氾濫







(カンナ…)
(起きて、カンナ…)


しなやかなアルトの声に目覚めたカンナが、最初に気づいたのは、睫毛がもそもそと何かに触れる抵抗感だった。

 頭の後ろに、ごろごろと結び目のようなかたまりがあるのを感じる。瞳をこらしても何も見えない闇。目を布で覆われているのだと、カンナはようやく気づいた。


 耳に、熱くぬめったものが触れ、カンナは小さく叫んだ。
「わっ」
あわてて拭おうとして、手足が動かないのに気づく。ひどい二日酔いにでもなったように、全身がだるく、力がうまく入らない。そして、素肌に直接触れる、ひんやりとした空気。

(あたいは、部屋でマリアと飲んでたんだ…マリアが酒を持って来て…)
(そしたら、マリアがいきなり…キスしてきて…)
舌先で押し込まれ、動転する間に嚥下してしまった、小さな異物。
(な、何を飲ませたんだ、マリア…!)
マリアの穏やかな笑みが、やがて揺らぎ、ぼやけて…。

「マリア…?あたいに、何をしたんだ…?」」
くくっ、と喉の奥でくぐもった声が、闇のとばりの向こうから聞こえてくる。一瞬、すすり泣きかと思ったが、マリアは声を殺して笑っているのだった。
「…心配しないで、カンナ。効き目の短い弛緩剤だから…。だって、あなたの力で抵抗されたら、私なんて吹っ飛んじゃうもの」
「何の真似だよ、マリア…!」
再び、低い忍び笑いが、耳にねっとりと絡んで来た。

「私、さっきまで、隊長に抱かれてたの…」
そう言って、マリアは喘ぐように、濡れたため息を、ゆっくりと吐いた。
「…素敵だったわ…。カンナ…昼間は、ごめんなさいね…。私、自分からするのって初めてで…どうしていいかわからなかったのよ」
しんなりともたれかかってくる、マリアのやわらかな重み。
「マリア…?」
「悪いわね、カンナ。隊長は私のものだから、同じ幸せを分けてあげられないけれど……。今度はもっと上手にしてあげるわ…」

 ふわりと湿ったものが、唇に覆い被さった。マリアの唇だと気づき、カンナが咄嗟に口元をきつく引き結ぶ。だが、ひんやりとした感触の隙間から、熱い舌先がちろちろとくすぐってきて、カンナはあえなく唇を開き、耐え切れずに吐息を漏らした。
 すかさず、ぬめった固まりが入り込んでくる。噛みしめたカンナの歯列を、溶かし、こじ開けて、誘い出した舌先を吸い上げる。びりっ、と痺れるような刺激に、カンナの脳裏に白い閃光が瞬く。
「…やめろよっ!…でかい声で騒ぐぞ」
ようやく唇が離され、呼吸を取り戻して喘ぎながら、カンナが息巻いた。
「あら、それは困るわ。あなたは今裸だし、私もこんなところをみんなに見られたら、どんな騒ぎになるかしら…」
聞き慣れない、マリアの、いたずらっぽい囁き。
「あなたは、そんなことしないわよね…」
見透かすような甘えた声に反論しようと、カンナは口を開けた。
「ふざけんな…っ!」
だが、大声を出そうにも、喉が締めつけられたように息苦しく、かすれた呻き声を上げるのがやっとだった。

 指先が、つっ、と頬を、喉をたどり、胸元へと下がっていく。それが面積を増して掌になり、ぴったりと双の乳房を包み込んで、じわりと回すように押し上げた。
「い…いやだっ…やめろ、マリアっ…」
「女どうしじゃない、恥ずかしがらないで、楽にして」
「気持ち悪いよ、こんなのっ…」
「…カンナったら…そんなはずないでしょ…?もっと正直に言ってよ」
生暖かい吐息が、甘く耳元に降りかかる。
「ほら、私にはわかるのよ…。同じ女だもの…。ここはどう?…こうすると気持ちいいでしょ…?」
「あうっ…」
「ほら、ね…カンナ、じゃあここは…?」
カンナは必死に振りほどこうとしたが、体は強い重力にねじ伏せられたかのように、わずかに四肢が引きつれるだけだった。そこにからみついてくる、執拗なマリアの指先。

