コンコンコン
 ちょうど日記を書き終え、閉じた時。来訪者を告げるノックの音が聞こえた。時計を見ると、10時を過ぎている。
「こんな時間に誰が・・・?」
 そう思いながら、マリアは椅子から立ち上がり、ドアノブをひねった。
「よっ」
 ドアの向こうには、笑顔のカンナがいた。手には、何やら酒の瓶を持っている。
「カンナ・・・何やってるの?もう消灯時間よ?」
「かてぇこと言うなよ。たまにはいいだろ?」
「たまにはって・・・」
「ほら、いい酒が手に入ったんだ。一人で飲むんじゃ寂しいじゃねぇか。付き合ってくれよ、マリア」
 マリアの言葉をさえぎり、カンナは強引に部屋に入ってきた。
「あのね、カンナ。もう隊長のみまわりもすんでいるし、消灯時間になるのよ?」
「んなこたわかってるって。でも、前に言ってたじゃねぇかよ。たまには息抜きも必要ねってさ」
「た、確かにそうだけど・・・」
 以前自分で発言した手前、急に歯切れが悪くなるマリアをよそに、カンナはどっかりと床に座り、瓶を置く。ちらりと見えるラベルには、「櫻吹雪」とかかれている。
「マリア、コップ出しておいてくれよ。つまみ、持ってくるから」
「・・・しょうがないわね。今日だけよ?」
「わぁってるって。んじゃ、頼むぜ」
 悪戯が成功したような笑顔を見せて、カンナは部屋を出て行った。その後姿をため息で見送って、マリアは机の引出しからコップを二つ取り出す。眠れない夜など、たまに部屋で飲むため、いつも部屋においてあるのだ。
 こうやってたまにカンナが飲みにきたりするので、自然とコップは数が増え、二つとなったのだが。
 しばらくして、カンナが枝豆を持ってきた。
「これしかなくってさ。この間、裂きイカとかは支配人に取られちまったから」
 悪いな、と笑って座るカンナに、マリアは苦笑を返す。
「あっただけましじゃない?」
「そうだな。思い付きだったし」
 瓶の栓を抜き、お互いのコップに注ぐ。
「ほい、かんぱい」
「かんぱい」
 チンッと音がして、二人は一気に半分ほどを飲み干す。
「あ、おいしいじゃない。どこで手に入れたの?」
「実はさ・・・支配人の部屋にあったやつなんだ」
「えぇ!?」
「しーっ!声がでけぇよ、マリア!!」
 慌ててマリアの口をふさぐカンナ。わかったから放してと目で訴えて、カンナに手を放してもらう。
「あなたねぇ、それって立派な犯罪なのよ?わかってる?」
「わーってるって。でも、たまにはいいだろ?支配人、いっつものみ過ぎてんだからさ」
「そういう問題じゃないでしょう」
 と言いつつ、マリアはいつもほど厳しくカンナを叱らなかった。
 いつもと様子が違う。
 それは、本当に僅かなものなのだが、付き合いの長いマリアにはわかる。
「カンナ、何かあった?」
「あ?んにゃ、別に」
 カンナは、特になんでもないようなそぶりを見せる。けれど、やはりその笑顔にはどこか影がある。
 そこで、マリアは気がついた。
「・・・いよいよ明日ね」
「・・・ああ」
 それだけで、カンナにも通じた。しばらく、2人とも押し黙る。
 明日、米田はこの帝劇を去る。大帝国劇場の支配人、そして、帝国華撃団の総司令の座を大神に受け渡し、米田はこの帝劇から身を引く。
 おそらく、カンナの気落ちの原因は、まず間違いなくそのことだろう。
「支配人には、いろいろお世話になったわね」
「迷惑もかけちまったけどな」
 へへ、と赤い顔で笑うカンナ。それは、酒のせいなのか、それとも照れからくるものか。
「長かったよなぁ・・・何年だ?え〜っと・・・」
「いいじゃない。私たちと支配人の付き合いは長いし、とっても深いものだもの。数なんて関係ないわよ」
 指折り数えるカンナを見て、マリアは小さく笑った。グラスの中の酒をあおる。空になったコップに、新しい酒が継ぎ足される。
「・・・ありがとう」
「ああ。でも・・・そうだよな。あたいたち帝国歌劇団に、年だとか、そんな数なんていらねぇよな」
「ええ。出会って何年なんて、所詮は数だけのもの。そんなものがいるほど、私たちの絆は弱くはないわ」
「へへ、そうだな」
 今度は、カンナのコップに酒を注ぐ。カンナはそれを一気に飲み干すと、マリアの部屋の窓から見える夜空を見上げた。
