み〜ちゃった



 ほの暗い遊戯室内では、一組の男女が呼吸を荒げて絡み合い、辺りに熱気に満ちた濃密な空気を漂わせていた。
時折聞こえる、濡れた水音と艶っぽい声。薄暗くてよく見えなくともすぐに何をしているか分る状況である。二人はビリヤード台をベッド代わりに甘く激しい情事を交わそうとしていた。
「あっ‥やっぱりこんなところじゃ…」
淡いブロンドの髪をサラサラと揺らし、途切れ途切れにマリアは言う。だが躊躇いがちの彼女の言葉も、与えられている刺激により、徐々に弱々しく消えていった。
大神はマリアのスラックスをずり下げながら、秘所に潜り込ませた指を更にかきたてて抜き差しする。驚くほどの大量の蜜が大神の指を濡らし、それは掌全体に広がっていった。感度のよさに笑みを漏らし、甘美な声を奏でるマリアの身体を台の上に突っ伏した。 形の良い、剥き出しの白い尻が薄闇にぽっかりと浮かんでいる。
その光景を満足そうな表情で見つめた大神は、細い腰に手を当てて口を開く。
「たまにはこんなところでするのもいいだろう?みんなの部屋からも遠いし…」
「でも、誰かが入ってきたら‥」
うつ伏せのまま、腰を突き出した格好のマリアは、真っ赤な顔を大神に向けて答える。
少し波の引いた頭の中は理性が復活し、こんな公共の場所で獣のように交わる自分を想像して耳まで赤く染めらせた。それとは逆に、目の前のマリアの痴態に興奮の極みにいた大神は言い含めるように話す。
「大丈夫さ。もう夜中の11時半だよ。みんな今頃はベッドの中で夢でも見てるよ」
「でも…」
はにかんだ様な困った様な顔をするマリアに微笑を向け、ズボンのファスナーを下ろしながらつけ加える。
「それに誘ったのは君の方だろう?今更駄々をこねるのは良くないな」
それを聞いたマリアは、途端に上体を浮かせて反論する。
「お誘いしたのはビリヤードですっ!見回りが終わったら久々に一緒にしようと思って声をかけたのに…」
確かに、最初はやっと二人きりになれた嬉しさに会話も弾んでゲームを楽しんでいた。だがやっぱり、ふと手と手が触れ合った瞬間からこういう状況になり、そのまま今に至ってしまったのであった。
それを不覚にも予想が出来ず、なおかつ受け入れてしまった自分に、後で大きく後悔することになるとは思いもよらないマリアであった。

大神はマリアの背中を軽く台の上に倒し、猛った一物を蜜壺に当てて、後ろから一気に腰を突き出した。
「はあっ‥あんっ‥」
大神が深く突く度にアルトの甘い声が断続的に響き、派手な水音と共に淫靡なハーモニーを奏でる。
恋人達は快楽に心酔し、二人だけの世界に浸りきっていた。すぐそばでさくらが聞き耳をたてて覗いているとはちっとも気づかずに‥‥


(うそっ。大神さんとマリアさんがこんなところであんなこと…)
夜中にトイレに行きたくなって起きたさくらは、部屋を出た帰りにほんのりと明かりのついた遊戯室を見て不審に思い、様子を窺ってみたのだった。最初、何が何だか分らなかったが、次第に状況が掴めてくると固唾を呑んでその場から動けなくなった。
驚愕の思いを抱えながら、二人の行為に耳を澄まし、ドアの隙間から目を凝らして見つめてみる。中は暗くてよく見えないが、声と音で何をしているか、まだ乙女なさくらでもはっきりと分った。
だんだんと顔が火照り、胸の鼓動が早鐘を打つ。
その後、二人の動きが止んだのを機に、そっと後ずさりをして急いで自分の部屋に戻った。
ベッドに腰掛けたさくらは、呼吸を整えると落ち着いてさっきのことを思い返してみる。だが、思い返せば思い返すほど、不愉快な思いと、苛立ちの気持ちがこんこんと湧き上がってくるのが感じられる。自然と顔つきは拗ねた表情になっていった。
(あたしだって大神さんのこと、好きだったのに…)
告白するほどの勇気もなく、好きで好きでたまらないというほどの思い入れもないが、確かにさくらは大神に対し、淡い感情を抱いていた。
だがその思いは、一瞬で微塵に砕け散ってしまったのだ。
さくらの場合、その面白くない、やるせない心の行き先はマリアであった。
(そうだ!マリアさんを脅してからかってやろう。あたしの大神さんを独り占めしてるんだもの、それくらいの小さな悪戯しちゃってもいいわよね)
なんとも自分勝手な思いつきだが、やっとモヤモヤが治まったさくらは明日のことを色々考えて、そのうち安らかな寝息を立てて眠りに就いたのだった。



