決戦前



最終決戦――武蔵突入まで僅かの間、花組隊員はしばらくの休息を与えられた。
すみれは紅茶でも飲もうかとサロンへ来たが、喉が乾いていないのに気づき、ため息をついて椅子に腰掛けた。
誰が置いたのか、机の上にはカタログがあった。すみれはそれを取り上げ、めくりはじめた。特に読みたかったわけではなく、ただ、何かしていないとどうにも落ち着かかった。
ミカサでの敵陣突入はすみれにとって2度目だった。前回はといえば、すみれにとって最も思い出したくない記憶となっていた。扉のむこうでカンナの光武が爆発する光に、すみれは動けなくなった。そして自分も敵と刺し違え・・・最後には勝利したものの、その時のことを思い出すと今でも寂寥とした思いにさいなまれる。
今度の戦いはどうなるのだろう。
(お父様、お母様・・おじい様・・)
今のすみれには失うものがあまりにも多すぎた。だが、帝国華撃団の一員として、この戦いから逃れることはできない。むろん、すみれは逃げることなど考えてはいなかったが、波立つ心をどうしても抑えることができない自分に苛立ちを覚えていた。
「やあ、すみれくん。読書かい?」
カタログの上に目をさまよわせていたすみれは、急に声をかけられて慌てて顔を上げた。
そこには戦闘服姿の大神が立っていた。
「え?ええ。・・・今、お香水のカタログを見ておりましたの」
「え?でもそれ、服のカタログみたいだけど」
よく見れば、それは婦人服のカタログだった。
「あ、あら・・・」
「緊張しているのかい?すみれくんらしくないなあ」
まるで帝劇のサロンでティータイムを楽しんでいるような大神ののんびりした口調にすみれは顔を上げて彼を見た。
「・・・わたくしだって緊張くらいいたしますわ。人間として、1人の女として」
言ってしまってからすみれはすぐに後悔した。穏やかだった大神の表情が一瞬曇る。命をかけての戦いに彼女たちを駆り出すことに彼がどれほど心を痛めているか、十分承知していたはずなのに。
「でも、だれかさんのように取り乱したりはしませんことよ」
慌ててわざとつんとしてすみれは言った。
「はは・・・それを言われると弱るなあ」
大神は照れ笑いをして頭を掻いた。



それは前の大戦の時のことだった。
すべてが終わり、
「大宴会だー!」
という米田長官の勝利宣言ののち。
「ところで大神さん?あたし達の誰をえらぶんですか?」
「え?そ、それは・・・わぁっ、ちょっとまってくれえっ!」
ミカサの艦橋で鼻息荒くせまるさくらを皮切りに、大神は花組の皆にもみくちゃにされた。
そのうち彼の体はだんだん沈んでいき――彼の変化に気づいたすみれたちはその場に立ち尽くした。
・・・隊長が、泣いている?
座り込んで両手をつき、俯いているので顔は見えないが、彼の喉からは嗚咽が洩れ、体が震えている。
「みんな・・よく無事で・・すまない・・・俺は・・俺はみんなを守れ・・なかった・・」
大和の中で進むごとに1人づつ欠けていく花組。それでもなお進みつづけなければならなかった。
今まで経験したことのない程の怒りと悔しさでそのとき大神の顔は蒼白になっていた。
彼に寄り添い、サポートしてくれる隊員がいなかったらとって返して彼女たちを救い出そうとしていたかもしれなかった。
すまない、すまないと泣きながら繰り返す大神に皆、しんと静まり返っていた。
最初に口を開いたのはアイリスだった。
「うわあーーん、おにいちゃーーん!!」
大きな青い目からポロポロとこれまた大きな涙が溢れ出し、アイリスは顔をくしゃくしゃにして大神に体ごとぶつかるように抱きついた。
「アイリスっ・・・」
「大神さん・・・」
さくらが彼の隣にへたへたと座り込み、顔を覆って泣き出した。
「さくらくん・・」
「なんやみんな、勝ったっちゅうのに・・・」
紅蘭がメガネを外して戦闘服の袖で涙をぬぐう。
マリアは顔を背け、涙をこらえていたが、やがてすすり泣きが洩れ始めた。
「なんだいなんだい!男のくせに、だらしねえぞ、隊長!」
言いながらカンナも泣いている。
「そうですわ、殿方は人前で泣いたりするものではありませんわ」
すみれの目に映る、泣きながら皆に許しを請う大神の姿は確かにぶざまだった。
が、それが皆が生きている証しであるかのように、すみれは滲む視界に彼の姿をとらえ続けていた。大神のこの姿を一生忘れることはないだろう、とすみれは頬に伝う涙の熱さを感じながら思った。
そしてしばらく、花組の泣き声の大合唱が東京湾に響いていたのだった。



「俺はね、すみれくん」
静かな大神の声にすみれは我に返った。
「二度とあんな思いはしたくない。君たちにもさせたくない。だから、皆で帰ってくる」
大神はすみれの肩に手をおいて、優しく言った。

「すみれくんの舞台を楽しみにしている人たちのためにも・・・俺も含めてね」
普段のすみれならすぐに手を払いのけ、強がりのひとつも言うところだったが、彼女は動こうとはしなかった。
彼の手から緊張感は全く伝わってこなかった。ただ、大きく暖かかった。すみれはその感覚に刹那、身をゆだねた。緊張が潮がひくように消えていった。
すみれは頭を上げて大神を見た。彼もすみれを見詰めていた。その目には、いたわりでも慰めでもなく、彼女に対するゆるぎない信頼が満ちていた。共に死線を越え戦った者同士、強く結びついているとすみれに確信させる目だった。
(わたくしが少尉を助けてさしあげなくては勝てるものも勝てませんわね)
すみれは目を伏せると、そっと大神の手を肩から外した。
「・・・お見苦しいところをお見せいたしましたわ。少尉。」
優雅な仕草で立ち上がり、大神を振り返る。
「わたくしの華麗な戦いぶり、とくとご覧あそばせ。」
再び大神を見上げたその顔は自信にあふれ、艶然と微笑む姿はまさに花組のトップスタア神崎すみれその人であった。




おわり





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