加山くんの人生

1902年3月4日
 東京は荏原郡大森村に生まれる。父は喜劇俳優、上原田 謙。
母は軽業師、大桜 葉子。本当は2月17日に生まれていたのだが、「2、3、4」と数字が並ぶ日を誕生日にした方が面白いとの両親の意向で、書面上の誕生日は3月4日になっている。

0歳〜3歳 ぼーっとして過ごす。

3歳 突如として自我に目覚める。以後、「なぜ僕は生まれてきたの?」 「僕は何のために生きてるの?」と、人生の中核に迫る質問を父に浴びせ掛 けるが、「栴檀は双葉よりかんばし!」とか、「ローマは1日にしてならず!」とか訳のわからない格言で煙に巻かれる。
 同様の質問を母にすると、その場飛び100回とか、逆さつり腹筋50回と かを強要されて同じく煙に巻かれる。

5歳 だんだん脳みその純粋な部分が削げ落ちてくる。

7歳 人生について悩むのに飽き始め、それよりも父と格言合戦をした方が楽しいように思えてくる。母とは、共に平屋の屋根への飛び乗り、飛び降りが出来るまでに上達する。

9歳 完全に格言にはまる。連日各出版社から出ている格言・ことわざ辞典にのめりこみ、なんとしても父を打倒すべく修行に励む。

12歳 ついに父から、「おまえは日本一の格言行者だ!」とのお墨付きを貰い、達成感にひたる。無論父親は冗談で言っていたのである。このころ、窓枠に逆さにぶら下がる技を習得する。

13歳 中学入学。校舎の3階の窓からぶら下がってやんやの喝采を受け、他人にウケる快感を覚える。格言にも磨きがかかり、のべつ意味不明の格言を乱発するようになる。

15歳 隣の女学校の生徒に一目ぼれ。彼女の理想の男性が、小説「不如帰」に出てくる海軍少尉と知り、断然海軍士官を目指すことを決意。唐突に猛勉強を開始する。他人の家に遊びに行く時、玄関からではなく窓から入る癖が身についてしまい、近所で嫌がられる。

16歳 父のお古でギターを覚える。いずれ海軍士官の制服で、彼女の部屋の窓辺にぶら下がって愛の歌を歌う決意をする。父に呆れられ、「女にもてるなら役者のほうがいいぞ。」と言われるが、流石にこの頃になると実父の発言の殆どが面白半分の冗談であることに気づき、耳を貸さなかった。

17歳 猛勉強の結果、兵学校に合格する。ちなみに、近所中が奇跡だと驚いたが、この太正デモクラシーのご時世に軍の学校に行くなんて変わり者ね、と肝心の彼女に言われて愕然とする。
 兵学校行きをやめようとするが、学費がかからないことを知った父母が 強硬に入学を薦め、ついに入校しないと格言行者の称号を奪うとまで言われ、いやいや入校する。
 ちなみに父母は、浮いた学費分の金で熱海へ豪勢な温泉旅行へ行く。

18歳 兵学校入校以来、奇矯な行動と発言で上級生に殴られ、教官に睨まれ、同期生から変わり者扱いされるが、全く気にせず(正確に言うと「全く気がつかず」)我が道を行く。2学年進級時に大神一郎と知り合う。真面目で堅物の大神に驚き、この男を爆笑させることを兵学校での目的にする。

19歳 兵学校最上級生になる。大神とくっついていたおかげか、なんだかしらないが同期の次席にまで上り詰める。首席は大神。この結果、学校内に怖いものなしのやりたい放題。学校関係者の全てから「無敵の加山」と称され、恐れられる。加山の行くところ、厳格な軍規も厳正な態度も吹っ飛び、爆笑と土ぼこり(皆がずっこけるため)が巻き起こる。

 海軍当局が加山の免生を真剣に考える。

20歳 兵学校卒業。遠洋航海参加。行く先々で日本海軍の常識を打ち破る爆笑を振りまくが、笑いのレベルが高すぎて笑えない者も多数現れる。
 「加山が着任するなら俺が辞める」と言う海兵の先輩多数出現し、海軍 省、加山の着任先に困る。いよいよ辞職勧告を考える。