次の日――
マリアを探したさくらは、一人きりで書庫に居るところを見つけて話しかけた。
「マリアさん、ちょっとお話があるんですけど」
「なに?さくら」
いつもと変わらぬ、落ち着いた雰囲気をまとわりつかせ、軽く微笑んでマリアは返す。今まで真面目で冷静だというイメージを持っていたさくらは、昨夜の痴態を思い浮かべ、また面白くない感情がぞろぞろと這い上がってきた。
(こんな風に取り澄ましている裏で、あんないやらしいことをしてたんだわ)
無意識のうちに口調は尖り、突っかかるような言い方でマリアに尋ねる。
「マリアさん、あたし昨日の夜、マリアさんのお部屋をノックしたんですけどお返事がありませんでした。どこに行かれてたんですか?」
「あら、ごめんなさい。昨日は疲れてぐっすり寝ちゃったのよ。何か大事な用だったの?」
表情一つ崩さずそう返答するマリアに、さくらはますます癪に障る思いにかられた。
さくらは上目使いでマリアを見て低くしゃべりだす。
「……昨日の夜中、あたし遊戯室でとっても凄いもの見ちゃったんですよ」
「………」
マリアの顔に一瞬、狼狽が走る。それを確認しつつ、尚もしゃべり続ける。
「仲がいいのは結構ですけど、あんな場所であんなことするなんて常識を疑います。そう思いませんか?マリアさん」
「さ、さくら…」
マリアの頭にカーッと血が昇った。見られていたのだ、あの行為を。恥ずかしさでいっぱいの心とは別に、さくらがこの後、何を言おうとしているのかその本心を確かめたい思いに駆られた。黙ってさくらの言葉を待つ。
「あたし、マリアさんって他人には厳しいけど、自分にも厳しい人だとずっと思っていたんです。でも本当は違ってたんですね。がっかりです。大神さんにしたって‥」
ちろりと意味ありげにマリアを見る。マリアはその視線を受け止め、じっと辛抱強く耐えた。自分のことなら何を言われても構わなかった。けれど、大神に迷惑がかかるようなことだけは避けたいと強く念じた。さくらは少し黙った後、またしゃべりだす。
「まだ正式の支配人になってない見習いですよね?公共の場で夜中に破廉恥なことをしてたって、もし上層部の人にでも知られたら取り消しになるかもですよ。そこまでいかなくても、大帝国劇場の名にキズがついたら全部大神さんの責任になると思います。そんなことになったら大変ですよね」
大神の名を出されて、もはや冷静でいられなくなったマリアはたまらずさくらに話しかける。
「…いったい何が言いたいの?」
にっこりと笑ったさくらは、マリアの顔に口を近づけて囁くように言った。
「安心してください、マリアさん。あたし、誰にも言いませんから」
「ほんと?」
半信半疑のマリアのまなざしに、さくらは目を細めて口を開く。
「その代わり‥と言っては何ですが、あたしの言うこと、聞いてもらえます?」
「黙ってくれるなら何でもするわ。だから‥」
「何でも‥ですか‥」
さくらは満面笑みを浮かべて、歌いだしそうなほど陽気にしゃべりだす。
「じゃ、今夜10時、誰にも内緒であたしの部屋に来てください」
「分ったわ」
マリアは深刻そうな硬い表情、さくらは明るくはしゃいでいる。この対照的な二人はそこで別れた。
たった今浮かんだアイデアを、より大きく膨らませたさくらは、スキップするように衣装部屋へと向かったのだった。


