背中の道化








「マリア、あなたはちょっと残って頂戴」
戦闘終了後、帰投した帝劇の作戦司令室で、あやめが呼び止めた。
「は〜ウチもうおなかぺこぺこや〜」
「あたし、お風呂に入りたいです」
思い思いに去っていく面々の中、あやめの口調にどことなく気がかりなものを感じたカンナは、そっとドアの影で足を止め、聞き耳を立てた。


「今日の戦闘は何?たった2体の脇侍を倒すのに、こんなに時間がかかるなんて」
「…申し訳ありません」
「特に、カンナ機の使い方がなってないわ。無駄に移動時間をかけてるだけじゃないの。もっと紅蘭の遠距離攻撃を有効に使うべきだったわね」
「…お言葉ですが、副司令。あの場合、近くに民家のあったことから、近距離から一撃で倒すことのほうが重要かと…」
「マリア」
あやめが強い声で遮った。
「ずいぶん偉くなったのね。大神君が回復するまでの間だけの、隊長復帰だというのに。私に意見するなんてどういう了見かしら」
マリアは答えなかった。
「あなたにはまた厳重注意が必要だわね」
あやめが言うと、マリアの肩がびくりと震えるのが、カンナの眼にあからさまに見えた。

「待ってくれ、あやめさん!」
カンナは、思わず飛び出した。
「あたいが悪いんだ。あたいが勝手に突っ走っちまったんだ。マリアの責任じゃない!」
いきなり現れたカンナに、あやめは少し驚いたようだった。だが、すぐ、不愉快そうに眉宇を寄せた。
「差し出たかばい立てをするなら、あなたも同罪よ、カンナ。いいわ。そんなに罰が受けたいなら受けさせてあげるわ」
あやめがきっぱりと言い放った。
「消灯後、両名とも私の部屋に出頭するように」
上官の命令に、マリアとカンナはかわるがわる、 赤くなったり青くなったりした。


 マリアがどんな叱責を受けているのか、カンナは知らなかった。だが、先日、単身大神を助けに行ったマリアが、帰投後「厳重注意」のためあやめの部屋に呼ばれた時のことが、ずっと心の底に引っかかっていた。
 あの夜、気になって、明け方まで眠れずにいたカンナは、ようやくあやめの部屋のドアが開く気配に、そっと様子を伺いに行ったのだった。
 出てきた時、マリアの顔は上気し、足もとがよろめいていた。
 マリアの碧の瞳は涙に濡れ、打ちひしがれ、だがどこか酔ったような陶酔を湛えていた。廊下の暗がりに立ちつくすカンナに気づきもせず、ふらふらと自室のドアに吸い込まれたマリアに、カンナはしばし呆然としたのだった。
 いやな感じがした。自分の知らない、何か忌むべき、いかがわしい感覚。まさか、あやめさんが…。だが、あやめがときおりマリアに向ける、厳しく冷たい、それでいて絡め取るような視線と、マリアの怯えにも似た妙な従順さが気になっていた。
 マリアを、助けたかった。親友を、自分の勝手で数ヶ月も置き去りにしてしまったのだ。あやめさんがついてるから…そう思った自分の考えが過ちだったのなら。
 マリアが何をされているのか。あやめとの関係がどうなっているのか。それがわかれば、自分にも何か出来ることがあるかもしれない。問いつめて答えるマリアではない。なら、これは一つのチャンスではないか。
 心の奥底に潜む、忌まわしい予感を押し殺し、カンナは部屋に籠もってただ時計の針とにらみ合っていた。


 深夜、マリアとカンナは廊下ではち合わせた。
 困惑しきったマリアの肩をカンナが抱きしめた。
「あたい、平気だよ。おまえと一緒なら…」
すまなそうな、心配そうな様子にも関わらず、マリアの眼の中には、何か違う色がある。不安や当惑といったものではない、カンナには計りがたい感情。それがなんなのかわからず、カンナは気になった。
 もどかしい気持ちのまま、長いようで短い廊下を、二人はあやめの部屋まで行き着いた。


「仲良くお揃いで来たのね」
自分よりもずっと長身な二人の舞台女優を見上げ、あやめは謎めいた笑みを浮かべた。
 マリアは落ち着かなげな様子で、降ろした手を握り込んでいた。白いブラウスに包んだ腕を、ぴったりと体にくっつけているさまは、羽をたたんだ鳥のようで、どこか弱々しく見えた。
 カンナはいつもの人なつっこい笑みをひそめ、むすっと口元を結び、身構えたように肩を怒らせていた。
「ちょっと待っていてね。この報告書を片づけてしまうから」
あやめはくるりと背を向け、書き物の作業に戻った。

