栗ごはん






「栗ごはんが食べたいな」
大神の一言が始まりだった。
「栗のおいしい季節ですものね」
テラスに並んで、高い空を見上げながら、マリアも微笑んだ。
「そういえば、以前あやめさんに教わって栗ごはんを作ったことがあるんです。…明日は休日ですし、よろしければ、作って差し上げましょうか?」
「本当かい?マリア!うれしいな」
大神がぱっと顔を輝かせたとき、背後に人の気配がした。

「栗ごはんかあ〜うまそうだなあ。あたいも食いてえな〜」
「秋の味覚と言えば、やっぱり栗ごはんははずせませんわね」
「あの栗のほくほくした感じがたまらないんですよね!」
「そーいや最近食べてへんなあ〜」
「栗ごはん。餅米と剥いた栗の実を一緒に炊きあげる、日本の料理…」
「おいしそうで〜す!わたしも食べたいで〜す!」
「ねえねえ、マリア、アイリスにもつくってよ!」
いつの間にか勢揃いしていた花組の面々に向かって、マリアはぴくりと片眉を動かした。
「みんな、栗ごはんの作り方を知ってて言ってる?」
「作り方って…さっきレニも言ってたけど、栗を剥いて一緒に炊けばいいんだろ?」
「その栗を剥くっていう作業がどんなに大変か知ってるかって聞いてるの」
料理の心得のあるさくらだけが、あっという顔をしたが、他の面々は頭上にクエスチョンマークを浮かべていた。
 マリアは小さく溜息をついた。
「しょうがないわね…せっかくだし、みんなが栗剥きを手伝ってくれるなら、全員分作ってもいいわ」

「やったぜ!じゃあ買い出しは行って来てやるからさ!」
「あ、あたしも行きます!あたし栗にはちょっとうるさいんですよ。小布施か丹波のがいいですね!」
にぎわう仲間たちを背に、大神がマリアに囁いた。
「大変そうだけど、大丈夫かい?」
「ええ。大変なのは栗剥きだけですから、みんなが一緒なら…」
「俺も手伝うから。栗剥き。一緒に料理しよう」
「そ、そんな…隊長はいいですよ」
マリアがかすかに頬をそめて言ったそばから、かすみが2階にあがってきて声をかけた。
「大神さん、米田司令からの伝言で、明日、花やしき支部に報告書を取りに行ってほしいそうです」
浮かべた笑みがそのまま固まって、ちょっと気が抜けたようにしおれるマリアに、大神がなぐさめるように微笑んだ。
「楽しみにしてるよ。マリアがつくった栗ごはんが食べられるなんて。すっとんで帰ってくるから」
「は、はい。がんばって作ります」
大神の言葉に、マリアは慌てて笑顔を返し、力を込めて答えた。