そして10時―――
マリアはさくらの部屋の前に立ち、小さくドアをノックした。

コンコン。

カチャリとドアが開いて、寝間着姿のさくらが顔を覗かせる。
「待ってました、マリアさん。さあ、どうぞ」
マリアはそっと部屋の中に入ると、問うような目つきでさくらを見つめる。さくらはベッドの上に置いてあった衣服を大事そうに抱えてマリアの前に差し出した。
「まずはこれを着てください、マリアさん。サイズはちょうどいいのを探したからぴったりなはずです」
「な、なに?これは‥」
絶句したマリアは、渡されたその服をまじまじと眺める。
白い襟に飾り気のない、膝丈の濃紺のワンピース。その上には控えめにフリルのついた白のエプロンと、ご丁寧にメイドキャップまで一緒だった。嫌な予感が脳裏を掠め、恐る恐る尋ねてみる。
「これを着て私にどうしろというの?」
「決まってるじゃないですか、それはメイド服です。この部屋にいる間はマリアさんはあたしの召使いになってもらうんです」
「……正気なの?さくら」
当然顔で頷くさくら。全く予想外の注文に、マリアは目眩すら起こしかけた。
服を手に、呆然と突っ立ったままのマリアを面白そうに眺めたさくらは、更に畳みかけるように言った。
「どうしたんですか?何でもするって言いましたよね?」
「確かに言ったけど‥‥」
「無理強いはしませんよ。でも賢明なマリアさんならどっちの選択がいいか判断できるはずです」
ふう、と諦めのため息をついたマリアは、仕方なくストライプのスーツを脱ぎ始める。ブラウスを落とし、スラックスに手をかけて徐々に白い肌が露わになっていく。
ベッドの上に腰掛けて着替えを見物していたさくらは、不意に楽しそうにしゃべりだした。
「マリアさんがあんないやらしい声を出すなんて、あたしびっくりしちゃったな。普段からのマリアさんとは別人みたいです。でも大神さんの前ではとっても可愛いんですね」
さくらに可愛いと褒められても、ちっとも嬉しくなかった。むしろ、羞恥心と不快な思いが心を締めつけていく。
着替え終わったマリアはさくらの前に立ち、幾分投げやりな口調で尋ねた。
「着替えたわ。何をすればいいの?」
「‥‥ここではあたしがご主人様でマリアさんが召使いなんです。心の中までメイドになりきってあたしに仕えなくちゃダメなんですよ。言葉遣いには気をつけてしゃべってくださいね」
喉元まで出そうになる言葉を呑みこんでどうにか平静を保つと、努めて柔らかな口調でさくらに話しかける。
「御用は何でございますか?ご主人様」
さくらはベッドの上にうつ伏せとなり、顔だけマリアの方を向けて命令を下した。
「午後のダンスのお稽古で足がくたくたなの。マッサージしてくれる?」
「………」
躊躇ってる風のマリアを見たさくらは、切り口上で脅し文句を言った。
「あたしの言うこと、すぐに実行しないと奴隷に格下げしちゃいますよ。いいんですか?」
「わ、わかりました」
素早くベッドに上がったマリアは、さくらの寝間着の裾を太ももまでめくり、つま先から土踏まず、ふくらはぎにかけてマッサージを始める。
「あぁ〜気持ちいい〜〜」
ベッドに寝そべったまま、さくらはマリアの懸命な奉仕に陶酔していた。ひんやりとした冷たい手で心地良い刺激を満喫できることもそうなのだが、なんといっても、あのマリアをいいようにこき使える爽快感に、さくらは深い喜びを感じていたのだった。
一方、マリアは足を揉みながら、心の中であることを強く念じ続けていた。
(私はメイド。メイドの役を忠実に演じているのよ。今この時だけ…)
そうでも思わなければ、こんなこと冷静に行えるわけがなかった。
やがて充分に足のマッサージも終わると、マリアは疲れきった声で話しかける。
「終わりました」
「そう、ご苦労様。じゃあね、ついでに腰と肩も揉んでもらおうかな?」
次第に図に乗ってきたさくらに、言いようのない気持ちがこみ上がったが、何とかそれを沈め、黙々とまたマッサージを始める。
そうして一時間くらい経ったろうか。
汗だくになり、くたくたになったマリアは、途切れ途切れに声をかけた。
「もう‥宜しいでしょうか?ご主人様」
あまりの気持ちよさに、半ばウトウトしていたさくらはハッと目を覚ましてゆっくりと身を起こす。
「ありがとう。今夜はもういいわ。明日また来てちょうだいね」
やっと解放されると思っていたマリアは、その言葉にぎょっとしてさくらを見る。
「明日って‥‥まだあるの?」
「当たり前じゃないですか。たった一回で済むと思ってたんですか?甘いですよ、マリアさん。後、2回は来て貰わなくちゃ」
(こ‥こんなバカげたことを、あと2回もしなくてはならないなんて‥‥)
絶句するマリアを楽しそうに見たさくらは、尚も続けて口を開く。
「早く行かないと、あたし、また違うこと言いつけちゃいますよ」
途端に慌てて自分のスーツを抱え、ドアへと向かうマリア。その背中にさくらが声をかける。
「今度もそのメイド服、着て来てくださいね。おやすみなさい」
マリアは重い足を引きずり、自室に帰ってすぐに深い眠りに就いたのだった。