 時間にすればほんの数分だったかもしれない。だが、黙ってあやめの背中を見つめて立ちつくす二人には、居住まいが悪いことこの上なかった。その時間は、まるでカンナの不安を煽り、マリアを苛むためにもうけられた罠のようだった。
 じりじりと無言で待ち続けながら、カンナはこれから起こることを、マリアの様子を思い起こしながら自分なりに想像していた。何か恥ずかしい思いをさせられるのだろうか。裸になれと言われるのか。…何があっても動じるものか。日頃から体も心も鍛えているんだ。
 マリアに、自分が平気なことを見せてやろう。だから、おまえもこんな呪縛は跳ね返せ。
 かたく思いながら、いくぶん上昇気味の鼓動をなだめようと、カンナは気づかれないようにゆっくりと息を吐いた。
 だが、カンナの予測は半分ずつあたり、はずれた。

「お待たせ」
とんとんと書類をそろえたあと、二人に向き直ったあやめは、まるでその事務処理の続きのように言った。
「じゃあマリア、カンナの服を脱がせてあげて」

「…はい…」
「じ、自分でできるよ!」
眼をまるくしたカンナが、延びてきたマリアの手を振り払った。
「いいえ、マリアがやるのよ。あなたはじっとしてなさい、カンナ」
カンナの当惑顔を、いかにも望みのものを得たかのように満足げに見やると、あやめは少し口の端をつり上げて嘲笑った。
「何なら、ここで逃げ帰ってもいいのよ、カンナ?」
「…そんなことするわけねえだろ。見損なうなよな、あやめさん」
カンナはむっとして言い返し、さあ、というようにマリアに向き直った。

 のろのろと、だが着実にカンナの衣服を剥いでいくマリアのどこかうつろな顔を、あやめはじっくりと見つめていた。
「遅いわよ。早くして、あなたも脱ぎなさい」
「はい」
ぴしりとあやめが言いつけると、慌てたようにマリアが答え、動作を早める。
 カンナの足もとに跪いたマリアがやがて立ち上がると、カンナは素裸になっていた。マリアはカンナを見まいとするように、うつむいたまま、あやめの視線に追われて、せわしなく自分も衣服を脱いだ。

 二人は黙って向き合っていた。
 天井からつり下げられた灯りが、スポットライトのように二人の裸体を照らし出している。その光の波長にのって、マリアの緊張がカンナにひりひりと伝わってきた。
 何があってもおまえの味方だ、と思いをこめながら、カンナはマリアをじっと見ていた。だが、マリアは頬を引きつらせ、眼を逸らし続けていた。
「素敵だこと…。二人並ぶと見応えがあるわ」
あやめは口元に薄く笑みをたたえて言った。その歪んだ唇は、獲物を前にしたけもののようになまめかしく濡れていた。
「ふふ…どうしようかしら。せっかくだから、二人一緒に注意を受ける?それとも、カンナには見られたくないかしら、マリア?」
マリアは返答に詰まったように、もぐもぐと口を動かして、さらに視線を落とした。あやめは、やさしいほどににっこりと笑って言った。
「じゃあ、こうしましょう」
二人の肩を軽く押して、背中合わせにすると、あやめがカンナの手を取り、後ろに引き延ばした。
 チャリ、と金属のふれあう音がする。
「マリア、カンナにはめてあげて」
カンナの手首に冷たいものがふれる。マリアの手は震えているでなく、さほどためらうふうでもなく、淡々と命令をこなして自分の体をカンナに抱えさせた。
 それが終わると、あやめがマリアの手を取りカンナの腹の前にもって来て、同じように細い手錠を白い手首にはめた。
「カンナなら、ちょっと頑張ればこのくらい切れちゃうかしら。でも、無理をすると、マリアが怪我するわよ」
楽しむようなあやめの声は真実だった。カンナが腕に力を込めてひっぱると、みしみしと鎖がたわむ。だが、マリアの柔らかな腹部にどうしても鎖が食い込むことになった。


 後ろにねじられたマリアの肩が軋むのが、肉を通じて骨身にひびく。
 二人の背中はぺったりと密着していた。肩胛骨が擦れ合い、背骨の凹凸の一つ一つまでもが隙間なくはまり合うほど、二人は互いを背中に抱き、束ねあっていた。

