始まった想い



 水狐との戦いから半月が経った。外はめっきり寒くなり、町の人間は夏服から冬服へと、すっかり衣替えをしていた。帝國華撃団・花組メンバーも例外ではなかったが、すみれに織姫の服装は肩を外気に晒していて、カンナに至っては何処が冬服なのかと突っ込みを入れたくなる。もっとも、そんな指摘をされてもすみれと織姫は外見にこだわって強がりを言うだろうし、カンナはケロリとしているだろう。

 ある日の午後。帝國劇場の中庭でレニがフントと遊んでいた。フントはしきりに腹を撫でられるのが嬉しくてたまらないという風に、甘えた声で鳴きながらレニの手にじゃれついている。対称的にレニの方は憂鬱そうな顔をしている。このところレニの様子はどこかおかしかった。何となく大神の事を避けているようなのである。顔を合わせてもすぐにいなくなってしまい、話しかけても二言三言交わすだけで、そそくさとどこかへ行ってしまう。最初はレニがまた感情を殺してしまったのかと思ったが、すぐにそうではない事がわかった。大神を避けるときのレニは会うのが怖いといった表情を浮かべているのだ。一体何があったのか、さまざまな推測が飛び出したが、あくまで推測なので、どれもこれだというものはなく、無責任な発言をする者までいた。レニ本人に聞こうとしても逃げてしまうので、聞き出せないでいた。結局、原因はわからぬままだった。

 「レニ」
 声が聞こえた方を振り向くと、そこにはかえでがいた。
 「フントと遊んでいるの?」
 「・・・う、うん・・・・・・」
 かえでの質問にぎこちなく答えるレニを気にする風でもなく、かえでは側に来ると、
 「ふふ、嬉しそうねフント」
 と、尋ねた。フントは答えるかのように、ワン、ワン、と鳴いた。かえでは満足そうに微笑むと、
 「レニ。少し、話したいことがあるの。九時になったら、私の部屋に来てくれないかしら」
 と尋ねた。レニは答えず、ただコクンと頷いた。
 「それじゃ、待ってるわね」
 そういうと、かえでは中庭から出ていった。
 
 レニがかえでの部屋に来たのは、時計の針がきっかり九時を指した時だった。相変わらず、そういうところはレニらしい。ノックすると、中から返事が返ってきた。
 「どうぞ。開いてるわよ」
 部屋にはいると、かえでは紅茶を入れているところだった。
 「そこに座って。すぐにできるから」
 かえでにすすめられ、きちんと行儀良く椅子に座る。
 「さあ、どうぞ」
 かえでからティーカップを受け取り一口飲むと、紅茶の熱が身体の芯から指先の隅々まで行き渡るのを心地よく感じる。紅茶を飲み干すと、一息ついたとばかりに微笑を浮かべた。
 「レニ、あなた最近大神君のこと避けてるようね」
 かえでが尋ねると、レニの顔から笑みは消え、暗い表情で俯いた。
 「大神君は何かあなたを怒らせるようなことをしたんじゃないかって心配しているわ」
 「隊長が・・・・・・」
 「何があったのか話してくれないかしら」
 レニは黙っていたが、しばらくして、たどたどしくではあるが、話し始めた。

 レニが言うには、最近自分の体調がおかしいという。突然、運動をしたわけでもないのに、大神を見かけると急に心臓の鼓動が早くなり、身体が熱くなってくる。いつの間にか、大神のことを探しているときがある。体調がおかしいだけではない。大神が他のみんなと楽しそうにしていると、何故か不愉快な気持ちになる。いろいろと検査してみたが、何処も悪いところはなく、医療ポッドに入っても治らない。そのため原因がわからないまま大神と会うのが怖くなり、接触を避けるようにしたというのだ。
    
 「・・・かえでさん、僕どうなってしまうんだろう」
 不安そうに見ると、かえでは口元に手をやり、クスクスと笑っている。さすがのレニも少しムッとなった。人がやっとの思いでうち明けたというのに、何故この人は可笑しそうに笑っているのだろう。もしかすると、不治の病に掛かったのかもしれないのに・・・・・・。かえではレニが恨めしそうに自分を見るのに気付くと、笑うのをやめ、ご免なさいと謝った。しかし、まだ可笑しいらしく、手で押さえた口元から笑い声が漏れる。
 「ご免なさい、レニ。けど、あなたが病気だと思うのも無理ないわね」
 「え・・・?」
 「レニ、あなたの不調の原因はあなたが恋をしているからよ」
 「・・・僕が・・・恋・・・・・・」
 レニは、まさかこれが恋によるものだと考えても見なかった。恋なら辞書を読んで知っているし、舞台で恋の演技を何度もしている。しかし、それはあくまで知識と演技であり、実際に経験したことはなく、今まで機械のように生きてきたレニには必要なものではなかった。
 「かえでさん、どうすれば収まるの」
 「・・・・・・難しいわね。こればかりはどうにもならないわ」
「そんな・・・・・・」
 水狐との戦いをきっかけに、少しずつではあるが、自分の感情を表に出すようになってからは驚きの連続だった。話しているとき、自分の思ったこと、感じたことを言えば会話は弾み、食事をしているときに美味しいの一言を言うだけで作ってくれた人は喜び、食事を共にする人と楽しみを共有する事が出来る。どんな些細なことも、今のレニには何もかもが素晴らしく、眩しく輝いて見える。それを教えてくれたのは花組の仲間と大神だった。 体調がおかしくなるのは構わない。だが、大切な仲間達を守るために戦うと決意したのに、大神と他のみんなが仲良くしているのを見て不愉快な気持ちになるのはたまらなく嫌だった。なんてひどい感情なのだろう。人の心との交流を学び始めたレニがそう思うのも無理はなかった。いっそのこと、前と同じように感情を捨ててしまおうかとさえ思った。
 「・・・僕は・・・・・・こんな感情、いらない・・・」
 今にも泣き出しそうなレニの心の機微を見て取ったかえでは、両手を包み込む様にとると、諭すように優しく言った。
 「レニ、せっかく心を開いたのに、そんなことを言ってはダメ」
 「でも・・・」
 「もし、前に戻ってしまったら、みんな悲しむわ。それでもいいの?」
 かえでの問いに、レニはただ力無く首を横に振るばかりだった。もう、どうしていいのかわからなかった。
 「大丈夫。大神君とみんなが仲良くしているのが嫌だからと言って、みんなを嫌いになった訳じゃないでしょう」
 「・・・うん」
 「まだ心を開いたばかりだからわからないかもしれないけど、人ってね、そんな風に思うときがあるの」
 「・・・・・・」
 「焦ることはないわ。いずれ、あなたにもわかるときが来るから」
 かえでの言葉に、レニは頷く。そうだ、焦ることはない。感情を表すことを肯定するのに、随分と時間が掛かったのと同じように、この気持ちも少しずつ学んでいけばいい。答えを出すのはそれからでも良い。そう思うと、何か心につっかえていたしこりのようなものが、すうっと消えていくのを感じた。
 「ありがとう、かえでさん」
 感謝の言葉に笑って答えるかえでのそれは、知るはずのない母の面影を見るようだった。 
 これから先、レニが自分の心に芽生えた想いをどうするのかは、わからない。ただ言えるのは、これが始まりだということ。そう、それは始まったばかりである。





END




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