翌日―――
マリアはムチを持ったさくらに散々こき使われる悪夢を見てしまい、最高に寝覚めの悪い朝を迎えていた。
また今晩もさくらの部屋に行かなくてはならないのかと思うと、自然と切ないため息が出てしまう。
(しょうがないわ、自業自得だもの。もう少し辛抱しなくては‥‥)
重苦しい気持ちの中、朝の支度をして食堂に降りると、みんなはもう席についていた。イスに近づこうとするマリアに、さくらがにこやかに挨拶する。
「お早うございます、マリアさん。すっきり爽快な朝ですね」
(そりゃ、そうでしょうよ)
心の中でそう呟くと、形ばかりの微笑でみんなに挨拶をする。
いつもと同じ賑やかな朝食風景。だが、その中の何人かは普段と少し違っていた。
さくらは朝から妙にハイテンションだし、紅蘭はちらちらとマリアを見て何事か考え込んでいる。そして当のマリアは元気がなさそうに、黙々と食事を摂っていた。
大神はそんなマリアを見て、心配顔になった。
(どうしたんだろう。何かあったのかな?)
早々に朝食を終えて二階に上がるマリアを追いかけて、大神は階段の途中で声をかけた。
「マリア、ちょっと待って」
「はい‥」
振り向いたマリアの瞳が幾分曇っていた。大神は眉を寄せて心配そうに尋ねる。
「どうしたんだい?何となく元気がなさそうだけど‥」
「いえ、何でもありません」
咄嗟にマリアはそう答えた。この場でさくらのことを言おうかと心のどこかで思ったが、告げ口をするようで憚られた。何より、拒めば拒むことが出来たものを、そのまま流されて行為に至り見られてしまったのは、自分に一番非があるとマリアは思ったのだった。
「私は大丈夫ですから。では‥」
軽く一礼してほんのり微笑み、その場を去る。
しばらく歩いていると、廊下の曲がり角からひょっこり紅蘭が顔を出した。
「待っとったで、マリアはん」
メガネをキラキラ光らせ、ニンマリ笑う紅蘭を見て嫌な予感が脳裏を掠めた。紅蘭はキョロキョロ辺りを見回して小声で話しだす。
「ここじゃ、誰かに聞かれるかも知れへんからウチの部屋に来てや。大事な話があるさかい」
「大事な話‥‥?」
「せや。ウチなあ、昨日の昼、書庫の隅で本を読んでたんや」
「!?」
意味ありげな言い方にピンときたマリアは動揺の顔を浮かべる。
「もう、分ったやろ?早う、ウチの部屋に行こ」
マリアの背中を押して、半ば強引に自室に連れ込む紅蘭。
部屋の中には、妙な機械がどんと置いてあった。なるべくそっちを見ないように、猜疑に満ちた目を向けてマリアは紅蘭に話しかけた。
「…で、書庫に居てどうしたっていうの?」
「とぼけてもムダや。ウチ、全部聞いたんやで。ついでにさくらはんの部屋もこっそり覗いてみたんや。いや〜ええもん、見せてもろたわ〜さくらはんはええなあ。マリアはんにいろいろしてもろうて‥」
