彼女たちの酒宴
「なあ〜〜まだ終わんねえのかよう〜。早く飲もうぜ!」 「ちょっと待ってて頂戴。あなたが来るのが早かったんだから」 酒瓶を振りかざすカンナに背を向けて、マリアは机に向かって一心に愛銃の分解掃除をしていた。 「せっかく20年ものの古酒を手に入れたってのにさあ。わざわざ沖縄から取り寄せてもらったんだぜ」 「せかさないで。手を抜いたり間違えたりしたら、命に関わる作業なのよ」 にべもないマリアの声に、ベッドに腰掛けたカンナは大げさにあくびをしたり伸びをしたりした。 「あああ〜先にはじめてよっかな」 返事を待たずに、カンナが歯で封をむしり取る。きゅぽんと小気味よい音がして、甘くすがすがしい、歳月を経た酒特有の芳香が、部屋に静かに漂いはじめた。 「ほれほれ。いい匂いだろ〜」 「ほんとにもう…あと少しなんだから待って頂戴」 「でも肴がさきいかしかねえんだよな」 「右下の引き出しに、ビーフジャーキーが入ってるわ」 「おっさんきゅ!…肴を常備してるなんてさすが飲み助」 「やっぱりあげない」 「うげっ」 引き出しに手をのばしながら、カンナはひょいとマリアの手元をのぞき込んだ。エンフィールドの銃身は、鈍い光を放ちながら、もう組みあがるばかりになっている。 「暗いわ」 「おっ、わりい」 カンナは首をひっこめた。夜更かしがばれてもまずいので、部屋の照明はぎりぎりまで抑えてある。マリアの手元を照らすランプと、蒼白い月明かりだけ。 「…そういや、マリアってさあ、あたいにばっか銃を向けるんだもんな〜」 重い鉄のかたまりを扱う、華奢な白い指先を見ながら、ふとカンナがこぼした。 「あら、そうかしら」 「そうだよう。シンデレラの打ち上げだろ?正月の浅草だろ?…それから…」 「あなたって標的になりやすいんだもの」 マリアは少し笑ったが、銃を組み立てる手早さは変わらなかった。 「ちぇっ、でかいからってか?もしなんかの弾みでほんとに撃っちゃったらどうすんだよ」 「あなたならよけてくれそうじゃない?」 「かんべんしてくれよ」 「ふふ、気をつけるわ。反撃されたらかなわないもの」 「何言ってんだよ。飛び道具にはお手上げさ」 「試してみる?」 金色の髪がくるりと翻って、組みあがったエンフィールドの銃口をカンナに向けた。 「うわあったっ、たんま!降参!」 カンナが手をあげておどけて見せた。 確実にカンナの両目の間に照準を合わせ、マリアはにやっと笑って見せた。 だが、次の瞬間、ふっとその表情はそげ落ちた。 カンナの背中で、月が、窓のガラス越しに輝いていた。その光が逆光になって、赤い髪や肩を縁取るようにきらめいている。 カンナも、ふざけた雰囲気がどこかへ飛び去ったのを感じた。目の前に、条溝の渦巻く穴が、暗い深淵をたたえている。その向こうに、じっと、何かに驚いたように、自分を見つめるマリアの碧の瞳があった。 今この瞬間、いとおしい友の命は自分の手の中にある。ほんの少しの動作で、わずかな指の力で、目の前の肉体に息づく命の炎はかき消える。 今この瞬間、自分の命はかけがえのない友に握られている。一瞬にして、自分の人生のすべてが、この友の手によって潰え去る。 耳を聾する轟音。鈍い金色の弾丸が、スローモーションのように回転しながら、視界の中心に迫ってくる。瞳と瞳の間に吸い込まれ、何もかもが赤く染まる。 その幻影を、二人は同じく見たように思った。 ふと、酒が香った。 (…でも) (カンナなら、黙って撃たれてくれるかもしれない) (マリアになら、撃たれてもいいかもしれない) あまりに極端な発想に、緊張した瞬間が、どこか滑稽に感じられるほどだった。 自分にはない明朗さ、快活さ。自分にはない女らしい美しさ。影になって落ちる羨望。そして頑迷なまでに存在する、相手の相容れない部分。いつ、何がきっかけで壊れるともかぎらない。友情とはかくも危うい均衡の上に、ようやく保たれているのだ。 今引き金を引けば、この奇跡のような関係はここで終わる。そして二度と戻らない。 同時に、二度と変わることもない。いつか心が離れて別れることもなく、親友どうしのまま…永遠に。 銃口から、カンナの眉間までの、ほんのわずかの距離の間に、複雑な思いがひしいでいた。凶器を挟んで見つめ合いながら、二人は、鏡を合わせたように互いの沈黙の意味を理解した。 そして納得した。 (…だから…) (一番自分を理解してくれる相手だから) (撃たれてもいいかもと) (撃たれてくれるかもしれないと思ったのだ…) 数秒なのか、数分たったのかわからなかった。 やがて、すっ、とマリアが銃を降ろした。 「…なんだか…飲む前から酔っぱらっちゃいそうだわ」 それを言い訳にするかのように、マリアは深々と芳香を吸い込んだ。 「…まあ、強い酒だからな」 カンナは自分を押さえるようにふうっと息を吐いた。そして、少し決まり悪そうに頭を掻いた。 「でも、飲めるだろ?」 淡い琥珀色の液をぐい飲みに注ぎ、カンナが笑って差し出した。 「いただくわ」 マリアも微笑み返して杯を受け取り、唇をつけた。 アルコオルが舌を焼く感覚をしみじみと味わってから、ゆっくりと飲み下す。 「…おいしい…。でも、もっと強いお酒かと思ったのに、そうでもないわね」 「ああ、そんなに強くはないな…」 困ったように二人で言い合って、顔を見合わせた。 「…あら、乾杯をしてなかったわ」 「おっとそうだった。でも何に?」 「…そうね。こうして二人でお酒が飲めることに」 「おっし、二人の酒盛りに乾杯だ」 カチリと小さく杯を鳴らせた。どこか金属的な音は、鼓膜に妙に強く響いた。 「そのさきいかを頂戴」 「はいよ。そうだ聞いてくれよ。昼間すみれのやつがさあ…」 どことなく緊張したまま、酒宴は深夜まで続いた。
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