さらばシベリア鉄道           山崎しんのすけ






 ついに、三両目の貨車が火を噴いた。
 二両目に、最後の分隊が送り込まれた。
 荷物のない貨物車両ではあったが、十数人の兵士が一度に入るとかなり手狭だった。
 分隊長は炎上する車両に向かって斉射を二回命ずると連結を切り離すべく扉を開けた。炎が音をたてて吹き込んできた。兵士たちは思わず顔を背けた。
 そのとき、炎の中から影が躍り出た。
「撃て!」
 分隊長は即座に命令を下した。
 十数丁の小銃が一斉に火を噴いた。
 白い布が銃弾に煽られ、くるくると宙を舞った。
「目くらましだ」
 分隊長が叫ぶのが早かったか。
 あるいは、その男がひらひらと舞う布の陰からけだもののような低い姿勢のまま、先頭にいた兵士に襲いかかるのが早かったか。
 兵士たちが命令に反応できたときには、すでにその不運な兵士は股間から脳天まで一刀に断ち割られ、崩れ落ちていた。
 降り注ぐ銃弾を避けるように男がくるくると身を翻すと、さらに数人の兵士が椅子から滑り落ちるような不自然なすがたで床に滑り落ちた。
 いずれも膝関節を真横に両断されている。
 男が飛んだ。
 倒れた兵士だけが味方の銃弾に引き裂かれた。
 黒ずくめの姿が壁を蹴る。
 勢いをそのままに、再び床に降り立ったときには右手の剣は正面の兵士の頭蓋を唐竹に割り、左手の剣はもう一人の首筋を横薙ぎに払っていた。
 血潮に吹き上げられるように生首が宙を舞った。
 男は車両の中央に、無造作に立っていた。
 分隊長が叫んだ。
「撃つな。同士討ちになるぞ」
 兵士たちは無言で銃剣に構えなおし男を包囲した。
 斬り込むものがいない。
 男の両手の剣は無造作にだらりと垂れているように見えるが、その剣技が尋常でないことは、たった今見せつけられたとおりだ。
 二刀流である。
 実戦で動いているところを観たことのあるものなどいない。
 着衣は、今は存在していないある特殊部隊のものと同じ型だったが、装飾をすべてはぎ取られ、黒々と染め上げられたそれは、もとの姿が与えていた印象とはまるで異なる、不吉な影を色濃くまとわりつかせていた。
 刀身から湯気がたちのぼっているのは、かの高名な技術者が腕によりを掛けた特殊加工にちがいなかった。付着した不純物を自動的に分解する表面加工。霊子甲冑の装甲板に使われた技術。設計者の意図とはまったく異なる使用法。
 血の煙。
 黒い眼鏡の下で、男の口もとが不意に歪んだ。
「どうした。おまえらが戦えるのは女子供、無辜の市民が相手のときだけか。少しは帝国軍人の意地を見せたらどうだ」
 吐くような挑発にも兵士たちの答えはない。
 男は大きく息を吐いた。
「ならば」
 右で、袈裟。
 体を翻して左手で喉笛へ突き。
 崩れる相手の身体を捌きつつ右で脳天。
 背後からかかる相手の銃剣を姿勢を下げてかわし、左の後ろ斬りで両手首を小銃の半分ごと斬り飛ばしてから振り向きざまに相手左脇腹から刺突。
 ゆらり、と倒れかかる兵士に突き刺さったままの大刀に足を掛け、三人でいちどに襲いかかる兵士の頭上に、得物を引き抜きざまに再び男は跳んで、左手の刀を投げると、天井を蹴って反転し、三人の背後に降り立った。
 一人は頭を割られ、一人は胴を薙がれ、一人は喉笛を突き抜かれた。
 男は前車両へと向かう扉の前で倒れて動けなくなっている分隊長の方を振り向いた。
 斬られた三人が、ひと呼吸あとで倒れた。
 後部車両から、また炎が吹いた。
 背後からあかあかと照らし出された黒衣の男は、分隊長のおびえきった目には地獄の悪鬼そのものと映った。
 列車は緩いカーブに差し掛かり、兵士の首や手足が、ごろごろと床を転がった。
 男は車両の隅に転がっている分隊長の小銃から自分の刀を引き抜くと、震える手でドアの鍵と格闘している分隊長のすがたを無表情に眺めた。
 その眉が、かすかに曇った。
 男は壁際に跳ぶと、俊敏な動作で床に伏せた。
 分隊長はその様子を怪訝そうに眺めた。
 轟音とともに、白い炎の奔流が扉を吹き飛ばし、分隊長のすがたは膝から下だけを残して消え失せた。
 男が顔を上げたときには屋根が丸ごと吹き飛んでいた。
 立ち上がると轟々と渦を巻く風に襟元が煽られた。
 がん、と音が響いて、連結器が砕け散った。