「紅蘭。言いたいことがあるならはっきり言ったらどうなの?」
低めの口調でそう言うと、紅蘭はペロッと舌を出し、妙な機械を指差して陽気にしゃべりだす。
「ほんなら言いますけど、ウチの発明した‥‥」
「お断りよ」
途中で言葉を遮断された紅蘭は、多少気分を害したように拗ねてみせる。
「ええの?マリアはん。ウチかて絶対誰にもしゃべらへんていう自信はないんやで。もし、バレたりしたらそら、えらいこっちゃで。やっとモギリから支配人見習いに格上げになったいうのに、舞台女優との噂が発覚したら支配人取り下げになるかもしれへんな〜」
「……紅蘭。脅す気?」
紅蘭は至っておおらかに返す。
「ウチ、そんなつもり全然あらへんよ。ただ2回ほど、ウチの発明品の協力をしてほしいだけや」
(結局脅してるんじゃないのっ!)
マリアは憤慨しかけたが、やっぱり大神のことを持ち出されるとその気もなくなり、諦め顔でぼそっと言う。
「分ったわ。2回でいいのね?その代わり‥」
「大丈夫やて。ウチ、しっかり口を閉じとくさかい」
より一層、明るくなる紅蘭。
「いや〜ホンマ、助かるわあ。じゃ、早速この『いつでも健康くん』に試乗してや」マリアは、穴のあくほどじーっとその発明品を見つめた。
全体的には自転車のような形で、下には足こぎペダル、腰掛けるところには黒く幅の広いゴムベルトがついている。ハンドルのところは手でくるくると回せるような持ち手になっていた。
自慢気に紅蘭は語りだす。
「コレはなあ、身体のあちこちを同時に運動させることにより、より体力がついて健康になるというスグレモノや。手と足はペダルこぎ、腰のベルトは振動でウエストを引き締めるんやで。ついでにイスの下についとる台を垂直にすると腹筋も出来る機能付や。どや?ええもんやろ?成功したら鍛錬室に置くつもりや」
「そう…」
力なくマリアは答える。紅蘭はにこにこ顔のまま、急かすように言う。
「さあ、物は試しや。マリアはん、早うお願いします」
渋々マリアはそれに乗っかり、腰のベルトをつけてスタートボタンを押し、こわごわゆっくりとペダルを漕ぎだす。
「どうや?乗り心地は?」
「そうね、なかなかいいんじゃないかしら」
確かに始めてみれば、それほど悪くはなかった。ペダルの調節は自由に出来るし、腰のベルトの振動も不快ではなかった。今回は大丈夫そうだと思った瞬間、足のペダルが異常な速度で勝手に回りだした。
足を外そうにも、つま先を固定しているため、それもままならない。そのうち手のハンドルも同じようにぐるぐると回転しだす。
「こ‥紅蘭!おかしいわよ、これ。ペダルが勝手に動いているわ!」
「あれ〜?おっかしいなあ‥」
紅蘭が後部についたモーターを覗いた瞬間、その『いつでも健康くん』は大きくぶる
ぶると震え出した。
「あ、あかん!!」