「カンナ、もう少し丁寧に剥いて頂戴。そんなに厚く剥いたらもったいないわ」
「細かいこと言うなよお。こうやって一気に剥いちまった方が、あとで細かい渋皮取らなくていいから早いし楽じゃねえか」
翌日の厨房は、午後からさっそくにぎわっていた。
「もう…どっちが実だか皮だかわからないわ」
「そんなこと言って、あたいがいっぱい食うだろってこんなに寄越しやがって」
「でもいっぱい食べるんでしょう?」
「そりゃ食うけど…」
「アイリス、できないよう〜〜。包丁重いんだもん!」
隣でアイリスがふくれて足をじたばたさせている。
「じゃあ、アイリスの分は私が剥いてあげるから、この渋皮の残りをナイフで削ってちょうだい。これなら出来るでしょう?」
「うん!いいよ!」
アイリスがおとなしくなったかと思うと、今度は反対隣で大きな溜息がした。
「ああ…箸より重いものなど持ったことがないこのわたくしが、栗の皮剥きだなんて…」
「じゃあいいからおめえは食うなよ」
「ちょいとカンナさん?そんなこと言ってわたくしの分まで食べるおつもりね?」
「なんだおめえもけっこう食い意地がはってるな」
「なんですって!?…ああ…あなたにそんなこと言われるなんて世も末…」
「二人とも、喧嘩してないでちゃんと剥いて頂戴」
マリアが横目でにらんだが、騒ぎはさっぱり治まらなかった。
「きゃあっ指を切ってしまいましたわ!」
「大丈夫か?!すみれ」
「ああっ、血が、血が出てますわ〜〜〜っ!わたくしの白魚のような指から血が〜〜〜っ!」
「ぎゃあぎゃあ騒ぐなよ。なんだこんなのかすっただけじゃねえか。舐めときゃ直るって」
「お医者さまはどこですの〜〜っ!」
「すみれさん、医務室に行って絆創膏貼りましょう。ね?…マリアさん、あたしちょっと付き添ってきます」
さくらがすみれをなだめながら出ていくのを見て、織姫がしらじらと包丁を置いた。
「わたし、やっぱやめるで〜〜す!わたしの指はピアノを弾くための大切な指で〜す!怪我でもしたら大変で〜〜す!」
「あ〜織姫ずる〜〜い」
「ちょっと織姫!…もう…しょうがないわね…」
「ああ〜〜ん、アイリスもう手が疲れちゃったよう〜〜」
「わかったわ、アイリスもいいから紅蘭を呼んできて。さぼる気らしいから」
「うん!わかった!」
喜々としてアイリスが織姫と一緒に出ていくと、いきなり厨房は人数が半分以下になった。
 レニは、不器用ながら黙々と栗を剥いていたが、なかなかうまくいかないようだった。無表情なままの顔にひっそりと青筋が浮いて、やがて包丁をことりと置いて背を向けた。
「レニ、どうしたの?」
「もうやめる。栗の渋皮にはシブニンという成分が含まれていて、長時間触れているとアレルギー反応を引き起こし、湿疹、かぶれなどが出て全身に広がる場合がある…」
思わずマリアとカンナが栗を放り出した。
「…ような気がする」
「作るなよ!」
カンナがつっこんだが、すでにレニは出て行った後だった。
「みなはん苦労してまんなあ」
かわりに紅蘭がにやにやしながら厨房の扉の影から現れた。
「遅いわよ、紅蘭」
「まあまあ、固いこと言わんと。役に立つもん持ってきたから、堪忍してや」
そう言って、紅蘭はまたなにやらあやしげな装置を取り出してみせた。
「こんなこともあろうかと!ウチの発明した蒸気自動栗剥き機、その名も『むきむきくん!』」
「妙に筋肉質な名前だな」
「紅蘭、あなたの分の栗を渡すから、余所へ行ってやって頂戴」
マリアが素っ気なく栗の籠を手渡した。
「なんやマリアはん、冷たいなあ。みんなの分もちゃっちゃっと剥いたるのに…」
「いいから、中庭とか被害の少ないところでお願いするわ」
「信用のうて悲しいわあ〜後で泣きついて来はっても知らへんで〜」
紅蘭は舌先をぺろりとつき出して去っていった。
 しばらくすると、彼方からちゅど〜〜んと爆発音が聞こえてきた。
「焼き栗が出来たんじゃないかな」
カンナがいそいそと後を追っていった。



 気が付くと、厨房にはマリア一人になっていた。
「ずるいわ、みんな」
マリアは仕方なく、残りの栗を剥き始めた。
 広い厨房で一人ぽつんと立ちつくし、黙々と栗を剥いていると、なんだか指の痛みがことさら気になるようだった。
(本当なら、隊長と二人で、お弁当にして、どこかへ出かけたかったのに…)
ばかばかしくなってやめたくなったが、
(楽しみにしてるよ)
大神の笑顔が浮かび、気を取り直して包丁を握りしめた。



「マリアさん、指、出してください」
気が付くと、さくらが戻って来ていた。その手に、絆創膏が数枚握られている。
「さくら…」
マリアは表情をなごませた。
「大丈夫よ。ちょっと痛むけど、血が出たりしてるわけじゃないし…」
「いえ、これを三枚くらい重ねて包丁の背が当たる部分に巻いておくと、クッションになって少し痛みがましなんです」
そういうさくらの人差し指にも、絆創膏がぐるぐると巻かれていた。
「…ありがとう。おねがいするわ」
心遣いがうれしくて、マリアは素直に右手を差し出した。



 炊きあがるのを待つ間に、副菜に卵焼きとほうれん草の白和えを作り、栗ごはんにかける黒ごまも香ばしく煎った。
「いいにおい…」
蒸気炊飯器を止めて、マリアはようやくエプロンをはずした。絆創膏の内側で、指はまだひりひりと熱を持っていたが、かぐわしい栗の香りの前にはうすらぐようだった。
「あとは15分ほど蒸らすだけですね」
さくらも襷をほどいた。
「あなたが手伝ってくれて本当に助かったわ」
「いえ、そんな…だってあたしも、栗ごはん大好きなんです!」
拳を握って言うと、さくらがそっとマリアに耳打ちした。
「あたしたちのごはんに、栗、多めに入れちゃいましょうね」
その表情があまりに真剣なので、マリアは思わず小さく吹き出した。
「ちょうどお夕飯にいい時間だわね」
「あたし、みんなに声をかけて来ますね」
「じゃあ私もエプロンを片づけてくるわ」
二人は、厨房を無人にして出ていった。



