夏の気配

夏野 遥 (はるる)







なんだか最近みんなの様子が変だ。

大神は、夜間見回り用のライトをぶらぶらさせながら、中庭から夜空を仰いだ。
欧州からこの春帰ってきたとはいえ、相変わらずモギリ身分である自分は、今日も今日とて夜間の見回りにせいをだしている。
それはともかくも、いつも通りの自分であるはずだ。
なのになんだか皆の目が厳しい…。それもなんだか一定の場所を見回ろうとするときに厳しい…。

…………。

……。今夜はいつもとは逆に見回ってみるか。

と、いうわけで大神はいつもとは逆に夜の見回りに行く事にした。

普段なら上から順に部屋を回っていく事にしていたが、今夜は下から行ってみることにする。
最近の傾向として、さて、地下を見て来るかと歩を進めようとすると、どこともなく隊員が現れ、なんやかんやと引き止められてしまう。
それはアイリスの
「おにいちゃーーん。アイリス勉強わかんないとこあるのぉーー。」
だったり。
「中尉。お茶でもお飲みになりませんこと?」
という、すみれくんのお誘いだったり。
「大神さーーん。照明の調子をみてほしいんですけど…。」
という、さくらくんのお願いだったり。
「中尉サーーン、ワタシのピアノを聞くデース。」
という、織姫くんの強制だったりするのだけれど。

ともかくも、入れ替わり立ち代わり、隊員たちが大神の地下への道のりを阻止しているようなのだ。

…きっと、これは地下に何かあるに違いない…。
なんだろうか、もしかして薔薇組でも帰って来ているのだろうか。
…こっこれは何としてでも、理由を突き止めないと…。
大神は、言いようの無い不安に駆られながら、足早に中庭から地下への廊下を抜けた。



とりあえず、地下に降りてまず大神がやったことといえば、薔薇組の部屋を開けてみることだった。
……ほっ。いない……。大神は胸をなで下ろしながら、ドアを閉めた。
次にとなりの倉庫を覗き、蒸気演算室…作戦司令室、医務室と鍛練室を見て、更衣室と浴室を注意深く見回った後、最後に水泳場に行こうとし、廊下で人の話し声に気づいた。
「…………だから……だよ。」
「…………大丈夫だって。……じゃねーーか。」
……レニとカンナの声だ。なにやら、いつもと違う組み合わせに大神は思わず水泳室の扉の陰に隠れた。……そこに最近連日の隊員たちの怪しい行動の原因があるような気がしたからだ。
そーーっと、扉の陰から覗くと水着姿のふたりが見えた。正確にいうとレニは水面から顔だけをだしており、カンナはプールサイドに立っている。ここで大神はもうひとりの存在に気がついた。
……マリアだ。
マリアは『1』と書いた飛び込み台の上に腰を降し、所在無げに水面に足先だけを入れてパシャ、パシャと水音を鳴らしている。マリアの服装は、上は白いノースリーブで下は黒いサブリナパンツである。
なんだかいつもとは違うマリアの様子に、大神は内心、心臓バクバクいわせながらこの様子を見守ることにした。

「だって、わたしカンナと違って、海の近くで育ってもいないし、とにかく怖いのよ水って……。」
「なに言ってんだよ。帝都の乙女の憧れのスター、マリア・タチバナともあろうお方がこんな泳ぎひとつで、ウダウダ可笑しいぜ。それに海の近くってことなら、レニだって海の近くでなんか育ってないぜ。」
「……胎児は母親の胎内にいる間は、ずっと羊水の中に浮かんでいる。つまり人は生まれる前から水には浮かぶことは経験済みなんだ。」
「ほらっ。レニの言っていることはあたいには難しくってよくわかんねーけどよ。よーうするに、本来なら泳げるってことだよな。マリアもそんな格好してないで、さっさと着替えてこいよ。こういうことは《習うより慣れろ》なんだぜ。」
「いやよ。着替えてきたら、またすぐに水に引きずり込むつもりなんでしょう?」
「へへっ。さっすが帝国華撃団の副隊長…。あたいの作戦はお見通しだな。」
「もうっーーカンナったら。」