ドッカーン!!

お決まりの結末の中、煙に包まれた紅蘭とマリアは、咳き込みながら急いで窓を開けて換気をする。もうガラクタのようになってしまった発明品を見て二人はしばし呆然とする。
その後、紅蘭が照れ笑いの表情でマリアに話しかけた。
「すんまへんな、マリアはん。ちょっとモーターをいじりすぎたみたいや。まあ、ええわ。明日は爆発せんものに挑戦するさかい、コートの下に何も身につけないで来てや。その方が都合がいいよって」
何の実験台か分らないが、マリアは背筋にピリピリと薄ら寒い悪寒が走るのを感じた。
よろよろと紅蘭の部屋を出たマリアは、少し身体を休めようと自室に向かったとき、待ち構えていたような大神とばったり出会った。
大神は疲れた感じのマリアを見て声を落として尋ねる。
「大丈夫かい?何だかさっきより元気がないみたいだけど…」
「いえ、ほんとに何でもありません」
しゃんと姿勢を正し、平静に返すマリア。一瞬黙った後、大神が真剣なまなざしをマリアに向けて言った。
「‥今夜、俺の部屋に来てくれないか?話があるんだ」
大神は一大決心をして今晩、マリアにプロポーズをするつもりだった。もちろん、マリアがすぐに承諾するものと固く信じて。
だが、マリアは用心深い目で辺りに視線を配った後、すまなそうにその誘いを断った。
「すみません、今夜は用事がありまして…」
そう。今夜はさくらの部屋に行って奉仕しなくてはならないのだ。大神の決意を知る由もないマリアは、気が滅入る思いでいっぱいであった。目を伏せるマリアに、大神はその真意を問いた。
「どうしてもダメなのかい?とても大事な話なんだ。是非来て欲しい」
「すみません。後日改めて伺います。では…」
マリアは周囲を見回して、逃げるように自室に入った。
後に残された大神は、唖然とした顔でしばらくその場に佇んでいたのだった。


(どうしてマリアは断ったんだろう‥‥)
自室に戻った大神は机の椅子に座り込み、いろいろと考え込んでいた。
今まで重要な任務以外、自分の誘いを断ったことがなかったマリアを思うと、不安と心配がぐるぐると頭の中を巡っていく。そういえば、今日の様子もどこかおかしかった。人の目を気にして、まるで自分を避けるように自室に入っていったことを思い出すと、大神はますます暗い気持ちに陥っていくのだった。
(もしかしたら、いつまでもはっきりしない俺に嫌気がさして、マリアの気持ちが変わってしまったのかも‥いや!マリアに限ってそんなことは絶対にないはずだ!しかし‥)
迷い、戸惑い、散々に考えた挙句、出た結論は‥‥
(きっとマリアは、みんなの目を気にしすぎて疲れたんだ。俺の事を避けるのもそのせいに違いない。だったらちょうどいいじゃないか!今すぐ俺からみんなにマリアとのことを公表しよう)
我ながらいいアイデアだと思った大神は、顔を上げて時計を見る。夕食時に近い時間であった。
(よし。これから発表しに行こう)


食堂は相変わらず賑やかで、華やかな笑い声と楽しそうなおしゃべりが響いていた。
全員揃っているのを確認した大神は、おもむろにマリアの後ろに立ち、コホンとわざとらしい咳払いをして、メンバーに話しかける。
「みんな、聞いてくれ。俺達から重大な発表がある」
ざわざわと、どよめきが流れる。何を言うのだろうかと、好奇心いっぱいの面々の中、一人マリアは眉を寄せて大神の方を向く。大神は、恋人に優しい笑みを返してしゃべり始めた。
「えーと、実は俺とマリアは以前から付き合っていたんだ。みんなにはずっと隠していて悪かったが、俺たち二人の気持ちは真剣だ。将来、一緒になるつもりでもある。だから、みんなが俺とマリアのことを認めてくれるととても嬉しいと思う」
「お、大神さん‥‥」
マリアは目を見開いて大神を見る。突然の結婚宣言に嬉しさよりも、驚きと戸惑いの気持ちの方が大きかった。
(一体何故、急に言い出したんだろう…)
しばらくの沈黙の中、パチパチとばらばらの拍手が鳴り響く。
「突然でびっくりしたけど、まあ、めでてえ話だからな。おめでとう。マリア、大神支配人」
カンナの顔は笑顔を浮かべてはいるが、どことなく口調に覇気がなかった。それぞれのメンバーも、拍手を送りながらも、心から祝福するという面持ちではなかった。
だがみんなにしゃべってすっきりしたのと、拍手を送られてすっかり浮かれ気分になった大神は、嬉しそうに口早にしゃべりだす。
「みんな、ありがとう。じゃ、さっそくかえでさんのところに報告しに行くよ。すまないけど、夕食はもうちょっと待っててくれ。さあ、行こうマリア」
「あ、あの‥でもちょっと‥」
大神に手を取られたが、マリアはちくちくとした視線を感じて席を立つのを躊躇っていた。だが半ば強引に引っ張られ、二階へと連れて行かれてしまったのだった。


