困った風習ね・・・いったいいつからこんなことを始めたのかしら」 「まぁ平和なのは結構なんだけどよ。おし、着いたぞ。じゃあな、マリア」 「ええ、カンナ」 カンナと別れたマリアはそろそろと歩いて部屋に戻った。ドアを開けるのにひと苦労したが、ふとカンナが足で開けていたのを思い出し、真似をして器用に開けて無事中に入る。 「ふう・・・」 部屋の片隅にチョコを置いて、マリアは深々と息を吐いた。 バレンタインはここ数年、女の子が好きな人に告白出来る日として、急に人気が出てきたイベントである。 「いくら日本では女の子から告白する習慣がないからって、これは趣旨をはき違えてるとしか思えないわ」 呆れ顔で呟きながら、しかしとマリアは思った。 そのイベントにしっかり便乗している私が、偉そうに批判することはできないわね・・・ マリアはコートのポケットを探った。と、怪訝そうな表情を浮かべ、もう一度探ってみる。 「・・・・!!」 翡翠の瞳が愕然と見開かれ、色白の面は見る間に青ざめていった。 「ったくよう、このままじゃ寝る場所もなくなっちまうぜ」 カンナはチョコレートを部屋の片隅に積み上げていた。布団を使用しているカンナにとって、床面積の減少はすなわち就寝スペースの圧迫となる。迷惑なことであった。 ぶつくさ言いながら作業をしていると、 「カンナ!!!」 ドアが勢いよく開け放たれ、慌てた様子のマリアが駆け込んできた。 「お、おいおいマリア、靴を脱いで上がってくれよ・・・」 だがマリアは青ざめた表情でカンナの肩をつかむと、 「チョコが、チョコがないの!私のチョコが!!」 必死な勢いで言い募った。 「・・・マリア?」 長いつきあいだが、此処まで取り乱したマリアを見るのは初めてであった。 「落ち着けよ、マリア。チョコって、さっきもらってきたやつのことかい?」 「違うわよ、私が隊長にあげようと買ってきたチョコのことよ!」 「・・・・えっ?」 「あっ・・!」 慌てて口を押さえるが、時すでに遅しだ。 見る見る赤くなるマリアを見ながら、カンナは半ば呆れ顔でため息をついた。 (2) 「そりゃ薄々感づいてはいたけどよ・・・」 しょんぼりと座り込むマリアにお茶を差し出しながら、カンナは言った。 「まさかマリアまでバレンタインするなんて、思ってもみなかったぜ」 「だって・・・」 「て言うより、まだその程度の関係だったってのが驚きだな〜。あたいはもうてっきり、マリアと隊長はできてるもんだと思ってたぜ」 「そ、そんな言い方しないでよカンナ、恥ずかしいじゃない」 「へいへい、そりゃ悪うござんしたね」 どっかとあぐらをかきながら、さて、とカンナは茶をすすった。 「とにかく、楽屋へ行くまではポケットの中にあったんだろ。で、マリアがもらったチョコの中にも、あたいんとこのチョコの中にもマリアのチョコはなかった。 ということは、楽屋のチョコの中に紛れてるってこったな」 「ええ、そうね・・・」 「そんじゃ、こいつを飲んだらさっそく探しに行くか」 「でも、カンナ・・・」 「あんだよ、今更妙な遠慮はなしだぜ?」 カンナはマリアの瞳をのぞき込んで笑った。 「ひとりで探すより、ふたりで探した方が見つけやすいって。それに、早くしないと今日が終わっちまうし、その間に他の誰かに隊長かっさらわれちまうかもだぜ〜?」 「カ、カンナ、それは・・・」 青ざめるマリアを見て、カンナは少し後悔した。 「ごめん、言い過ぎたよ」 謝罪のつもりか、マリアの頭をぽんぽんと叩く。 「とにかく頑張って探そうや。大丈夫、必ず見つかるって。あたいを信じろよ、マリア」 「カンナ・・・ありがとう」 「礼はチョコが見つかってからだぜ。んじゃそろそろ出かけようか」 「ええ」 ふたりは立ち上がり、部屋を出ていった。 再び楽屋を訪れたふたりの目に入ったのは、先ほどとは打って変わったがらんとした部屋と、そこをせっせと掃除している椿の姿であった。 「あっ、カンナさんにマリアさん。どうしたんですか?」 「椿、ここにあったチョコレートは?」 「仕分けが済んだので、みなさんに引き取ってもらいました」 「へえ・・・さすがは帝劇事務局、仕事が早えなぁ〜」 「・・・カンナ」 「と、感心している場合じゃなかった。椿、邪魔したな」 楽屋を出て、ふたりは顔を見合わせた。 「どうする?とりあえずみんなのとこを当たってみっか?」 「え、ええ・・」 「んじゃ数の多い方から攻めていこうか。まずはレニだな」 そこでふたりはレニの部屋へ向かった。 「やあ、ふたりで来るなんてどうしたの?」 招き入れたレニはわずかに驚いたような顔をした。 「実はさ、マリアが買ってきたチョコが、楽屋の差し入れのチョコに紛れちゃったみたいなんだ。レニ、さっき楽屋からチョコもらって来たろ?よかったら確かめさせてくれないかな」 「・・・マリアが買ったチョコ?」 レニの眉がぴくりと動く。 「ええ、レニ」 「誰に?」 「そ、それは・・・」 「答えて、マリア」 返答に詰まるマリアを見かねて、 「あ、あたいにだよ」 とカンナが助け船を出した。 「あたいがど〜しても欲しいってマリアに頼んで、買ってきてもらったんだ」 「マリア、カンナにバレンタインのチョコを買ってきたの?」 