同期のカンナといるせいか、いつもの大人びた感じとは異なり、幾分幼い少女のようなマリアの様子に思わず大神は微笑んでしまった。
そんなに嫌なら帰ってしまえばいいのに、いささかヤケ気味に水を足で掻きまわしている姿がかわいらしい。レニでさえも、そんなマリアを興味深げに見ている。

「ともかく、夏までに泳げるようになりたいんだろ、マリア。もう6月、沖縄じゃあもう盛夏ってところだぜ。早く泳げるようになんねーと、せっかく買ったあの水着もパァになっちまうだろっ。せっかく隊長と約束したのになぁ、マリア。隊長、残念がるだろうなぁ。……あたいが、代わりに隊長と新婚旅行に行ってきてやろうか?」
「……それならボクも代理に行きたい。」
「あ、あなたたちっ、言うにことかいてなんてこというのよ!」
マリアが真っ赤に頬を染めながら反論すると、カンナはケラケラと楽しそうに笑った。
大神はといえば、同じく真っ赤に頬を染めながら、そういえばそんな約束もしたなあ…と思い出す。
実は大神とマリアはこの夏、結婚することになっていた。一年間の遠距離恋愛が実った結果だ。大神が欧州に旅立つ前、マリアは大神に手紙を差し出した。そこには確か『今度までに泳ぎを練習しておくので、いつかいっしょに泳いで下さい。』と書いてあったことには書いてあった。
大神自身は、最近マリアとの結婚に浮かれていてそんなことはすっかり忘れていたが、生真面目なマリアは気になっていたらしい。どうやら連夜、泳ぎのうまいレニやカンナに泳ぎを教わって、他の隊員には見張りを頼んでいたみたいなのだ。
やっと大神には合点がいった。
おまけに、新婚旅行はハワイにでもしようかとウッカリ話してしまった。もちろんまだまだこの帝都でも新婚旅行はメジャーではないが、欧州では流行の兆しがみえており、つい皆に婚約発表を兼ねた花見の席で、酒に気分をすっかり良くした自分がくっちゃべってしまったのだ。
はっきり言ってふたりとも仕事が忙しく、当分時間は空きそうにもないので、取りあえず式だけ挙げて、後は機会をみて……というのが大神の心づもりだったが、マリアは肯定的に捉えてしまったらしい。もうすでに水着を買って、泳げるようになろうと努力しているらしいのだ。

思わず大神は
「マリア……君はなんてかわいいんだ……」
と呟いてしまった。

「大体、2ヶ月もかかってまだ水に浮かぶことができないなんて、ボクの予測の範囲を遥かに超えている。ある意味ではこれはすごいことだよ、マリア。」
少し髪を伸ばし、ここ1年でもっとも変わった感のレニではあるが、言うことは相変わらず辛辣だ。いうだけ言って、自分はプールをクロールで一周りしにいった。
「もうっレニまでっ。……ねぇ、カンナ。どうしてわたしは泳げないのかしら?」
「ま、ここまでやってできないってことはだな。きっと向いてねぇってことなのかもな。…でもな、マリア。何でもそうだけど大切なのは《勇気》だぜ。水を受け入れる勇気が今のあんたには必要なのかもな。」
「……勇気……。」
マリアは飛び込み台の上に恐る恐る立ってみた。青い水面に自分の全身図が映る。いつもとは違い、不安げな表情だ。
マリアは、遠くで悠々と泳いでいるレニに視線をおとした。

それから目を閉じ……イルカのように自由に海を泳ぐ自分をイメージしてみる。

……もちろん隣には隊長、いえっ、一郎さんがいて……そして、そして………微笑むわたしが……。


大神はさっきから皆に言葉を掛けようと思いつつ、タイミングが掴めずに少し困っていた。少し…だったのは、さっきから赤くなったり青くなったりするマリアの表情が愛しくって愛しくって目が離せなかったせいである。
ただ悲壮な覚悟のマリアが可哀相で、助け船をだしてあげようかと大神が一歩足を進めたその時、目を瞑っているマリアの後ろから、忍び足で寄るカンナに気がついた。
…カンナはいたずらっ子のような笑みを浮かべて、マリアに近づくとその瞬間、それはもう勢い良く、マリアの背中を『バンッ』と押した。
「きゃあああああぁあああ……」
無防備だったマリアは、もろ水面にしたたかに体を打ちつけ、バシャバシャと水中でもがき始めた。
足が着かない深さではないのに気が動転しているらしく、手足をバタバタと動かしてはいるが、むなしく水を掻くばかり。息も苦しそうだ。

