煩悩・海神別荘−公子と美女編−   紫月



 ちりりぃぃぃぃん・・・・ちりりりぃぃぃぃぃん・・・・・。

 軽やかな鈴の音に混じり、怒声や悲嘆の声が響く。
それからしばらくの沈黙の後、互いを求め合う詩が大海に染み渡り、その中心となった青玉殿では、初めて互いの目を見つめ合った男と女が、静かに想いを告げ合っていた。

 「ここは極楽ではない・・・ここはお前と私の場所だ」
「幾久しく・・・」
公子の言葉に陸の美女が頭を垂れると、玉座の間を震わせるような歓声が沸き起こった。
「おめでとうを申し上げます!」
腰元達も僧都も、博士も騎士達も口々にそう言い、新たな夫婦(めおと)の誕生を祝う。
続けて祝賀が行なわれ、その宴は、姉である乙姫から贈られた酒や、青玉殿の料理人が腕をふるった肴が瞬く間に無くなる程の盛況ぶりであった。
出席者には無礼講が許された為か、出席者の話題は早くも世継ぎの事へと移ってしまう。
「公子様と奥方様のお子であれば、さぞ見目麗しく、聡明なお子が生まれます事でしょう」
と腰元が囃せば、僧都がそれを受けてさらに囃したてる。
「その事その事。若様はこれまで腰元にも誰にも手をお付けあそばせなんだ。この僧都でなくとも、若様が無事に事をお運びになれるものかと、ついつい心配してしまいます」
こうした発言や笑い声に、公子は苦笑しながら杯を口に運ぶ。
「じい、あまり飲み過ぎるなよ」
「あ、いやいや、これはしたり。若様のお耳に届くほどの大声で話してござったか」
「無礼講とは言え、よくも好き放題言ってくれるものだ」
公子はさらに苦笑して、僧都に注げと言わんばかりに杯を出して見せる。
禿げ頭を自らぴしゃりと叩き、僧都は少し恐縮した笑いを浮かべて、うやうやしく酒を注ぐ。
「いささか言葉が過ぎましたようで、反省いたします」
「気に病むな。明日になれば言えぬ事だ・・・おい、じいの杯が空ではないか?」
「お気になさいますな。あまり飲み過ぎますと、酔った勢いで海面が荒れてしまいまする」
「それもまた良かろう」
僧都と二人で笑い合っていると、黒潮騎士団の騎士団長がすっと寄って来た。
普段は堅物の騎士団長も、程よい酒気を楽しんでいるような雰囲気である。
「今日はごくろうであったな。騎士団長」
「そのお言葉、何よりの褒美にございます。ところで公子様、奥方様はひどくお疲れのご様子。ここは一度お開きとして、奥方様にお休みいただいては、と思うのですが」
ふと隣を見ると、これまでの疲れが出たのであろう、陸の女がうとうととしかけていた。
公子は軽く目配せで騎士団長に礼を言い、翌日まで続くと思われた祝賀を中座する旨を皆に伝えた。