「どうして急にあんなことを言ったんですか?」
マリアはかえでの部屋に行きがてら、疑問に満ちた顔で大神に質問した。大神は少し照れたように答える。
「ごめん。実は今夜、俺の部屋でちゃんと言うつもりだったんだ。でも、君は来れないって断ったよね?それに随分周りを気にして疲れていたみたいだったから、先にみんなに発表しようと思ったんだ」
「そ、そうだったんですか‥すみません‥」
そこまで自分を思ってくれていたことに、すまなさと嬉しさが交互に湧き上がる。真面目顔になった大神はマリアの方を向き、真摯に語りだす。
「後回しになったけど、はっきり言うよ。結婚しよう、マリア」
マリアはうっすらと頬を染めてこくんと頷いた。


二人が居なくなると、途端にメンバーの間にどんよりとした空気が流れていく。みんな、大小あれど大神に好意を寄せていたので、突然の結婚宣言に面白くない感情がぞろぞろと表れていたのだった。
「あいつも水臭えよな。あんな発表する前に、あたいに一言打ち明けてくれれば、もう少し違った気持ちで祝えるのによ」
幾らかふてくされたようにカンナが言う。
「お兄ちゃんはずーっとアイリスの恋人だったのに‥」
大きくため息をついたアイリスがぽそっと呟く。
「まあ、破鍋に綴じ蓋ってカンジで〜すね。お似合いじゃないんですか〜」
どうでもいいようなゼスチュアで織姫が言う。
「‥‥‥」
レニは相変わらず無言である。だが何となくあまりいい気分でない様子が伺えた。
さくらは頬杖をついて独り言(充分みんなに聞こえる声だったが)を漏らす
。 「あ〜あ。もうバラしちゃうなんて予定外だわ。でも今夜の約束はきちんと守ってもらわないと…」
「ウチもや。マリアはん用にとっときの発明品を作っている最中なんやから、絶対来て貰わんと‥」
そう言って、はたとさくらと顔を見合わせ、しまったという顔をする。ピンときたさくらは紅蘭に言う。
「紅蘭。あなた、もしや‥」
紅蘭は照れ笑いを浮かべてさくらに小さく頷く。
「いや〜実はさくらはんとマリアはんの話をウチ、偶然聞いてしまってな‥」
二人の会話に興味を持ったものの、よく訳が分からなかったのでカンナは二人に尋ねる。
「おいおい、いったい何の話をしてるんだよ。あたい達にも教えてくれよ」
それをきっかけに、他のみんなも口々にせがみ、執拗に催促し始めた。しつこく迫られ、さくらと紅蘭はとうとう根負けして、仕方なくポツポツと、ことの経緯を話しだした。アイリスの手前、密会の表現は控えめに落とした説明をして。
聞き終わった織姫が一番に口を開く。
「面白いでーす!わたしもマリアさんのようなメイドがちょうど欲しかったでぇ〜す♪」
「お兄ちゃんをとっちゃったんだもん、アイリスもマリアにいろんなお願いしてもいいんだよね?」
さっきまで元気がなかったアイリスは、途端にはしゃいでそう言った。
「そういや最近マリアのやつ、あたいの誘いを断ってばっかで付き合い悪ぃんだよな。この際、あたいも混ぜてもらおうかな」
カンナまでそう言い出す始末。
「‥‥みんな平等が花組のモットーだ。ボクも参加する」
とうとうレニも加わってしまった。
メンバーそれぞれが、マリアにどんなことをして貰おうかと妖しい計画を練っている最中に、大神とマリアが2階から降りてきた。
「やあ。みんな、待たせたね。食事を始めよう」
至って嬉しそうな大神と、かえでにからかわれて幾分上気した顔のマリア。このとき、マリアは気づかなかった。みんながあれこれと仰天するような要求を考えていることに。


「いっただきま〜〜す♪」
食堂から楽しそうな声が響き渡る。
少し気になっていた先ほどまでの変な雰囲気とは違い、やけににこやかで明るいメンバーに深く感謝したマリアは、幸せの絶頂にいたのだった。

Fin.




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