すぱーく!(前)




 帝都の夏。
 その日は、平凡な一日で終るはずだった。
 夕方、

どっかん!

 帝劇に寝起きする者にはもはや耳慣れた爆発音が、紅蘭の部屋から聞こえるまでは。

 作業に熱中して夕食におりてこない紅蘭を呼びに来たマリアと、すでに自室に戻っていた大神が、二階の廊下ではち合わせた。
「また何か爆発したみたいですね」
「紅蘭のことだから心配ないと思うけど…、ちょっと様子を見に行こう」
二人は並んで紅蘭の部屋に向かった。
「紅蘭?…入るわよ?」
一応のノックのあと、マリアがおそるおそるドアを開けると、もわっ、と黒煙が吹き出してきた。咳き込みながら目をこらすと、部屋に充満した煙の向こうに、煤だらけの紅蘭が倒れている。
「大丈夫?紅蘭!」
マリアが手で煙を扇ぎ、床に散乱する機械類を踏み越えながら近寄っていった。
「そこ、なんか火花が飛んでるから、あぶないよ、気をつけて…」
大神が言いかけたそばから、突然、切れたケーブルがマリアに向かってばちばちと跳ね上がった。
「きゃあっ!」
「マリア、あぶない…うわっ!」
引き戻そうとした大神の手の感触と、落雷にあったような激しい衝撃を同時に感じ、そのままマリアの意識は暗転した。


 床板の固い感触を、頬に、腰骨に感じた。全身が軋むような激しい違和感を覚えながら、マリアはそろそろと体を起こした。
「う…」
呻いた声が自分の声ではないのに、マリアはぎょっとした。

「どうしたんだ、いっ…」
言いかけて凍りつく自分の姿が目の前にあった。
「俺!?」
いきなり自分が自分を指さして叫んだ。
「うわあっなんだこれは!俺がマリアになってるうっ!!」
顔や肩をばたばたと叩きながら、あわてふためく自分。
(じゃあ私は…)
冗談のような想像が、現実となって視界を襲った。
 骨ばった手。黒いズボン。喉元から下がったネクタイ…。
「うそおっ!」
鼓膜の内側からもひびく、いつも聞いているより幾分重い大神の声が叫んだ。


「はあ…?何がどうなっとるんや?」
いつのまにか気がついた紅蘭が、二人の騒ぎをぽかんとして眺めていた。
「こっちが聞きたいよ!いったい何の実験をしてたんだ?」
「いやっちょっと!どうして私が隊長になってるの!?」
「うわ〜、俺に胸が…うわ〜」
「やめてくださいっ隊長!私の胸に勝手にさわらないでください!!」
大騒ぎする二人と、床に落ちている断線したケーブルを見やり、ちょっとした計算ミスでも見つけたかのように、紅蘭が呟いた。
「あちゃ〜〜〜…さては霊子エネルギーの暴発で接触してる人格どうしが入れ替わってしもたんやな」
「そ、そんなことってあるのか!?」
「あるのかって…現にそうなっとるやないかマリアはん…やなくて大神はんか」
「冗談じゃないわ!早く元に戻してよっ!!」
大神マリアがいきり立って紅蘭の襟首をつかんで揺さぶった。
「くっ、くるしいで大神はんやないマリアはん…!」
男性の力で締め上げられ、紅蘭は喉元を抑えて激しく咳き込んだ。
「ご、ごめんなさい…」
「まあ、ウチが責任持って、もとに戻したるさかい、ちょっと待っててや。う〜〜む。神経パルスが…体内の霊力の循環を…ブツブツ」
片目をつむって手を合わせると、紅蘭はもうなにやら計算に没頭していた。



