「泳がないの?」
 読んでいた本から顔を上げると、タオルで髪をごしごしと拭きながら首を傾げるレニがいる。その後ろには、同じく雫の滴る髪をかきあげるカンナ。
「せっかく海に来てるんだぜ?泳がねぇのかよ」
 知っているくせに・・・と、マリアは少々恨みがましい目でカンナを見つめる。カンナは、そんなマリアの鋭い視線にも悪びれた様子はない。いつものようにへへっと笑ってやり過ごす。そんな2人のやりとりを見て、レニは首を傾げている。

 マリアとレニは、カンナの誘いで彼女の故郷である沖縄に遊びにきている。世間一般より少々早い夏休みをもらっている花組は、それぞれ実家に帰っていたり、親しい人に顔を見せにいったりしていて、帝劇にはいない。マリアはいつもならば花小路伯爵に挨拶を兼ねて、横浜に住む知り合いに顔を見せに行くのだが、伯爵は出張で亜米利加。知り合いも旅行に出かけていていないという。
 レニはもともと日本に知人は少ない。いつも留守番を担当していたのだが、今回はマリアと2人で残ることになりそうだという話になったとき、それならば、一緒に沖縄にいかないかとカンナが誘ってきたのだ。留守はかえでと大神がしてくれるというので、2人はカンナの誘いに乗り、こうして沖縄の綺麗な海を堪能しているのだが・・・

