てぃーだぬあんぐゎ(大陽の娘)
「はい、カンナさんに小包ですよ」 皆が集まっているところへ、由里がいつものように郵便物を配りに来た。ちょうどお茶の時間で、サロンにはすみれの入れた紅茶の香がやわらかくただよっている。 「おっ、となりのおばーからだ」 ファンレターの束といっしょに受け取った小振りな包みを裏返して、カンナは顔をほころばせた。 「わあ、沖縄からですか?」 「なになに〜?カンナ」 珍しそうな便りの気配に仲間たちがのぞき込む中、カンナが包みをほどくと、中から黄ばんだ布が丁寧に畳まれて現れた。 「なんですか〜これ。ぼろっちいですね〜。ゾーキンですか〜?」 「袖口がついてるから、衣類だと思う…」 「ずいぶん小さいですわね。子供の寝間着か何かじゃありませんこと?」 「あっ、わかったで!赤ん坊の産着や!」 紅蘭が手にとって広げて叫んだ。 そのかたわらでカンナは、同封されていた手紙を一心に読んでいた。やがて顔を上げ、きまり悪そうに言った。 「あたいが赤ん坊の時の産着だとさ。蔵を片づけていたら出てきたそうだ」 「あなたの産着…?」 マリアが少し眉を上げる。 「ああ。あたいのおふくろってのは、あたいが赤ん坊の時に死んじまったんで、となりのおばー…ばあちゃんがよく子守してくれたんだけどさ。それでこんなものがまだ残ってたんだそうだ。…おふくろが縫った産着なんだと」 カンナが、なにやらもどかしいような口調ではにかんだ。 「そうだったんですか〜。ゾーキンなんて言ってゴメンナサイで〜す…」 しょげる織姫の背中を、カンナはぽんと叩いた。 「いいってことよ。かれこれ20年も前のシロモノだからな。他のはみんな虫食いにあったりしてボロボロだったけど、これだけ無事だったらしいんだ。おふくろの形見がわりに送るってさ」 「え〜っちょっと待って〜っ!こんなちっちゃい服をカンナが着てたの〜っ!?」 アイリスの素っ頓狂な声に、カンナが苦笑する。 「あたりまえだろ?あたいだって赤ん坊のころは小さかったんだよ」 「こりゃまたえろう立派に育って…何を食べてはったんや?」 「おいおい、余計なお世話だぜえ」 産着と見比べる紅蘭のおさげを、カンナがひっぱった。 「これ、すごく丁寧に作ってあるんですね。ミシンで縫ったみたいにまっすぐできれいな縫い目で…」 手にとって眺めていたさくらが、しみじみと言った。 「きっと、カンナさんのために、お母様が心を込めて縫われたんですね」 「へへ…そうなのかなあ…」 くすぐったそうに、カンナは頭をかいて笑った。 夕食後、早々に部屋に引っ込んだカンナを案じて、マリアがドアを叩いた。 「カンナ、入っていい?」 「ああ、あいてるぜ」 案の定、カンナは、布団の上に昼間の産着を広げ、その前に背中を丸めてあぐらをかいていた。 「お母様のことを考えてたの?」 思いやるようなマリアの表情に、カンナは顔を上げて微笑んだ。 「わりいな。心配しないでくれよ。別に落ち込んだりしてるわけじゃないから」 そして、微笑んだまま目線を中空に移して、少し戸惑ったように言った。 「なんだか、こういうのって、遠い過去から突然やってくる便りみたいな…やけにしんみりした気分になっちまう。なんだか、考えてもみなかったいろんなことを、考えちまうんだ」 「私にも見せてくれる?」 「ああ、いいよ」 マリアは隣に座ると手にとって指先で縫い目をなぞった。 「さくらの言うとおり、本当に丁寧に作ってあるのね…糸の結び玉も、赤ちゃんの肌に触れないように隠してあって。古くてごわごわになってるけど、最初はきっとやわらかな木綿だったんでしょうね」 「へへ…なんだか不思議な気分だ。あたい、おふくろの顔も声も、なんにも覚えてないんだよ。赤ん坊だったからしょうがないんだけどさ。おふくろ…って、口にするのも、ほんとはなんだか変な気分なんだ。面と向かって呼んだことがあるわけじゃねえし…。もしおふくろが生きてたら、あたい、なんて呼んだんだろうな」 「沖縄ではお母さんて何て言うの?」 「普通はおかぁ、かな」 カンナはあぐらをかいた足をほどいて、膝を抱えた。 「…あたいにはおやじしかいなかった。おやじがあたいのすべてだった。…おやじより強くなって…おやじの仇を取って、いつかおやじを越えてみせる、そればっかり考えてたんだ」 記憶の底をたぐるように、唇を舐めながら、カンナが言葉を押し出していく。 「もしおふくろが生きてたら…って、小さい頃は考えたこともあったけど、なんの思い出もないし、考えてもしょうがないから、そのうち忘れちまってた。だってあたいにはおふくろなんかいなかったんだ。