「こ、これはどういうことなの!?」
果たして、炊飯器の蓋を開けたマリアは、木杓子を握ったまま大声を上げた。
 黄金色に炊きあがった栗は、ごはんのうえにぽつぽつと数粒ちらばるばかりだった。マリアはあわてて木杓子でごはんを掘り返したが、ごっそりといれたはずの栗はどこにも見あたらない。
 マリアのこめかみにぴりぴりと青筋が浮いた。
「誰!?栗をつまみ食いしたのは!!」
食堂で着席して夕飯を待っていた花組の面々は、一様にびくりと身をすくませた。
「誰なの?正直に言いなさい!」
マリアの凍るような声に、全員がおそるおそる手を挙げた。マリアはあきれかえって言った。
「いったいいくつ食べたの?」
「あ、あの、あたし、二つだけ…いっぱいお手伝いしたんだし、味見するくらい、いいかなって…」
「あたいは二個、じゃなくて三個、いや四個だったかな…もしかして五個だったかも…」
「栗の二つや三つよろしいではありませんの。これだから庶民の方はケチくさくてイヤですわ〜」
「そやかてウチの分はみんな焼き栗になってカンナはんに食われてもうたし…」
「………一つ」
「アイリスとジャンポールで二つずつだよ」
「ちょ〜〜おいしかったで〜す。思わず三個たべちゃったで〜す」
「…みんな二つずつサバ読んでるわね」
マリアの指摘に全員がぎょっとして冷や汗を流した。
「ホントにもう…!」
残った栗の実の数を指折りかぞえて、マリアは深々と息を落とした。


「これが栗ごはんですか〜〜?な〜んか想像してたのと違うで〜す!」
「ずいぶんと貧相ですわねえ〜」
「栗一個だけかよう〜〜。マリア、そりゃねえだろ?」
「何を言ってるの!」
マリアはぴしゃりとたたきつけるように言った。
「あなたたちが食べてしまったんだからしょうがないでしょう!」
仲間たちをにらみつけるマリアは、必殺技を繰り出しかねない氷点下の冷気を背負っていた。
「大神さん、遅いですね…」
空席の前の盆をみて、さくらがぽつりと言った。マリアはもそもそと米を噛んだが、味などよくわからなかった。




「ひゃあ、遅くなった」
大神がばたばたと食堂にかけつけた時には、マリアの剣幕に皆早々に引き払ったあとだった。一人残っていたマリアは、大神の姿に慌てて立ち上がった。
「隊長、お帰りなさい。お疲れさまでした。今おみそ汁を暖めなおしますね」
「栗ごはん、おいしくできたかい?もう楽しみにしてたんだ」
逃げるように盆を抱えて厨房に去ったマリアを追って、大神が声をかけた。
「…マリア?」
返事がないので、厨房を覗くと、マリアは途方にくれたような顔で、茶碗を抱えて立ちつくしていた。
「どうかしたの?」
「それが…その…」
マリアは口ごもった。
「あの…できたことはできたんですけど…みんなが…栗をつまみぐいをしてしまって…」
おそるおそるといったふうに、マリアはごはんを盛りつけた茶碗を差し出した。
「かぞえたら、八個しか残ってなかったんです。だから、みんなにひとつずつしか渡らなくて…」
ごはんの上にぽつんとひとつだけ乗った金色の栗が、マリアには情けなくてならなかった。一生懸命剥いたのに。隊長がこんなに楽しみにしてくれたのに。それなのに、こんなお粗末な栗ごはんしかできなかったなんて。指の痛みが急に疼きだしたような気がした。


「八個?じゃあ…マリアは食べてないのかい?」
しまった、という顔をマリアはしたが遅かった。情けなさが増した。大神が気の毒そうな顔をするのに消え入りたいと思った。




「はんうんこ、ひよう」
妙な声に顔をあげると、大神は口に栗の実をくわえて、おどけたように眉をあげていた。
 マリアは唖然として動けなかった。その頬を抱いて、大神が引き寄せる。
 唇の間に小さなかたまりが押し込まれ、やわらかな唇がふわりと触れた。大神の歯が、ゆっくりと栗の実を割る。
「…うん、おいしい」
顔を離し、大神はもぐもぐと口元を動かしてうれしそうに言った。あわててマリアも、くわえた半分の実を口に含んで噛みしめた。
 栗はほっこりと炊きあがり、餅米の甘みがよく染みていて、涙が出るほどおいしかった。







《了》





ちなみに、栗は外皮に切れ目を入れて手で剥いて、
渋皮だけ別に包丁で剥くのが楽な剥き方だそうです。
…やったことないけど;;






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