「あたいさ・・・ずっと思ってたんだ。支配人は、本当にあたいたちのことを本当の娘のように想っててくれたんだよなぁって。あたいも・・・そんな支配人のことを、本当の親父みたいに慕ってたんだなぁってさ」
「・・・そうね。私も、そう思うわ」
 ミカサの中での米田の言葉を思い出す2人。また、これまでにあったことを思い出す。
 米田は、花組のことを本当の娘のように想ってくれていた。だからこそ、花組も米田を慕い、今までがんばってこれたのだ。
 その米田が、帝劇からいなくなる。他のメンバーたちよりも付き合いの長い2人は、感傷も一入だった。
「寂しくなるわね・・・」
「そうだな・・・」
 2人、それきりしばらく言葉を紡ぐことなく、ひたすら酒をあおる。もともと酒の強いマリアは、まるで水でも飲むように杯を重ね、カンナもほろ酔いながら、コップに残る酒を流し込む。
「でもよ、いつかみんな離れ離れになるんだよなぁ」
「そうね。みんなそれぞれの道を歩み、この帝劇を出て行くのかもしれない」
「寂しいよなぁ。みんないなくなっちまうのか」
「でもね、カンナ。例え離れ離れになっても、私たちはいつまでも強くて堅い絆で結ばれてるわ。いつでも会えるわよ。会いたいと強く願えばね」
「・・・そうかなぁ」
「そうよ。だって、こうやってまたみんなでいられるじゃない。隊長とは何度も別れたし、巴里花組とだって、また会えたのよ。生きてさえいれば、いつだって会えるわ」
「・・・・・・」
 カンナは、天井を見上げた。脳裏に浮かぶ、懐かしい面影。その面影すらぼんやりとしている、母親。今では優しい面影を思い出すようになった、厳しかった父親。そして、自分をこの仲間たちに引き合わせてくれたあやめ。
 会いたくても、もう会えない人たち。
 そうだ。この人たちと違って、支配人は生きてる。あたいたちだって生きてる。会おうと思えば、いつでも会えるんだ。
「・・・そうだよな。会えるんだよな。これっきりじゃ、ないんだよな」
「そうよ。もちろん、他のみんなにもね。いつか離れてしまっても、きっとまた会えるわ。だって、私たちは家族だもの」
「家族・・・か・・・」
 大切な人を思い出す。
 さくら。
 すみれ。
 アイリス。
 紅蘭。
 織姫。
 レニ。
 隊長。
 かえでさん。
 支配人。
 そして、長い間つきあってきた、親友のマリア。
「そうだな。これ以上素敵な家族なんて、どこにもねぇよ!」
 酔って赤い顔をしたカンナが、声高らかに宣言する。
 もう夜中なのだから、少し静かにしなさいと言いかけて、マリアはその言葉を飲み込んだ。カンナと気持ちは同じだからだ。
「それにね、カンナ?」
「あん?」
「支配人には、きっとすぐに会えるわよ。今度はおめでたい席でね」
「は?」
 カンナは?マークを飛ばしてマリアを見る。けれど、マリアはただ微笑を浮かべてカンナを見るだけだった。
 マリアには確信があった。絶対に、そう遠くない未来に、米田とはまた会える。だって、米田の大切な娘の一人が、お嫁に行くかもしれないのだから。そんなおめでたい席に、米田が来ないわけがない。それに、むりやりにでも彼女たちが米田を出席させるはずだ。
「どういうイミだよ、マリア」
「ふふ、そのうちわかるわよ。さ、もう今日はお開き。明日二日酔いで支配人をお見送り、なんていやでしょう?」
「え〜?まだ飲もうよ〜」
「ダーメ。ほら、自分の部屋に戻りなさい。もう12時よ?」
 子供のようにすねた顔をしながら、しぶしぶ片づけを始める。そして、千鳥足でドアを開ける。
「マリア」
「なあに?」
「また、こうやって飲もうぜ」
「ええ、いいわよ。でも、その前に、明日はちゃんと起きてね。大事な日なんだから」
「わーってるって。んじゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
 ぱたん、と乾いた音を立ててドアが閉まる。一人になったマリアは、先ほど閉じた日記をもう一度開いた。その文末には、「また、すぐに支配人に会えるといいと思う」と書かれている。その日記の横には、明日支配人へ渡す手紙とプレゼントが置かれている。
「きっとすぐ会えるわ。私たちは・・・家族だもの」
 そう呟いて、マリアはベッドに横になった。明日は晴れますようにと、心の中で呟きながら。


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