驟雨





 土砂降りの雨。

 カンナがマリアの部屋のドアを開けると、マリアは窓辺に立って、その雨を眺めていた。
 昼下がりの帝劇に突然降りかかった大つぶの雨だれは、窓ガラスの表面に打ち付け、光を歪める文様を描きながら、尽きることなく流れ落ちていく。
「どうする?買い物に行く話」
問いかけたカンナの声は、その言葉と裏腹に、本当は買い物などどうでもいいようだった。
「この雨だからよすわ…せっかくの休日なのにね」
そう答えながら、マリアの耳は、カンナが後ろ手でそっと鍵をかけた音をしっかりととらえていた。だが、その表情は微塵の変化も見せない。
「じゃあ、時間が空いちまったわけだな…」
カンナは部屋を横切り、マリアに近づくと、首に手を回して引き寄せた。
 唇を押しつけ、深く食い込ませ、食い破り貪るように、カンナがマリアに口づける。抱きしめた腕の中で、マリアはだらりと両手を下げ、目の前で揺れる赤い髪を、薄目を開けて見つめていた。


「なあ、マリア…」
カンナが、唇を離さず、熱く息を吹きかけながら、ねだるように囁いた。
「…あなたは乱暴だからイヤよ…」
マリアはうっとおしそうに顔を背けた。
「ちぇっ。隊長とならいいくせに。隊長はそんなにやさしいのかよ」
「ふふっ…そりゃあ、ね…」
とろりと笑うマリアに、カンナは憮然とした。
「その隊長は今巴里の空の下なんだから、おまえはあたいとするしかねえんだよ」
言いながら、カンナがスーツのボタンをはずしにかかるのを、マリアは止めるでもなく、さらりと言ってのけた。
「レニがいるもの。心配ご無用よ」
「レニ?…呆れたなあ。あいつまでこんなことしてるのかよ」
ぱちくりと丸く見開いた眼を、カンナはすっと細めた。
「あいつ、巧いのか?」
「上手よ…。あなたには悪いけど、小さい手でさわられるほうが敏感に感じるみたいな気がするわ。…だからあなたがいなくても平気よ」
「…意地悪だな、おまえ。…手、あげろよ」
たくしあげたブラウスを頭から引き抜きながら、カンナはこの服は脱がしにくいからイヤだ、というようなことを口の中でぶつぶつ言っていた。
 皮をむかれる果実のように、マリアは、カンナが肌をあらわにしていくのに大人しく任せていた。その眼は、剥ぎ取られていく衣服をまるで他人事のように眺めているだけで、カンナには何の感情も見いだせなかった。


 組み敷いた白い体を見下ろすと、カンナはいつも同じ思いがした。胸のどこかが痛いような、もどかしいような気持ちだった。
 薄い肩のゆるやかな曲線。自分と同じだけの臓器がすべて入っているとは、とても信じられないほど細い腰。重ねた指先も、手首も、自分より華奢でしなやかに見えた。
「…きれいだよな。おまえ」
カンナは、何度も言った言葉をまた繰り返した。
「…そう?ありがと」
マリアはカンナの頭越しに天井を見つめていた。カンナよりも天井の目地のほうが気になるとでも言うように。
 カンナの瞳が、苛立ちに熱く乾いた。
 この頑なに凍った水面を、乱さずにおくものか。 ふるえて、汗だくになって、真っ赤に目を潤ませて、息も絶え絶えに喘ぐ様を見ずにはおくものか。
「その取り澄ました面の皮、ひっぺがしてやるからな。覚悟しろよ」
カンナは低い声を落とした。
「本を読もうと思ってたのに…」
唇をふさがれながら、マリアがうらめしげにこぼした。



 激しい雨の音は、ざらざらと鼓膜を苛立たせ、低くたれ込めた雲は、屋内にあっても、重い圧迫感をもたらしてくる。
 遠くで、雷鳴が鳴っていた。空は、明るいような暗いような汚れたオレンジ色に輝いて、その光は妙に落ち着かない気分にさせた。
 肺腑の底に浸みこむほどの湿り気を帯びた空気のなかでも、狂おしく重ねた体の下で、マリアの肌はさらさらして、ひんやりと心地よかった。

「痛っ…だから、イヤなの。あなたは…すぐ噛むから…」
カンナは、無視して歯を立て続けながら、それでも少しだけ力をゆるめてやる。やわらかな胸に、鋼のような指を深く食い込ませると、指の間から鮮やかな色の乳首が心許なげに顔をのぞかせていた。
「隊長は、どんなふうにするんだ?」
「…さあ……聞いて、どうするの?」
指先で摘みあげると、それはすぐに硬く頭をもたげてくる。それを、ふたたび埋め込むように、指先で潰しながら転がしてやる。
「教えろよ…参考までにさ」
「教えたって、あなたにはできないわよ…」
マリアの声には、悪意すら感じられなかった。ただ、冷然と事実を言い放っただけのような、醒めた調子の声だった。
 カンナの眼の奥がかあっと熱を持った。
「なんだよ、あたいを怒らせようってのか?乱暴だからイヤだとかいって、ほんとは荒っぽくされたいのかよ」
肩を掴んで揺さぶると、マリアの頭は壊れかけた人形のようにぐらぐらと動いた。
「…なんでもいいから、早く済ませて」
がくりと首をもたげたまま、マリアが面倒くさそうに呟くのを聞いて、カンナはふいに馬鹿馬鹿しくなった。
 いいさ、おまえがそうなら、あたいだって勝手にしてやる。あたいのやりたいようにやってやるから。
 押しつけるようにマリアの体をベッドに戻すと、白い脚が別れる根もとに、指を差し入れ、擦りあげた。
 なだらかに広がっていたマリアの腹部が、びくりとふるえて硬くなり、肩がわずかに浮く。そうとも、ここに触れれば、いくらマリアでも澄まし顔ではいられまい。マリアの眉間にうすく縦皺が刻まれるのを見て、カンナは満足する。
「なあ、気持ちいいだろ?あたいだって…」
「…少しは…ね…」
「このやろう。顔が赤くなってるぜ」
溜めきれなかった息が、マリアの唇から漏れ始めた。カンナが指先に力を込める。もっと強く。もっと深く。
「言えよ、気持ちいいって…ほら、マリア」
「んっ…」
マリアが白い喉を鳩のように鳴らし、身じろぎを繰り返す。
「これでもかよ…」
「…知らない…」
マリアがかりかりと遊ぶように噛んでいる指を、カンナがもぎ離した。
「聞かせろよ、声…。あたい、マリアの声が聞きたいんだ……そしたら…あたいも…」
小さく浅いマリアの呼吸と、カンナの荒い呼吸が、噛み合わないセッションのように、互い違いに空気を震わせている。
「イヤよ…外に…聞こえ…ちゃうもの」
「この雨だ…聞こえやしねえよ…」
言いながら、マリアの髪を掻き上げ、耳を噛む。ざわりとマリアの肌が泡立つのを、全身で感じる。もう一度。…もう一度。
「マリア…声を……なんとか、言えよ…!」
「あなたなんか…キライよ、カンナ…」
 ひとしきり激しくなった雨音が、他のすべての音を消し去った。



 カンナは、マリアを逃すまいとするかのように、肩を押さえて抱いていた。
 ふれあう肌の間で、どちらのものともわからない汗が、しっとりと籠もっていた。

 雨はまだ降り止まなかった。

「退屈だわ…。早く隊長が帰ってこないかしら…」
呟いたマリアの頬を、カンナの拳が小突いた。




《了》





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