Nocturne〜夜想曲〜






 銀座の大通りから数本裏に入った通から更に横に入ったところにこの店はあった。
 店の名は『Guilty』。
 色電球で縁取られた小さな看板を目印に地下に向かう階段を下りると大きな観音開きの扉があった。
 この店に来るのは今夜で2度目。
 そう、あの夜。この店に初めてやってきたとき、マリアにはさくらを助けなければという気持ちだけでほかに気を配る余裕など全くなかった。
 「私もまだまだね……」
呟いてマリアは扉をあけた。
 思い切って店内に入る。騒がしかった店内の音が一瞬停まり、視線がマリアに集まった。それを気にすることもなくマリアはゆっくりと店内を見回した。
(いない……)
あの人はここには出入り禁止になってしまったのだろうか。ほかを当たった方がいいのかもしれない、そう思ってマリアが身を翻そうとしたときだった。
「いらっしゃいませ。今日はお一人ですか?」
バーテンダーに声をかけられた。あんな騒ぎを起こしたあとだ、追い返されるのではないかと思っていたのでマリアは少し驚きながらも促されるままにカウンターについた。
「なにになさいますか?」
短い髪をグリースでなでつけた男装のバーテンダーはそういってマリアの目の前にコースターを差し出す。
「人を探してるの。」
「あの方でしたら、そろそろいらっしゃると頃だと思います。」
え?バーテンダーの言葉に思わず驚きの声を上げてしまったマリアに彼女は微笑んで頷いた。
「そう、待たせてもらっていいかしら。」
「はい。では、なにかお作りしましょうか。」
「そうね…ウォッカを。」
「かしこまりました。」
まもなく、よく冷えたグラスにウォッカが注がれて出てきた。
「ありがとう。」
マリアはグラスに口をつけた。よく冷えたウォッカがのどに心地よい。それと同時にどこか張りつめていた気持ちが落ち着いていくのがわかる。
「ねえ、聞いてもいい?」
声をかけられて、グラスを磨いていた彼女が顔をあげた。
「なぜ?どうして、今日は私をお客として認めてくれるの?」
マリアの問いに彼女はフッと小さく笑った。
「あなたは今日初めていらした方ではありません。それに……」
「それに?」
「ボスの大切なお客人は我々にとっても大切な方ですから。」
「そう…」
どうやらボスのポジションが無事らしいことがはっきりしてまた安堵する。再びウォッカに口をつけた。落ち着いて店を見渡すとどこか懐かしいN.Y.の酒場を思い出させる。
「おかわりは…」
バーテンダーが声を掛けかけたとき、店のドアが開いた。
「ボス。お客様がお待ちですよ。」
「客だと? あ、あれは…」
マリアが扉の方に振り向く。
その姿をみとめてダンディのボスが駆け寄ってきた。西村と武田もそれに続いた。
「マリアさん。ここには来ちゃ行けないっていったじゃないすか。」
武田が言った。西村もそれに続ける。
「そうです。ここはカタギの方のくるようなところじゃないんですから。」
「いいのよ。この店の感じ…懐かしいわ。」
マリアの答え。最後の方はつぶやきのようだったが、それは語られることのないマリアの過去を暗示させるに十分だった。
「それにね、今日はボスにどうしても会いたくて来たの。ダメかしら。」
「私にですか?うれしいですね。じゃあ、奥に行きましょう。」
ボスに手を取られてマリアは彼の指定席の奥のBOX席へと移動した。
マリアを座らせると、西村と武田がブランデーとグラスを2つ持ってやってきた。
「ご苦労。おまえらは下がってろ。」
二人は会釈して少し離れた席に去っていった。
「ブランデーでいいですか?」
「それよりまず、私、ボスに謝らなくてはいけないわ。」
「謝る?いったい何のことです?」
「この間のこと…私、さくらを助けることで頭がいっぱいで…あなたの立場も考えずに勝手なことばかり……思い出すだけでも恥ずかしくて、情けなくて…本当にごめんなさい。」
そういうとマリアは頭を下げた。
「ああ、顔をあげてくださいよ、マリアさん。あれは…いいんですよ。マリアさんやレニさんの気持ちはこの団耕助よーくわかっております。だから、頭をあげて。」
「違うの…違うのよ……これがさくらやカンナならしかたがないわ。でも、私は……私はあなたの立場わかっていたはずなのに…忘れていたのよ…それで、あんなこと……それが情けなくて。」
膝に置かれたマリアの手が小刻みに震えている。