「どうしましょう…」
「どうしましょうって…どうしようねえ…」
すでに二人のことなど眼中にない紅蘭の背中を見ながら、マリア大神と大神マリアは呆然と立ちつくしていた。
「…隊長は随分落ち着いてらっしゃいますね」
「俺だって混乱してるよ。なんだか、すごく変な気分だ…俺が女になってるんだからなあ」
日頃男役をこなしているとはいえ、俺、俺と連発する自分の声が、大神マリアには悲しかった。見上げた自分の顔も妙になさけなく思えた。
(いやだわ。こんなふうに見えてたのね私ったら。ああ、鼻の穴がまる見え…二度とヒールのある靴なんて履かないわ)
もっともそれはマリア大神とて同じだった。
(うう…こうして見ると小さいんだな俺って。なんか頼りなさそう…生え際だいじょうぶかな…)
見つめ合っているのに気づいて、二人はあわてて目をそらせた。
「なんか、鏡で見てる顔と違って不思議です」
「あ、ああ、マリアは髪の分け目とかあるから、そうだろうね」
気まずい沈黙のあと、ようやくマリア大神が口を開いた。
「…時間がかかりそうだから、とりあえず外に出てようか」
「そうですね…」
一歩、二歩と歩いた大神マリアが三歩目で立ち止まった。
「…どうかした?」
「い、いい、いえ…」
大神マリアの顔がひきつった。歩く度に、股間にふにふにと当たるものがあるのが、どうにも耐え難かった。
 マリア大神も、歩いてみて物足りないものを感じ、察した。
「…はは…いや、なんか俺も体のバランスが違って変な感じが…うわ」
いきなりマリア大神がドアの段差でこけた。
「大丈夫ですか?隊長」
「いや、足もと見えなくて。こうしてみると大きいんだなあ…」
「そんなにまじまじと見ないでください!」
真っ赤になってうつむくと、すとん、と足もとまで視界がクリアなのが、大神マリアにも見慣れなかった。時には煩わしく感じる胸も、なくなってみるととてつもなく寂しく、喪失感にひしひしと苛まれた。

 紅蘭の部屋を出たところで、ひとしきりもじもじしたあと、マリア大神が意を決したように咳払いをした。
「あ〜、こほん。…ところでマリア。落ち着いて聞いてね」
「…は、はい」
「トイレに行きたいんだけど」
 ぐわん!と頭を鎚で殴られたほどのショックに大神マリアは真っ赤になり、次いで真っ青になった。そういえば、紅蘭を呼んだら、トイレに寄っていこうと思っていたのを思い出す。
「………だめです」
「は?」
「我慢してください。絶対だめです!」
「そんなことを言われても…さっきから我慢してるんだよ」
股間を押さえたマリア大神の手を大神マリアが振り払った。
「きゃあっそんなとこ触らないでくださいっ!!」
「無理だよ、ずっと我慢するなんて…!」
「いやです!そんなこと…死んだほうがマシですっ!!」
思わずベストの懐に手を入れた大神マリアが、空振りした手の感触に泣きそうな顔になり、マリア大神につかみかかった。
「私の銃を返してくださいっ!」
「どうするんだ!」
「実力行使で止めますッ!」
「ええっ?だって、これは君の体なんだぞ!?」
「じゃあ私が死にます!」
「やめろ〜〜そっちは俺の体だ!」
つかみ合っていたマリア大神が、不意に深刻な顔をして、大神マリアを突き放した。
「だめだ、漏れる…」
「許しません〜!」
「ごめんマリア!」
「いや〜っそっちは男子トイレですう〜っ!!」


「もうお嫁に行けません…」
ようやくとびこんだ女子トイレで、どうにかこうにか用を済ませたマリア大神が個室を出ると、大神マリアがはらはらと涙を流していた。
「あ…いや、俺が…」
もらってあげるよ、と言いかけて、この状況でのあまりのかっこのつかなさに飲み込んだ。
(こんな大事なことをこんな状態で言ったら、一生後悔しそうだ…)
がっくりと肩を落とした大神マリアをもごもごとなだめながら出ようとすると、突然トイレのドアが開いて、さくらが入ってきたのにぶつかった。
「どうして女子トイレに大神さんが!」
さくらの素っ頓狂な声に、二人とも一瞬動転した。
「あ、あああの、これには深〜いわけがあってだね…」
「つまってたの!トイレがつまってたから直してもらったのよ!じゃなくて直してたんだよ!」
「そう!そうなんだ、なのよ!さくらくん…」
「は…?」
「本当なんだ!だから、マリアに頼まれて」
「え、ええ。ホント助かったわ〜!おほほほほ」
「…なんかヘんですね…」
探るようなさくらの眼に、二人は大げさな笑顔で必死にごまかした。
「へんじゃないよ!ね?マ……隊長!」
「そうで…だよ。マリア」
「…ずいぶん、仲がよろしいんですね」
見当違いな勘ぐりをしているらしいさくらから逃げるように、二人は女子トイレをあとにした。