 婚儀がつつがなく終った翌日、陸の美女は公子の部屋へと招かれた。
そこは玉座の間をも凌ぐほどの金銀、瑠璃、珊瑚で装飾されており、美女が思わず「ほぅ」と息をもらすほどである。
そしてかすかに、琴とも三味とも琵琶ともつかぬ典雅な樂の音が流れていた。
「いかかです。ここが私の部屋です。そしてこれからは、貴方の部屋でもある」
「なんという・・・あまりの豪奢さに・・・その・・・言葉が出てまいりません」
「ははははは。大丈夫、じきに慣れます」
「そうなのでしょうか・・・これは・・・このご寝所は全て・・・珊瑚?」
「貴方のお父上に授けた珊瑚を、私が草だと言った意味がわかるでしょう。この一枚の棚珊瑚は、ニ百年をかけてここまで大きくなるのです」
いまだ陶然としている美女の手を引き、公子は部屋の中央にある円形の珊瑚へと導いた。
公子の寝所たる棚珊瑚と違い、桃、朱、紅といった色とりどりの枝珊瑚が複雑に絡み合い、直径一間一尺ほどの平底皿のような形状になっている。
「あの、これは?」
枝珊瑚の大きな盆をそと触りながら公子に尋ねると、予想外の答えが返ってきた。
「これは・・・これは私達の褥です」
「・・・・・え?」
自分の言った事を素直に飲み込めなかった美女の返事に、公子はほんの少しの苛立ちと極度の羞恥を表に現しながらもう一度答える。
「だから・・・その・・・私達の褥ですよ。・・・恥ずかしいな、あまり繰り返させないで欲しい」
照れた公子の姿は、美女から見ても可愛らしいものであった。
だが通常の寝所ではなく、部屋の中央に置かれた盆の上で契りを交わすと言われては、羞恥のあまり気を失いそうになってしまう。
ある程度の経験がある者ならばまだしも、陸の美女はまだ乙女である。
その事を美女は懸命に公子に説明するが、公子は頑として受け付けない。
「貴女は時々困った事を言うね。これはここでのしきたりなんだ。私の妻となった以上、嫌でも従ってもらう」
公子の頑なな態度に、女はため息をついて帯留めの根付けを外した。気の進まない風でゆるゆると帯を解き、襦袢を下げていく。
そして一糸まとわぬ姿となって、枝珊瑚の盆に静かに座った。
ただ羞恥の為か、長く艶やかな髪を体に這わせ、両の腕でしっかりと乳房をおさえている。
公子はその姿を見て目を細め、やや興奮した面持ちでこう言った。
「さあ、はやく卵を産んでください」
美女は、それまで流れていた典雅な樂の音が、突然聞こえなくなったような気がした。
そして自分でも間抜けと思えるほど情け無い返事をしてしまった。
「はい?」
妻の何とも言えぬ不思議な表情に公子は困惑し、ひょっとしたら自分が何か言い間違いをしたかも知れないと、再び同じ事を告げた。
「だから、ここで卵を産んでくれと言った」
「たま・・・ご・・・・?」
事ここに至って、女は海の者と陸の者との決定的な違いを知った。
「そうです。貴方がここに卵を生み、私がそれに放精する。そうしてお互いが真に結ばれるのです」
「はぁ・・・」
力説する夫の言葉に、どう返事をしたものか迷った妻は、またしても気の抜けた返事を返してしまう。公子は多少の苛付きを覚えつつ、それでも平静を装った。
「恥ずかしいのなら後ろを向こう。なに、盗み見たりはしない」
「いえ、あの・・・」
「今日の日が悪ければ明日でも良い。我らの世継ぎだ、授かるのなら完璧を期したい」
「いえ、ですから公子様・・・」
「なんだい?」
「私、卵なんて産めません」
今度は公子が樂の音を失う番だった。
赤鮫を退けた時のきりりとした眼差しは見る影も無く、焦点の定まらないその様子はなんとも間が抜けていた。
「何と・・・言ったか・・・?」
「ですから、私は卵なんて産めません。その・・・子供なら産めますけど・・・」
もじもじと頬を染めた女の様子をしばらく見た公子は、突然手を叩き、合点がいったという表情を見せた。
そしてうんうんと頷きながら、女の側に寄る。
「わかりました! 貴女は胎生なのですね!?」
「た、胎生・・・?」
「それならそうと言ってくれれば良かったのだ。何も恥ずかしがる事はない。私は胎生の者にも対応できる。だから心配はいらんぞ」
「た、対応って・・・・はあ・・・」
嬉々として一枚珊瑚の寝所を整え始める公子の後ろ姿を見ながら、陸の美女はこう呟いた。
「海産物・・・・」


かしゃん・・・ちゃり・・・り・・・り・・・


終わり


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