驚いたようなレニの声音に、 「え、ええ・・・実はそうなの・・・」 もう少しましな口実を考えてくれないものかと思いながらマリアが答える。 「ふ〜ん・・・」 レニは口をつぐみ、指で銀色の巻き毛をくるくると弄んだ。 「レニ、あたい達の頼み、きいてくれるかい?」 カンナの声に、レニは顔を上げた。そしてハッキリと、 「やだ」 と拒絶した。 「えぇ?ど、どうしてさレニ?」 「プライバシーは尊重されるべきだ、ボクは自分宛に来たチョコレートを無闇に他人に見せたくはない」 「そ、そいつはそうかもしれねえけど、でもよう・・・」 「承諾するのも拒否するのもボクの自由だよ。とにかくボクは断る」 「レニ・・・」 普段ならこの分からず屋めと怒り出すところだが、お願いしている身としてはそういうわけにもいかなかった。 カンナが懸命に説得の言葉を考えていると、マリアがその袖をくいと引いた。 「カンナ、行きましょう」 「え、でもマリア・・・」 「レニ、確かにあなたの言うとおりだわ。邪魔してごめんなさいね、私たちもう行くから」 そう言うと、きびすを返し歩き出す。 「お、おいマリア・・・」 慌ててカンナが後を追うのと、 「待って、マリア」 レニが声をかけるのが同時だった。 「その、別に絶対に嫌だというわけじゃないよ・・・」 「本当?」 マリアが嬉しそうに振り向いた。 「じゃあ、どうしたら見せてくれるの?レニ」 「それは・・・ボクの頼みを聞いてくれたら・・・」 「わかったわ。それはなあに、レニ?」 マリアは身をかがめるとレニの目線に目の高さを合わせ、優しく笑いかけた。 途端にレニは顔を赤らめ、 「・・・ここじゃ言えない・・・」 もごもごと口ごもる。 「そう、それじゃあなたの部屋の中で聞きましょうか?」 「う、うん・・・」 マリアはレニの肩を抱いて、部屋に入りかけた。 「あ、マリア・・・」 「カンナ、あなたは此処で待ってて」 レニにわからないようにウインクし、後ろ手でドアを閉める。 「マリア・・・相変わらずやるときゃやるなぁ〜」 呆れ顔でつぶやいたカンナは、仕方なく部屋の外で待つことにした。だがそう我慢強い性分ではないので、たちまち飽きてしまい、 「ん〜〜、気になるなあ。中で何してんだろ・・・」 ドアに耳をくっつけて、中の様子をうかがってみた。 「・・・もっと思い切って出した方がいいわね・・・」 「でも、恥ずかしいよ・・」 「大丈夫よ、すぐに慣れるわ」 「そ、そう・・?」 「レニ・・・かわいいわよ・・・」 「マ、マリア・・・やめてよ・・・」 「あら、最初に頼んだのはレニよ?覚悟なさい・・・」 「あっ・・・」 「ふふ・・・ほら、ここをこうして・・・」 「あ、や、やだ・・・」 「?!?!?!」 カンナは目を白黒させた。 「な・・・な、何してるんだ・・・?」 そのまま石のように固まってドアの前に張り付いていたが、 「やめてよマリア・・いやだったらぁ・・・」 その声にたまらず、 「ちょっと待ったぁ!!」 カンナはドアを開けて飛び込んだ。 「えっ?!」 「あっ、カンナ・・・」 きょとんと振り向いたのは、かわいらしいワンピース姿のレニと、頭にリボンをつけようとしているマリアの姿だった。 「にゃ・・・にゃんだとお・・・・?!」 へなへなと座り込むカンナに、 「カンナどうしたの?」 マリアが怪訝そうに声をかける。 「な、何してんだよマリア・・・」 「レニに頼まれて、おめかしをしてあげてたのよ」 マリアはどことなくうきうきした様子で答えた。 「レニ、この間かえでさんにワンピースとリボンをもらったらしいの。でも自分一人じゃ恥ずかしくて着られないっていうから、私がお手伝いしてたのよ。ね、レニ?」 「う、うん・・・」 「さっき出すの出さないのって言ってたのは、ありゃ何だよ?」 「ええ?ああほら、おでこよ。レニっておでこを出した方がかわいいと思わない?」 「やめてよマリア、恥ずかしいよ・・・」 もじもじしているレニを、カンナはあらためて眺めた。 「へえ・・なるほど。レニって意外とでこちんなんだな〜」 「カ、カンナ・・・」 「でもそうやっておでこ出してリボンすると、すっげえかわいいぜ。ワンピースもよく似合ってる」 「そ、そうかな」 「ほらね?私が言ったとおりでしょう?さあ出来た。どうカンナ、私の自信作は?」 マリアは誇らしげにレニをカンナに見せた。 「うん、すごくいいよ。レニ、かわいいぜ」 カンナは目を細めると、レニの頭をなでようと手を伸ばし、 「ダメよ、リボンが崩れるわ」 マリアに叱られ慌てて引っ込めた。 ひととおり落ち着いたのを見計らって、 「・・・レニ、これでチョコを見せてくれるかい?」 カンナはおそるおそる申し出てみた。 「ああ、いいよ。そこにあるから好きなだけ探して」 指さされた方には、乱雑に投げ出されたチョコの山があった。 「んじゃ遠慮なく・・・・」 かがんで一つずつ調べながら、 「(次は部屋の片づけを教えた方がいいんじゃねえか?)」 カンナがそっとマリアにささやき、 「(私もそれを考えてたのよ)」 マリアはうっとり鏡を見つめているレニを見て、小さくうなずいた。
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