「…なんでだよ、あたいが、邪魔したからかっ…?」
「とんでもないわ。うれしかったのよカンナ。本当に…いつも、私のことを心配してくれて…。ありがとう…あなたは大切な親友よ、カンナ…」
頬がすり寄せられる感触。鼻梁に、蝶が羽ばたくように、マリアの睫毛がまたたいて触れる。
「お礼に、教えてあげたいだけ…。そして、あなたにもわかって欲しいの。そしたら、もうあなたも私のことを心配しなくてもいいし、あんな忌まわしげな眼で私を見たりしないわよね…?」

 胸の先が、何か硬いもの…マリアの歯に挟まれる。静かに力が加わっていき、その先に待ち受ける痛みを思い、カンナは思わず歯を食いしばった。
 だが、耐えきれなくなる寸前で、力が止まり、かわりに熱い舌先が繊細な動きで転がしてきた。
「く…」
とてもじっとしていられないほどの感覚に胸を灼かれながら、カンナは身をよじることもできずに呻いた。
 ちり、と薄くカンナの胸の皮膚をつまんで、マリアが爪を食い込ませる。針の刺すような、小さな熱い痛み。それを無視しようとすればするほど、意識は余計に胸の中央に集中してしまう。その傍ら、マリアの一方の手はたゆまずにカンナの肌を撫で、横腹や脇のくぼみを、文様を描くように指でなぞっていた。

「やめろ…ってば…マリア…!」
 視界を奪われ、動きを封じられ、何より、それを自分に強いているのがマリアだということが、カンナの気勢を削ぎ落とし、脅かしていた。今まで感じたことのない言いしれぬ不安が、じわじわと滲むように蝕んでくる。健やかに鍛え抜かれた意志と体は、病んだ仕儀に対してはあまりに無防備だった。
 マリアのむず痒いほど甘い声を、カンナは思い出した。
(あたいは、絶対にあんな声なんか出すもんか…)
カンナの、食いしばった歯の間から、しゅうっと息が漏れた。
「ね、カンナ…どんな感じ…?おなかの奥が、ぽかぽかしてこない…?」
「う…るせ…っ…」
マリアの言葉のとおりに、燠火のような熱が体の中心に湧いてくるのを感じ、カンナが歯を軋らせる。
「もっと、熱くしてあげるわ…。いい気持なのよ…せつないくらいにね」
酔ったようなマリアの声がわずかに遠ざかり、突っ張っていた足が、あっけなく折り畳まれた。
「よせっ…マリア…っ」
カンナの声が狼狽にうわずった。
 唇が、唇を押し広げ、中に包まれたものを舌先が掘り起こす。きゅっ、と歯が挟みとらえ、その刺激が脳天まで突き抜けた。
「はあっ…!」
がくん、と腰が揺れ、失禁するかと思うほどの虚脱感に、カンナはためていた息をどっと吐いた。
「きれい…カンナ…本当に、花みたい…」
細い指先が、しなやかな生き物のように、なめらかに滑り込んでくる。

「痛っ…!」
「力を抜いて、カンナ…すぐに、気持ちよくなるから…」
「やめてくれ…マリア…たのむ…」
「カンナ…私を信じて…」
呪文のようなマリアの声とともに、勝手を知った指先が、増長して蠢きはじめた。

「は…っう…あっ…」
今や、カンナは激しく胸を上下させ、荒い息を吐いていた。脳裏に充満していく、疼くような熱。
「連れていってあげる、カンナ…空の高みへ…どこまでも落ちていく、深い彼方へ…」
やさしいほどの声に連れ去られながら、カンナは見えない眼をこらし、声を振り絞った。
「誰だ…おまえ、本当に、…本当にマリアなのか…っ?」


 闇は、沈黙して答えなかった。






《了》



[ Top ] [ とらんす書院へ ]

inserted by FC2 system