マリアのばか






 それは、マリアがたまたま、大神の代わりに事務室の資料の整理を手伝っていて、昨年の新聞記事を眼にしたのがきっかけだった。



 「4月1日はエイプリルフール(四月ばか)と言って、西洋の風習で公然と嘘をついてもいい日となっている…」



(あら…今日じゃない)
マリアは、壁のカレンダーを見て確かめた。
(嘘をついてもいい日だなんて…何かみんなをびっくりさせるような他愛ない嘘はないかしら)
くるりと瞳を動かしてマリアは考えた。
 日頃のマリアなら気にとめなかったかもしれない。だが、
(おめえはかたっくるしくていけねえや)
先日の宴会での、酔った米田の声が今も耳に残っていた。
(別に、好きで固いわけじゃないわよ…ただ…どうすればいいのかわからないだけ…)
マリアは唇をきゅっと結んだ。
(私だって、冗談で嘘のひとつもつけるんだから。いつまでも怖いとか暗いとか辛気くさいとか言わせておかないわ)
誰が言ってるんだか知らないが、マリアはその通りの深刻な顔で決意すると、にっこりと笑顔に転じて、隣であくびを噛み締めている由里に話しかけた。

「ねえ由里、他のみんなには内緒よ。私、実は…」



 その人選がどうもまずかったとマリアが気づくのは、数時間の後のことだった。


 由里は、マリアが去った後の事務室でさんざん話に花を咲かせた後、紅蘭にこの話をした。紅蘭はアイリスに話し、アイリスはさくらに話した。そして、すみれ、カンナとめぐって、最後には大神の耳に入った。




 丁度休日と重なったのを幸い、マリアはふらりと帝劇を出て横浜まで足をのばした。
 ニューヨーク時代の旧友のカフェへ行き、ランチを頼もうと何げにメニューに目をやったマリアは、思わずぎょっとなって固まった。



   Menu

   ==========

  いもりの黒焼き ¥00
  とかげの姿煮  ¥00
  かえるの躍り食い…


 呆然とメニューを掴んでいると、旧友がやってきて、さっとメニューを取り替えていった。いつものメニューの下には「本日エイプリルフール」と書いてある。
 驚いて彼女を見ると、いたずらっぽい笑みとウインクが返ってきた。

「なるほど…嘘ってこうやってつくのね」
きっと相手を選んでやっているのだろう。客商売なだけに、下手に仕掛けて怒らせるわけにはいかない。

(私がついた嘘はあれでよかったかしら)
マリアはふっと心配になった。
(………大丈夫よね。誰にも迷惑がかからない、ささやかな嘘だもの)
頭の中で先ほど由里に囁いた言葉を反芻し、マリアは一人うなずいた。

(他のみんなには内緒よ。私、実は昨日美容院で髪を切りすぎてハゲができちゃったの。見えないように必死で隠してるのよ…)

 なんかもう少しましな嘘はなかったのだろうかと本人も少し反省しつつ、マリアはランチの後旧友と長話をし、ウィンドウショッピングをしながらぶらぶらと銀座の大通りを歩いて帰った。


 マリアが帝劇に戻って来た時には、もう夕刻もせまっていた。

「…?…」
帝劇の玄関口が騒がしいのに気づき、マリアは歩道を渡る足をとめた。なにやら記者らしき人々が激しく出入りをしている。

「帝劇の男役スター、マリア・タチバナ急死!朝刊空けとけよ!」
耳に飛び込んだ言葉に、愕然とした。
「え…?」

 何が何だか、わけがわからなかった。
 マリアはハンカチを取り出して頬っかむりをし、身をかがめて玄関の人だかりに紛れこんだ。
「あの…何かあったんですか…?」
声をひそめてそっと尋ねた野次馬の返事に、マリアは思わず大声をあげてしまった。

「ええっ!!??マリア・タチバナがストレスの余り円形脱毛症になってそれが悪化して総ハゲになって世をはかなんで出奔のうえシベリアで遭難して北極に流れ着き襲い来るシロクマと格闘するもののエンフィールドの撃鉄が凍っていたため無力に惨敗して氷山の下に散ったあ〜〜〜?!」

 見ると、ロビーには大きな自分の写真が黒いリボンに縁取られて立てかけられ、白い花があふれんばかりに周囲を飾っていた。
 その前で泣き崩れるのは、大神をはじめとする、花組の仲間たち…。
「マリア…バカやろうっ…!なんで親友のあたいにひとことも相談してくれなかったんだよう…!」
「マリアはん…ウチにゆうてくれたらごっつ効く毛生え薬その名も『ふさふさくん』を発明したったのに…」
「マリア…一番年上だって知ってたけど、ハゲちゃうほどトシだったなんて…アイリス、ショックだよ〜〜」
「マリアさん…すみません…こないだトウシュウズに画鋲いれたの、あたしです…!ごめんなさい……あんなことしなきゃよかった…!」
「マリアさん…スタアとしても、失格ですわ…!女優ならハゲの一つや二つや三つや四つ、気合いで治してみせるものですわ!」

「マリア…俺は…君のことを……心から…」
大神が男泣きに泣いているのを見て、マリアはずきん、と疼く胸の痛みに喘いだ。
「まだ、はっきり言ってなかった…君と一緒にロシアに行こうと思って…その時に、ちゃんと気持ちを伝えるつもりだった…だけど…もう…」
おもむろにズボンのポケットに手を突っ込み、大神は歯を食いしばって呻いた。
「くそうっ…こんなもの…!」
大神が、船の切符らしきものを取り出してびりびりと破り捨てるのを、マリアは指を4本がっぷりとくわえてただ見ているしかなかった。


(で、出られない…)
マリアはたらたらと汗をかいた。
(こんなに、みんなに悲しんでもらって…今更出ていけない…。でも、なんでこんなことに…私がついた嘘は、ほんのささやかな…)
 そのとき、愕然と立ちすくむ、人混みからにょっきりひとつ飛び出た頬っかむりの頭を、大神が見つけた。
「……マリア!?!?!?」



 その後、新聞記事は急遽差し止められ、誤報が帝都に流布することは避けられた。
 もっとも、何やら悲惨な罰当番をくらったマリアの悲鳴が夜な夜な帝劇から聞こえて来るというウワサの、真偽のほどは定かではない。









《ちゃんちゃん。》








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