 遠洋航海から帰朝。花小路伯に拾われる。

21歳 一時的にシリアスに仕事をしてみる。(このへんはテレビ版サクラ大戦に詳しい)
 ・・・・が、肩がこってしょうがないのですぐ元に戻す。

30歳 帝国華撃団退団。海軍に復職するが、3日で退職。予備役になるのも断わり、民間で加山探偵事務局を開く。

31歳 加山探偵事務局、営業不振で閉鎖。花小路伯の紹介で、映画会社へ入る。新人のスカウト係となる。

33歳 新人、上原謙を見出す。ついでに新人女優小桜葉子もスカウト。いうまでもなく、両名の芸名は自分の両親にちなんでつけたもの。

35歳 上原謙と小桜葉子をくっつける陰謀に奔走。面白そうだからというのが理由。

36歳 上記両名結婚。快哉をさけぶが、会社に疎まれて退社の憂き目にあう。
退社の際、「子供が生まれたら俺にちなんだ名前をつけてくれ」と上原に言 い置いて去る。

37歳 海軍軍令部から、諜報関係の仕事をしてくれとの打診。ぶらぶらしていたので飛びつく。
 以後、特務機関員として活動。活動すればするほど、日本の将来は暗い と感じるようになる。

39歳 アメリカに亡命 米海軍日本語訓練隊の教官となる。
 「あなたは小さい時から頑固で困る」と言いたいときは「三つ子の魂 百まで」と言えとか、「偉い人は危険な場所に行かない」と言いたいときは 「大統領は危うきに近づかず」と言えなどと、適当に格言を教え込む。この ことが、後に東京裁判の翻訳の混乱を招く一因となるが、そんなこたぁ加山 の知ったことではない。なお、この混乱が招いた悲劇を描いた「二つの祖国」は、加山に取材したネタが多いとか多くないとか。

43歳 太平洋戦争終戦 占領軍の一員として帰国。占領行政に携わるよう命じられたが、めんどくさいので辞退。キャノン機関の一員として、対ロシア、対共産党工作に参加。主に工作員及び工作員候補への飲食店での饗応を堪能、じゃなくて担当する。

44歳 金田一親子から「新生日本のことわざ辞典」への編集参画を依頼される。
 が、自分のペンネームを金田一耕介にしてくれと強硬に主張して決裂。

47歳 キャノン機関を辞して米国へ帰化。報告書に意味不明の格言を入れすぎたため、ボスの理解を阻害したのが原因とも言う。
 カルフォルニアでガソリンスタンドの店員となる。

50歳 結婚

56歳 CIA設立に伴い、情報要員として採用される。1ヶ月で飽きて退職

57歳 道路横断中、暴走車にはねられ死去。暴走車に関する情報は全く不明だが、CIAの陰謀というのが定説である。
 (もっとも、1989年になって、当時のCIA長官秘書が、「なんでカヤマをわざわざ謀殺せにゃならんの。あほらしい。」と発言したので、単なる酔っぱらい運転の犠牲という説も浮上している。)

死後5年 自宅の庭の犬小屋の下に、膨大な日米の秘密文書が埋められていたことを妻が発見する。米政府に高値で売りつける。売りつけた後、もちろん妻はロシアに亡命。KGBの庇護下で安住の道を選ぶ。

死後10年 青山墓地内、大神一郎の墓の中から、1億4千万円相当の金塊が発見される。「いやあ、金塊っていいなあ。」との記名あり。加山直筆と見られる。埋められた時期は不明。

 同年、加山夫人の保有する資料を元に彼の波乱の人生を描いたドキュメ ント(ただし内容の2/3はでたらめ)「ファニー・エイジェント」(ロバート・エイジェンスタイン著)がタイム社から発売されるが、初期のCIA工作の状況まで描かれていたため、発刊三ヶ月で発禁処分になる。
 偶然、在日米軍基地の書店でこれを購入した蒼嶋幸雄はこの本にヒント を得て、上木均主演の「無責任シリーズ」を書く。この映画シリーズ第1作 目、「日本一の無責任男児」の冒頭に「この映画をY.カヤマ氏に捧げる」 とあるのはこのためである。




おわり





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