「マリアさん……私はマリアさんが過去になにがあったかなんて知りやせんし、そんなことどうだっていい。ただ、言えることは、こんな裏の世界のこと。忘れられるなら忘れた方がいいんですよ。」
ボスの大きな手が震えるマリアの手を優しく包む。
「ボス…」
ようやく顔をあげたマリアにボスは微笑みながら語り続けた。
「いいですか?マリアさん。俺らにとって花組さんは特別なんだ。夜空に煌めく星。こっぱずかしい言い方になっちゃいますけど、『大切な宝物』なんですよ。それにね…」
「それに?」
「うれしかったんですよ。レニさんの言葉が。」
「レニの…言葉?」
「ええ。あの時、レニさんが『仲間』って言ってくれたでしょ?こんな裏稼業の俺らを『仲間』と呼んでくれた…本当にうれしかったなあ。」
「ええ。私もダンディ団のみなさんは大切な仲間だと思ってる。だからこそ、申し訳なくて…あのことがあなた方の立場を悪くしたのではないかと…」
そう、それこそがマリアが一番気になっていたこと。ここへ来た理由だった。
「そのことですか。…それは心配いりませんよ。」
「本当?本当なの?」
今度はマリアがボスの手を握りしめ、顔をのぞき込む。マリアの深い翠色の瞳に見つめられて思わずいたたまれずにボスはその手をふりほどいて恥ずかしそうにうつむくと身体ごとマリア背を向けた。
「ええ。いや…ホントにお礼を言わなきゃいけないのはこっちの方ですよ。マリアさん。」
「え?」
「マリアさんには嘘はつけませんからね…そりゃあ、確かにあの夜お二人が帰ったあとしばらくは冷たい目で見られた時もありました。しかも、翌日には桃栗小僧が捕まったってニュースも流れましたしね。「こりゃあ、もうここにはいられないかな」って思ったことも事実です。」
「…そんな……」
やりきれないという表情でマリアは頭を振った。
「でもね、マリアさん。後悔はなかった。だって、それでさくらさんが助かったんです。そっちの方がよっぽど大事だ。だって、『仲間』なんですから。」
「ボス…」
「その夜、ここを出て行くことになるかもしれねぇと覚悟してここにきた。ところが思ってたのとは全く違うことが待ってたんですよ。」
「違うこと?」
「マリアさんもおわかりかもしれませんが、この裏社会ってやつは情報が伝わるのが早いんですよ。」
「…そうね、確かに。」
「さすがは花組さんだ…あの桃栗小僧を自首させたっていうじゃないですか。しかも、桃栗の仲間は誰一人お縄にならなかった…いや、しなかったっていうのが流れましてね。」
「だって、それは、当たり前のことだわ。」
「その当たり前をさらりとやってしまうのが花組さんのすごいところだ。おかげで、俺らも引き続きこの街生きていけるってわけですよ。それだけじゃない、この街のみんなが花組さんたちに感謝してんですよ。」
「そんな…感謝だなんて…」
「感謝してんですよ。花組さんといえば当代のスターさん達だ。その上、腕っぷしがつよくて気っぷがいい。ちょっとした憧れの的ですよ。」
「だから、ここに来たとき、みんな歓迎してくれたのね。」
「たぶんそうでしょう。いや、だからといってここは花組さんたちの来るような場所じゃないってことは代わりないんですぜ?」
「そうね…でも、今日だけは、いいでしょ?」
にこりと笑って言うマリアにボスはしばしみとれた。
「マリアさん……そんな顔されて断れる男がいたら見てみたいですよ。」
「ふふっ、それは褒め言葉って思ってもいいのかしら。」
ボスは大きくうなずいた。
「せっかくマリアさんがこんなところまで来てくださったんだ、今日は飲みますか。マリアさん時間はいいんですか?」
「ええ。ちゃんとかえでさんや支配人見習いにも話をしてきたから、いくら遅くなっても大丈夫。」
マリアはいたずらっぽく言う。
「そりゃあいい。じゃあ、朝まで飲み明かしますか。」
「いいわね。そういえばボスとゆっくり話したことまだなかったわね。」
「そういわれればそうですねえ。って、当たり前ですがね。」
そういってボスは大きな声をあげて笑った。つられるようにマリアも笑う。少し離れたテーブルで二人をうかがっていた西村と武田も安堵の微笑みを浮かべていた。
「そうと決まれば、乾杯といきますか。」
二人はグラスをあげた。
「花組さんのこれからのより一層の発展を祈念して」
「ダンディ団のみなさんのご健勝を祈念して。」
互に言うと乾杯とカチリとグラスをあわせた。

銀座の夜はまだまだこれからだった。









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