 燃えさかる後部車両は力つきたかのようにたちまち脱線し、轟音を響かせながら原野を転がっていった。
 男は側方の扉を一息で蹴破ると、身を乗り出して燃え残った車両の壁に残されたはしごに取り付き、するすると登ると次の車両の屋根へ音もたてずに飛び移った。
 扉から禍々しい姿の砲身が覗いているのが見えた。
 車両の後部は熱で焦げたようになっている。
 数人の兵士、それに技術将校らしい男が砲身の陰から身を乗り出した。
「どうだ」
「これでは確認できません。やったとは思うのですが…それにしても一個小隊ひとつと引き替えとは、あまり…」
「相手の能力が報告どおりなら、これでも安いくらいのものだ。注意しろ。三分は次射できんぞ」
 男は屋根をつたい側方に身を乗り出すと、剣を振り上げできるだけ派手な音をたてて窓硝子をたたき割った。
 車内で怒号があがり、たちまち窓とその付近は銃弾でずたずたになった。
 男は頃合いを見計らって、懐から黒い球体を取り出すとその突起物を引き抜いてから、射出孔に投げ入れた。
 鋭い破裂音が響いた。
 車両の隙間という隙間から、稲妻のごとく閃光がほとばしった。
 男はすかさず、後部車両の扉から車内に滑り込んだ。
 その車両の中央には巨大な砲身が横たわっていた。中央の動力部からはまだ湯気が上がっていた。急ごしらえで床に据え付けられていたものの、先ほどの発射の衝撃に耐えきれなかったらしく、数カ所の固定器具が破損していた。
 小銃を抱えたまま目を押さえて右往左往する人影の向こうには、動力部につながる補機類が見えた。そこからは剥き出しの結線が十数本、車両先頭の寝台の中に伸びていた。
 寝台に横たわるその女性を目にしたとき、男の眉が音をたてて逆立った。
 無力な相手に対して、嵐のように二本の剣が振るわれた。
「慌てるな!応戦しろ!」
 将校が怒鳴ったときには、最後の兵士が血まみれで壁にたたきつけられたところだった。男は発砲する間も与えず、大外刈りの要領で将校を顔面から砲身に叩きつけるとそのまま床に落とし、膝を将校の肩と背中に載せ身体を固定すると左腕を後ろ手に絞り上げた。
 男が口を開いた。
「花組の隊員の、おまえたちが知る限り正確な所在を」
「き、貴様、こんなことをしてどうなるかわかっとるのか!」
「聞いているのは俺だ」
 男は開いている右手で、将校の小指を掴んだ。
「や、やめろ!大神!」
「なら話せ」
「…ち、違う!おまえは考え違いをしている!すべては帝国の将来のための一大事業なのだ!この計画が成功すれば東亜の平和を守るため…」
 大神は手首を返した。
 粗朶を折るような音がすると、将校が言語にならぬ悲鳴を上げた。
「国と民を守ることこそ軍人の本分である。国家の財産である善男善女に銃弾を浴びせるような輩はもはや邪悪の集団や反逆者とえらぶところはない。万難を排してこれを除くように、と上官より命令を受けてもいる」
「愚かなことを!米田は…」
 大神は薬指を掴み、無造作に捻った。
「はぅあっ」
「あと八本あるが、どうする」
 将校は猛烈な勢いで喋り始めた。大神は兵士たちの血に塗れた軍服で将校を縛り上げながら無表情にそれを聞いた。いくつか重要な情報もあった。
「そうか、紅蘭は…まだ逃げているか…」
 刀を拭う大神に将校は、
「はっ!中国女の手など借りなくとも、霊力源となる女共さえすべて揃えば、我らの手だけで完成させてみせるわ」
「…完成?」
「そうだ」
 将校は砲身を顎で示して、
「見たろう、あの破壊力を。何年も霊子兵器に関わっておる貴様にして何故この可能性がわからぬか。調整が進めばさらに…」
「わかっていないのはおまえらの方だ」
 大神は将校の顎を掴み、噛みつくように叫んだ。
「先年の事件を経てまだ気づかないのか。霊子兵器は血と肉と魂が通ってこそ兵器として成り立つものだ。いくらまがいものの魂をでっち上げようが、霊力を機械で吸い上げようが、それを知らずに造られるものなどはどれほど大きかろうと力があろうとそれはもはや形骸、運用が難しいだけのがらくたに過ぎん。ましてそのような夢まぼろしに心迷わされて東亜覇権のごとき誤った志を抱くなど、笑止!」
 言うだけ言うと大神は刀の柄を相手の後頭部に叩きつけた。
 将校は床に倒れて動かなくなった。
 大神はゆっくりと寝台に近づいた。