「せっかく新しい水着買ったんだろ?泳がなきゃ意味ねぇじゃねぇかよ」
 マリアは、最近新しく買った黒いビキニを身に付けている。沖縄へ行くと決まってから、3人で買いに行った時に買ったものだ。
 カンナは、彼女のイメージそのものといった向日葵柄のビキニ、レニは彼女の瞳に合わせた鮮やかなブルーのビキニを身に付けている。レニは最初、素肌の露出等少々抵抗があったようだが、小1時間ほど泳いで着心地に慣れたのか、特に不満はなさそうだ。カンナも、「こんな女っぽいの、似合うかなぁ」などと言っていたのだが、まんざらでもなさそうな顔で浜辺を駆け回っていた。
 そんな中、マリアだけが少々恥ずかしそうな顔をしたまま、泳ぐわけでもなく、パラソルの下で本を読んでいたのだった。
「あのねぇ・・・あなたが着てみせろって言うから着ただけなの。別に私は、いつもの格好でも・・・」
「でもよ〜、海に来て私服着て本読んでるっての、どーだよ?なぁ、レニ?」
「・・・個人の自由だから、別にいいとは思う」
 レニの答えに、マリアはほっと息をつく。
 彼女はどちらかというとマリアと似たタイプの人間なので、カンナのように進んで意地悪をするような子ではない。・・・と、思っていた。
「でも」
 マリアがほっと笑った時、レニは可愛らしく小首を傾げてにっと笑う。最近よく見せるようになった、可愛らしい無邪気な笑顔で。
「せっかくこんなに綺麗な海に来て、水着まで着てるんなら、泳ごうよ」
「えぇ!?」
「だって、泳ぐ為に水着は着るものでしょう?」
 それは、確かに一理ある。が、マリアの場合は必ずしもそうとは限らないのだ。
「はははっ!そうだよなあ、レニ?と、いうわけで・・・」
「きゃあ!?」
 突然、カンナがマリアのわきの下に手を入れて上半身を持ち上げる。驚いたマリアは反射的にカンナの腕を掴み、持っていた本はばさりと落ちる。バランスを崩したマリアの足首を、小柄なレニがひょいと持ち上げ、マリアの体を宙に浮かせる。
「いくぜ、レニ!」
「了解」
「ちょ、ちょっと2人とも!?」
 暴れるマリアの体をカンナが支え、レニが誘導する。2人は、桟橋の中程までマリアを運び、
「ここら辺でいーか」
「そうだね・・・いいんじゃない?」
「ちょ、冗談でしょう、2人とも!?」
 海面を見ながらにっと笑い合う二人に、マリアは背筋が凍りつくかと思った。必死に逃れようともがくが、カンナばかりかレニの手も離すことができない。
「往生際が悪いぜ?諦めなって」
「あなた、私が泳げないの知ってるでしょう!?」
「問題ないよ。海水は普通の水よりも浮力が高い。泳げないのなら、海で練習すれば効率もいい」
「そういう問題じゃなくてっ!」
「じゃ、いくぜーレニ。いーち、にーの」
「ちょっ・・・お願い、やめて!カンナ!レニ!!」
 悲鳴を上げるマリアの体をリズムに合わせて揺らす。
「さんっ!」
「きゃああっ!?」
 カンナの掛け声に合わせて、マリアの体を海に放る。為す術のないマリアの体は、重力に従い、海へと落下する。
「がぼっ!?」
 水面に顔を出し、必死にじたばたともがくマリアを、桟橋の上からカンナとレニが眺めている。その顔は、悪戯っ子の笑顔そのもの。
「カ、カンナっ!レニっ!助け・・・」
 パニックになっているらしいマリアに、2人はおかしそうに顔を見合わせた後、
「マリアー、そこ、お前なら足つくだろう?」
「・・・え?」
 カンナの言葉に、マリアはとりあえずもがくのをやめてみる。おそるおそる足を伸ばせば、確かに足の下に砂を感じる。そのまま踏みしめて顔を上げると、すんなりと水上に顔が出た。レニ辺りでは足がつかないだろうが、マリアやカンナの身長ならば、何とか顔が出る深さだ。
「ぷっ・・・・・あはははははははは!」
「あはははは」
 堪えきれなくなったカンナが、盛大に声を上げて笑う。横では、レニもおかしそうにくすくす笑っている。一方マリアは、わけがわからずに呆然としているようだ。
「わりぃわりぃ!ちょっと騙しちまって」
「きちんとマリアの身長と水深を把握してのことだったんだ。いくらボクらだって、泳げないマリアを足もつかないような場所には投げ込まないよ」
 そう言うと、再び顔を見上げて声を上げて笑う。
「どうだ?沖縄の海は気持ちいいだろ?」
 にかっと笑うカンナの後ろで、太陽がきらりと光る。けれど、そのあくまで爽やかな光の下で、マリアの肩が細かく震えている。
「・・・マリア?」
 少し心配になったレニが、すまなさそうな顔をして問いかける。マリアはそれに応えることなく、ざぶざぶと浜に戻っていく。2人は、顔を見合わせた。
「・・・悪ノリしすぎちまったかな」
「かもしれない。謝ろう」
「そうだな」
 2人が立ち上がり、浜辺を見た瞬間、今度は2人が凍りつく番だった。
 パラソルの下に戻ったマリアは、自分の手荷物の中から愛用のエンフィールド(改)を取り出していた。
「・・・悪ふざけが過ぎたようね、2人とも」
 マリアの目が完全に据わっている。絶対零度を思わせるマリアの視線に、2人は冷や汗が浮かぶのを感じた。
「いや・・・あの・・・落ち着こうぜ、な?マリア」
「べ、別に悪気があったわけじゃないんだ・・・」
 マリアが銃を構えて駆け出す。
「て、撤収!!」
「了解!!」
 2人は慌てて海に飛び込むと、一目散に浜を目指して泳ぎだす。その頭すれすれを、マリアが放った銃弾が飛んでくる。
「っだあああ!?」
「マ、マリア!落ち着いて!!」
「問答無用!!」
「ていうか、おめぇ海に銃なんて持ってくるんじゃねぇよぉぉぉぉぉ!!!」
 透けるような沖縄の青い空の下、爽やかな風が塩の香りを吹き上げる海辺に、2人の悲鳴と銃声がこだまする。
 その夜、何とか逃げ切ったらしい2人が、必死にマリアに謝ったのは言うまでもない・・・






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