「どっちが先にする?」
二人の冷や汗が背中で混じり合う。
「マリア、やっぱりあなたからにしましょうか。どんなかんじだか、カンナに教えてあげなさい」
なんでもないようにあやめが言った。

「あっ…」
あやめがマリアの前に回ると、マリアは小さく呻いて、がくりと腰を落として座り込んだ。カンナも自ずと引きずられてしりもちをついた。
 舌なめずりのような音。肌に何かが触れる音。衣擦れの音はあやめの服だ。それらに合わせて、カンナの背中でマリアが身をよじり、腕の内側でマリアの腹が波打つ。
「今日はおとなしいわね、マリア。カンナがいっしょだから、頑張ってるの?」
「…は……ああっ……あ…」
耳元でマリアの吐息が響く。
 カンナは早くも後悔した。いったい何をしたらマリアはこんな声をあげるのだろう。自分が先になればよかった。こんなマリアの声をこれ以上聞きたくない。
 よほど耳をふさぎたかったが、手はマリアの腹の上にあってかなわなかった。
 マリアの背中が反るにつれ、カンナは押されて前屈みになっていく。なしくずしにうつむきになったカンナ眼の前で、マリアの指が鉤のように折れ曲がってこわばり、きりきりと宙を掻いていた。
 何か湿っぽい音がする。聞こえてくる位置から、マリアが体のどのあたりを触れられているのか、カンナにもわかる。だが、そこに何をされているのかまでは、どうにも想像がつかなかった。

 マリアの唇からこぼれた吐息が、カンナの首筋に落ち、胸元へと流れ込み、あぐらをかいた足の間までつたい降りて、じっとりとたまっていく。
 カンナ自身が何かされているわけではない。だが、背中に苦悶するマリアを負い、カンナの息はマリアに同調するように乱れていった。
 マリアの声はいやおうなく胸の内を掻きむしり、マリアのふるえが体の中に熱を呼び起こした。滑稽なまでに喘いでいるその声が、カンナには次第に自分のもののように聞こえてきた。
(マリア…しっかりしろ…!)
自分を叱咤すると同時に、カンナは何度も背中に向かって頭の中で呼びかけ続けた。だが、あやめを楽しませるかのように、マリアの声は高く低く、歌い続けて止まない。
「こんなになって…だらしないわね、マリア」
あやめの言葉にかぶる、とてもマリアのものとは思えない、引きつれるような声。
「最近たるんでるわよ。大神君が隊長になって、気がゆるんでるの?それともカンナが帰ってきたから?」
有無を言わさぬ強い調子で、あやめが言いつけた。
「さあ、マリア、約束して。もっとしっかりしなきゃだめよ。あなたは副隊長なのだから。ちゃんと私の命令通り、職務に励みなさい」
「…や、約束、します…ちゃんと…がんばります」
息も絶え絶えな、マリアの、悲鳴にも似た追従の言葉。
「しばらく、そうしてなさい」
あやめが冷たく言い捨てると、マリアが絶望的な呻きをあげた。



 濡れて光る指先をぺろりと舐めながら、あやめがカンナの前に屈み込んだ。
「さ、次はあなたの番よ…」
背中で、マリアはまだ断続的にふるえ続けている。
「あやめさん、やめてくれよ。どうしてこんなことするんだよ。マリアをいじめないでやってくれよ」
カンナは懇願した。不覚にも息がふるえ、涙声になってしまった。
 カンナの自尊心はマリアとともに踏みにじられ、最初の気概は古い漆喰のようにボロボロと剥がれ落ち、むき出しになった健やかな心が、敗北感に傷ついていた。かけがえのない親友は、己の力では救い難いまでに、暗い羞恥に繋がれた鎖の端をあやめに握られてしまっているのだ。

「友達思いのカンナ…あなたのそういうまっすぐなところ、とてもかわいくて、気に入らないわ」
くい、とカンナの顎を持ち上げ、あやめはなじるように甘ったるく囁いた。
「マリアはね、私のものなの。なのに、あなたが帰って来て、マリアがあなたを頼ってるのが…私、とても面白くないのよ…」
冷たくほそめたあやめの瞳の中に、カンナは見覚えのある光を見た。


 嫉妬。迷惑。秘密を邪魔する闖入者を見る眼。


 それが、先ほどマリアの瞳の中に見つけた光と同じだと気づいた時、あやめの唇が上から落ちてきて、カンナの息を塞いだ。




《了》





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