「…ばれたら殺されますね」
「…はあ…そうだな…みんなにはとりあえず黙っていよう。余計な混乱は避けたいからね」
「隊長が私の体でトイレに入ったなんてみんなに知られたら、私は本気で死にますからね。そうだわ、紅蘭にも厳重に口止めしておかないと」
「今日はもうやめとこうよ。熱中してたみたいだし、早く元通りになるためにも、邪魔をしないほうがいいんじゃないかな。とりあえず、部屋で待っていようよ」
言いながら、隊長室に向かおうとしたマリア大神を、大神マリアが引き留めた。
「待ってください、部屋が違います。私が隊長室にいたら、変に思われるじゃないですか」
「あ、そうか…でも…う〜ん、しょうがないな…」
悩む様子のマリア大神を見て、大神マリアは自分で言った言葉の意味に、暗澹とした。
「…私の部屋に入っても、あちこちさわらないでくださいね。私も、隊長のプライヴァシーにふれるようなことはしませんから」
言葉を、確かめるように口にしながら、大神マリアは固い顔で念を押した。
「わかった。気をつけるよ。じゃあ…」

 そう言ってマリアの部屋に入ったものの、マリア大神は落ち着かないことこの上なかった。
 悲壮感たっぷりのマリアと違い、大神はさすがに、混乱する中にも、愛する女性の体への興味を抑えきれない部分があった。
(こんなチャンス、二度とないよな…いや、いかんいかん!そんな、マリアの信頼を裏切るような真似は…)
迷いながらも、そっと襟元からのぞき込むと、せり上がってくるような胸の谷間が目に入り、思わずくらっとする。
(…夏だし。暑いし。汗もかいたし。ひとっ風呂浴びても罰は当たらないよな…。な?)
(そもそもやっぱり暑いよ、この長袖。どうしてマリアは平気なんだ…?)
そっと廊下の気配をうかがいながら、マリア大神は階段を下りて行った。

 幸い、地下の浴場は無人だった。
(汗を流すだけ…ちょっとだけ…)
良心に言い聞かせながら、マリア大神は、着衣の1枚1枚をどきどきしながら脱いでいった。
(うわ。白い…それに大きい…し細い…)
脱衣所の鏡に映った裸体に、はっとして息を飲む。
(なんて…きれいなんだろう…マリア…)
思わず見入ってしまったものの、やはり気が咎め、あらぬ方向を見ながらあたふたと洗い場に向かった。
 ぎこちなく足をそろえて座り、おそるおそる首のあたりを洗っていると、
「よ、マリア、いっしょにいいか?」
がらりと勢いよく引き戸が開いて、全裸のカンナが手ぬぐいを片手に入ってきた。
「うわあっカンナ!」
「な〜〜におどろいてんだよ」
「あ、い、いえ、そのっ。おほほ」
「紅蘭の様子、見に行ったんだろ?だいじょぶだったかい?」
「え、えええええっだいじょぶだったわもう紅蘭たらっ」
目の前で、カンナの日に焼けた肌が、湯気に濡れてつやつやと光っていた。ごくりと生唾を飲みこんで一瞬股間を気にしたマリア大神だが、ないものはないので心配もない。
「あ、そうだ、ちゃんと女子入浴中の札かけとけよ。また隊長にのぞかれてもしらねえぞ」
「あはは…ほほ。忘れてたわ〜」
「困った隊長だよな〜今度見つけたらあたいがどついて叩きのめしてやるぜ」
「…………………」
ぞ〜っとしながら混乱する頭を空回りさせていると、
「また背中の流しっこしようぜ」
カンナががしっ、と肩に手をかけた。
「ええっ!!??いいいいいよ!そんな」
「なに遠慮してんだよ」
「まずいってそれ!ホントに…」
もがくマリア大神を抑えようと、カンナが背後から抱きつく形になり、カンナの弾力のある胸のふくらみが、背中にじかに押し当てられて、むにょっ、とひしゃげるのを感じた。
「うっ…!」
ぶっ、と鼻血を吹いて、マリア大神はひっくり返った。




《後編へ続く》



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