「いけないっ。マリアっ!!」
慌てて大神は、上着を脱ぎ捨てると水中に飛び込んだ。
いきなりの出現にマリアは驚くだろうが、そんなことは構っていられない…マリアの一大事なのだ。
「た、隊長……っ」
マリアが大神に、必死の思いでしがみついてきた。溺れる者特有の力のものすごさで、逆に大神は水中に引き込まれそうになるが、プールの底に着いた両足を踏ん張って、両手で暴れるマリアをぎゅっと抱き締める。……気のせいか、なんだかいつもよりプールを浅く感じる。
「マリアッ、落ち着いてっ……。足を下に着けるんだっ、ほらっ底は浅いだろうっ……。」
数分後、息をゼイゼイと切らしたマリアが体を預けてきた。どうやらパニック状態は治まったらしい……。大神が優しくマリアの金髪をかきあげると、碧の瞳にいっぱい涙を溜めたマリアがそこにいた。
「隊長……助けに来て下さったんですね……。」
「マリア……よかった……。」
そのまま大神はマリアを抱き締める。マリアも大神を抱き締めていた。

しばらくそうしたままじっとしていたが、マリアの身じろぐ気配で大神はやっと我に返り、腕の力を緩めようとした。……が。
「……一郎さん、もう少しこのままでいて下さいませんか……。」
おずおずとしたマリアの申し出に、反論もあろうはずなく従うことにする。
いつのまにか、ギャラリーはいなくなってしまっていた。

「マリア…、そんなに無理して泳げるようにならなくてもいいよ。新婚旅行だってハワイと決まったわけじゃあないし。」
大神が優しくマリアの耳元で囁くようにいうと、マリアはくすぐったそうに笑いながら
「そうですか?じゃあ、買ってしまった水着もいらなくなりますね。」
と、言った。水でぴったりとノースリーブが肌についてしまい、そこから透けてみえる素肌が目の毒だ。
「へっ?どんな水着を買ったんだい?」
思わず大神が聞くと、マリアは恥ずかしそうにポツリと。
「………白のビキニなんです。」
と答えた。

その瞬間大神は、たとえ黒之巣会と黒鬼会が束になってかかってきたとしても、今年の夏は休みを取って、新婚旅行はハワイに行こうと心に誓ったのであった。


「……どーやらうまくいったみたいだな。マリアと隊長。」
「これでマリアさんも泳ぎが好きになるといいですね。大神さんたらっ、付きっきりで教える気みたいだし。あーーあ、焼けちゃうなーー。」
「ほほほ…こんな大勢でお膳立てしないと、泳ぎひとつ上手くいかないなんて、やっぱり花組のトッ、プスタアはわたくしですわねえ。」
「すみれだって、クモ嫌いじゃなーーい。だれでも苦手なものはあるもんっ。」
「それにしても、今回の紅蘭の発明はナイスでしたネ。ワタシ、爆発しないアナタの発明品みたのハジメテデーース。」
「ほっといてんか。プールの深さを自在に操ることができるリモコン、名づけて《あしぞこくん》や。元はと言えば、レニはんの水中訓練用に作った機械なんや。さすがにレニはん、操作は手慣れたもんやったわー。」
「マリアが落ちた時は深めに、隊長が助ける時は浅めに。要はタイミングの問題だ。人生も然り…だね。」

ふたりを見守る七人の乙女たちの姿。

けれど、ふたりが気づいたのは近づいてくる夏の気配だけだったのかも知れない。






END  

[ Top ] [ ALL ]

inserted by FC2 system