 マリア・タチバナは衰弱しているようだったが、寝顔は思いのほか安らかに見えた。
 大神は懐から何かを取り出すと、マリアの首筋に強く押し当てた。
 ぱん。
 火薬の音がした。
「うっ…」
 新式の圧力注射器は、火薬の爆発力を用い感染症の心配なしに体内に薬液を注入出来るが、通常の皮下注射器よりもかなり苦痛を伴う。
 大神は腰嚢からエンフィールドを取り出し、マリアの傍らに置くと、マリアの着衣から導霊索を取り外しはじめた。
「そこに…」
 うわごとを呟きながらマリアが動かした手が、銃把に触れた。
 目が開いた。
 半身を起こしたマリアは、不思議そうに辺りを見回した。
 禍々しい兵器。
 血と、しかばねの山。
 這い回る霊子索。
 そして、全身に血を浴びた、黒衣の男。
「大丈夫か」
 大神は、動力部に丹念に爆薬を仕掛けながら静かにそう言った。
 マリアはエンフィールドを膝の上に置いて握りしめ、うつむいてしばらく黙り込んでから大きくため息をついた。
「………………夢を、見ていました」
「苦しくは、なかったか」
 大神の問いに首を振り、
「とても、楽しい…夢でした。…みんながいて。泣いたり、笑ったり、他愛もないやきもちを焼いたり…栗ごはんを造ったり、してたんですよ。なんであんな些細なことを、思い出したんだろう、それで支配人が………あのあと、支配人、…いえ、米田中将…」
「支配人でいい」
 敵の行李から防寒具や武器弾薬を物色しながら、大神が言った。
「あの人は、職責を全うした。帝劇の支配人として」
 マリアは両手で顔を覆い、じっと何かに耐えているようだった。
「みんな、戦った。何人かは今でも戦っている。…俺だけが、逡巡したばかりに、生き恥をさらしている」
「そんな」
「矢面に立っていくらという人間なのに、職責を果たすことができなかった。だが、みんなのためにも自分のためにも、立ち止まるわけにはいかない。後悔に押しつぶされず、ひとりで戦う力を得るためには、あまり選択肢は残っていなかった」
 大神は黒眼鏡を外した。
「……」
 マリアはほとんど表情を変えなかったが、目の色に動揺ははっきりとあらわれていた。
 大神の額には得体の知れぬ文字が文字通り刻み込まれていた。
 その傷はまるで今付けたばかりのように新しく、常に血が滲んでいた。
「京極の拠点から押収された資料に記されていた。呪いによって霊力を内に封じ込め、自らの肉体を兵器と化する外法だ。俺にはもう、霊子甲冑を動かすことはできない」
「隊長…」
 大神は頬をゆがめた。
「残念だが俺はもう君にそう呼ばれるにふさわしい人間ではなくなってしまった。後悔の念を復讐心で覆い隠し血を求め続ける呪われた生き物だ。もう何人斬ったか数える気もなくなってしまった。先に地獄に行っているあの連中が笑っているのが見えるようだ。…俺の手は、血まみれだ」
 突然。
 目にもとまらぬ早さでマリアがエンフィールドを構えた。
 銃身のなかで渦を巻いている条溝が、大神の目にやけにはっきりと映った。
 リボルバーが火を噴いた。
 軽く首を傾げた大神の頭のすぐ横を銃弾が通り過ぎ、後ろで小銃を構えていた技術将校の頭がはじけ飛んだ。
「私もそうです、隊長」
 マリアは、ここ一番でしか見せることのないとっておきの笑顔で大神にそう答えた。
「私の手も、血の汚れに満ちています。…そんなことは、とうにご存知でしょう」
 かつて《火喰い鳥》と呼ばれた女戦士は、寝台から降り、肉体が思うとおりに反応するかどうか点検しながらさらに続けた。
「光武に乗れなかろうとも、人外のものになり果てようとも、あなたが邪悪を憎み暴虐と戦い続ける限り、私はあなたの部下です」
「…………」
「ご命令を、隊長」
 大神は黒眼鏡を掛け、マリアに装備品を手渡した。
「…これより敵支配地域より脱出する。準備をせよ」
「了解!」

 爆炎は遠方からでも容易に見てとることができた。
 残骸は一キロ四方に散乱し、主任技術者の命とともに、荷電霊子砲の技術は当面失われることとなった。もちろん、敵味方ともに、生存者は零、と、報告された。
 国境地帯に出没する馬賊のことが人の噂にのぼりはじめたのは、しばらく後になってからのことである。

 




【了】





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