彼女の料理

 

 太正十二年十一月。
 天海との決戦も終わり、帝都は壊れた建物の復旧に追われながらも平和を満喫している。大神ももぎりや雑用に追われながらも、警報の鳴らない生活に満足しながら働いていた。

 そんなある日のお昼時。
 仕事に追われて、遅い昼食を取ろうと大神が厨房を覗くと、マリアがエプロンをつけて立っていた。いつもの黒いコートを脱いで、白いブラウスの上にフリルの付いたエプロンをつけた姿は、普段の凛々しく厳しい雰囲気を和らげていた。
 マリアは六月のあの事件以来、時々穏やかな笑顔を見せるようになっていたが、最近はそれがさらに増したようで、大神は彼女の笑顔を見られるたびに幸せだった。
 マリアが大神の気配に気づいて振り向いた。そして何時も大神が見惚れる柔らかな笑顔を見せてくれた。
「あら、隊長。これからお昼ですか?」
「ああ。」
「ちょうどよかった。…あの、隊長、私の作った料理を食べて貰えませんか?」
「え?マリアが作ったのをかい?」
「はい、最近あやめさんに日本の料理を教えて貰っていて…。初めて自分一人で作ってみたんですけど、誰かに味をみて貰いたかったんです。」
「そう言うことなら喜んで。」
「…良かった。ありがとうございます。」
 マリアは大神の返事にほっとしたように微笑んだ。
 マリアは以前から時々花組のみんなに自分の腕を振るってくれていたが、確かにそのほとんどが露西亜料理だった。そのどれもが見た目も味も申し分なかったが、日本料理とは初めてだ。でも、彼女の料理の腕なら、さらにあやめに教えて貰ったというのなら、何の問題もないだろう。
 大神はしかし味云々よりも、マリアの手料理が食べられること事態にに素直に喜んでいた。やはり男として、好きな娘の手料理を食べられるのは幸せなことだ。たとえまだ告白できてないとしても…。
 マリアはそんな大神の想いに気づくこともなく、厨房の中を忙しそうに行ったり来たりしている。大神はぼーっとその光景を眺めていたが、やがてマリアが厨房の入り口に立ったままの大神に気づいた。
「隊長?すぐにお持ちしますから、そんなところにいらっしゃらないで、食堂の方で待ってて頂けますか?」
「あ、ああ。」
 本当のところを言うと、一時でも多くマリアの姿を見ていたかったのだが。特にこんな普段見られない姿は。しかし本人に言われてしまってはしょうがない。大神はしかたなく食堂で待つことにした。

 マリアは言ったとおり、それほど待つこともなく盆の上に料理を載せて持ってきた。次々と大神の前に並べられていったのは、みんな大神の好物ばかりだった。鯵の開き、ひじき、きんぴら、ほうれん草のお浸し、そしてご飯に豆腐とワカメのおみそ汁。大神は感嘆の声を上げた。
「うわぁ。どれも美味しそうだな。しかも俺の好物ばかりだし。」
 その言葉にマリアは頬を染めた。
「…前に、隊長が仰ってたのを覚えていたので。」
「え?俺、何か言ったっけ?」
「ええ。前にサロンで話していたときに、隊長に『日本料理は作らないのか?』って聞かれて。それでは、どうせなら隊長の好きなものから挑戦しますって言ったら……」
 大神はマリアの言葉で思い出した。あれはまだ残暑が厳しかった頃。たまたまサロンにいたときにマリアを見かけて声をかけたところ、これから料理の食材を買いに行くと返事をされて、少しの間喋っていた時のことだ。あの時はマリアの言葉はただの社交辞令だと思っていたが、きちんと覚えていてくれたのだ。
「…ありがとう、マリア。すごく嬉しいよ。」
 マリアは大神の笑顔を見てますます顔を赤らめた。そしてそれを隠すように、早口で大神に食べるように促した。
「そ、それより早く召し上がってみて下さい。冷めてしまいますし……それに、味の方がお口に合うかどうか……」
「ああ。早速頂くよ。」
 大神は箸を取ると、きんぴらを手にした。実はさっきからどれから食べるかずっと迷っていたのだが、決まらないので端に置かれたものから順に食べることにしたのだ。
 マリアは大神が自分の料理を食べる様子をずっと不安そうに見つめていた。
 大神はゆっくりと味をかみしめるように食べている。そして最初の一口を飲み込んだ瞬間、ぱっと顔を輝かせた。
「うん、美味しい!」
「ほ、本当ですか?」
「ああ、申し分のない味付けだよ。」
「良かった…」
 笑顔の大神に、マリアはほっと胸をなで下ろした。大神はそんなマリアを見ながらも、次々に料理を平らげていく。おみそ汁を手にしたところで、マリアが不安そうに話し出した。
「おみそ汁は…出汁が、もうちょっとかなと思うのですが。なかなかあやめさんみたいに上手くいかなくて。」
 しかし、大神にはそうは思えなかった。おみそ汁の味も大神好みで申し分なかったし、マリアの料理はどれもこれも、贔屓目を差し引いても一級品であった。それを伝えると、マリアは嬉しそうに顔を輝かせた。
「…ありがとうございます。隊長にそう言って頂けるなんて…。頑張ってあやめさんに習った甲斐がありました。」  

 大神はがっつかないように気をつけながらも、短時間でマリアの作った料理を全てぺろりと平らげた。それだけマリアの料理が美味しかったという証だ。
「ごちそうさま!…ありがとう、マリア。すごく美味しかったよ。」
「いえ、こちらこそ食べていただいてありがとうございました。」
 マリアは食器を片づけようと、盆の上に皿を載せていく。大神もそれを手伝いながら、彼女に声をかけた。
「マリアが料理上手なのは前から知ってたけど、まさか日本料理もこれほどとは思わなかった。…もし良かったら、また作って欲しいな…」
「隊長……」
 マリアは大神の言葉に驚いて手を止めてしまった。
「あ、いや、嫌ならいいんだよ、うん。」
 大神はそんなマリアに慌てて手を振るが、マリアは顔を真っ赤にして俯いていた。そして意を決して顔を上げる。
「隊長…また、私の料理を食べて貰えますか…?」
「マリア……もちろんだよ。」
 しばらくの間二人はそのまま見つめ合っていたが、やがてはっとしたようにマリアが大神から視線をはずした。
「そ、それじゃ、何かリクエストはありますか?日本料理と言っても、いろいろ有りすぎて…。できれば、好きなものを食べて欲しいですし。」
「そ、そうかい?それじゃ……」


 滅多にない良い雰囲気に浮かれていて、大神は気づいていなかった。マリアも同様に気づいてなかった。食堂の入り口から、桜色やすみれ色、黄色などの入り交じったオーラがあふれ出てきていたことに。
 そして翌日からしばらくの間、大神は胃薬が手放せなくなったのであった。



END  




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