でも…」 カンナは、マリアの手の中の黄ばんだ布を、少し目を細めて見やった。 「いたんだな。本当は。確かに…」 「あたりまえじゃない。誰にだって母親はいるわ。あなたのお母様も、きっと、他のたくさんの母親とおなじように、あなたのことをとても愛していたのよ。…この産着を見ればわかるわ」 マリアがはげますように言うと、カンナはにっこり笑ってみせた。だが、またふと、遠くを見るようにして呟いた。 「ただ…ほんのわずかの時間だけの母親って、どんなものなんだろうって…。赤ん坊のあたいを残して、どんな思いで死んでいったんだろうって…そう思ったら、なんだか…」 「そうね…」 マリアが、産着を見つめたまま、唱えるように言った。 「もし、私があなたのお母さんだったら…」 |
カンナ。 あなたはとても大きなあかんぐゎー(赤ちゃん)だったから、生むのがでーじ(大変)だったわ。 でも、あなたはお乳をたくさん飲んで、大きな声で泣いて、強い力で布団を蹴り上げる、元気で丈夫なあかんぐゎーでうれしいわ。 眉や口元はあのひとに似てるけど、髪の色や眼もとは私に似たのね。ぷくぷくのほっぺをふくらませて、まだ歯の生えない口を大きく開けて、一生懸命声を出しているあなた。私がのぞき込むと、ようやく笑うようになったわね。もどかしげに小さな手足をばたばたさせて、もう空手の稽古をしてるのかって、おとぅは目をきらきらさせてるわ。 あなたのおとぅはりっぱな人だから、きっとあなたをしっかり育ててくれるでしょう。強くてやさしい、思いやりのある子に。私の分もあなたを愛してくれるでしょう。 桐島の家に生まれたあなたには、他の子供にはない苦労もあるはず。でも、あなたがくじけないで、乗り越えていってくれると信じているわ。だってあなたはあのひとの娘なのだから。 でも一つだけ心配なの。あなたが、女の子らしい装いをしたいと思ったときに、あの人はかなえてくれるかしら。あなたがうす桃色の晴れ着や、花の髪飾りをほしいと思ったときに。 年頃の娘になったあなたに、稽古着を着せたままにしていないかしら。 それだけが心配なの。あなたに好きな人が出来たときのことが、ほんのすこしだけ。 ほんとうは、あなたが成長していく様をこの眼で見ていたい。 あなたが自分の足で立ち上がって、よちよちと歩いてくるのを、抱きとめてあげたい。 あなたが最初に話す言葉を知りたい。あなたがてーてーむーにー(舌足らず)に「おかぁ」と呼んでくれるのを聞きたい。 あなたはどんながんまり(いたずら)をして困らせてくれるのかしら。あなたの好きな食べ物は何?いくらでも作ってあげるのに。 あなたの寝顔を見守って、あなたの髪を梳かして、あなたが苦しいときや悲しいときに、あなたのそばにいてあげたい。 あなたにしてあげたいことが、たくさん、たくさん、数え切れないほどあるのに。 でも、私には見える。あなたの成長した姿が。 あなたはてぃーだ(大陽)のように明るく輝いて、ちゅらか−ぎ−(美しいひと)になっているわ。すこやかで、たくさんの人に愛されて、あなたの笑顔はきっと誰をも元気づける。まっすぐ顔を上げて、いつもしっかり前を見つめているの。 カンナ。私の宝物。私の体がなくなっても、私はあなたの呼吸する大気となって、あなたの体を流れる血となって、あなたをつつみ、守っていくから。あなたが私のことを覚えていなくても、私のちむ(魂)はいつまでもあなたを愛しているから。 だから、元気で、大きくなって。その小さな手に、たくさんの幸せをつかんで。 いつか、この思いが、あなたに届きますように…。 |
いつのまにか、カンナはマリアの膝に頭をのせ、その髪をマリアの指が撫でていた。 「おかぁ…」 震える声とともに、膝に、熱い涙が染みてきた。 一つ鼻をすすると、カンナは起きあがり、気を取り直したように言った。 「マリア、あかんぐゎーとかてぃーだとかってうちなーぐち(沖縄言葉)をどうして知ってるんだ?」 「さあ…自然に出てきたのよ。前にあなたに教わったんだと思うわ」 自分でも不思議そう小首をかしげながら、マリアが答えた。 「でも…もしかしたら」 マリアは、カンナの手に産着を返しながら、ほっと息を吐いた。 「この産着にこめられたあなたのお母さんの思いが、私の声をかりて、あなたに話しかけたのかもしれないわね…」 カンナは、黄ばんだ布をそっと頬に当てた。そしてゆっくりと息を吸い込んだ。 乾いた、ふるさとの風のにおい。そして、甘くなつかしいような、母のにおいがするようだった。
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