夜を忘れて







                             いま
「……昔の事なんか忘れちまえよ。あたいは現在のマリアが好きなんだ」
 カンナはそう言って、マリアの肩に手をかけた。
「なあ、頼むよ。元の……あたいの知ってるマリアに戻ってくれよ!」
 だが、マリアは、すっとその手をすり抜けるように離れると、背中を向けたまま声を落とした。
「人は……過去を振りきることなんかできないわ。どこまでもどこまでも…後をついてくるのよ……」
「マリア……」



 立ちつくし、カンナは湧き起こる焦燥を唾液とともに嚥下した。
 自分の知らない、不吉なものが、マリアとの間を引き離そうとしている。
「忘れちまえよ!」
 カンナは、羽交い締めるようにして、マリアを抱きしめた。
「過去なんか、あたいが追い払ってやる!…あんたには、あたいがいるじゃないか…!」
 前にまわした手で、盛り上がった胸を鷲づかむ。
 指の中でたわむふくらみは、溶けるようにやわらかく、あたたかだった。だが、マリアは暗い声のまま、唱えるようにつぶやいた。
「だめよ…。私は、やはりここにいるべきではないんだわ…私のような…」

「やめろ!昔のことなんかどうだっていい!あるのは今、この時だけだ!あたいといる、今…そうだろ?」
 強い声で言いながら、カンナは乱暴にマリアをベッドに引き倒し、押さえつけた。ブラウスのボタンが飛ぶのもかまわずに、むしり取るように脱がせる。
「やめて頂戴、カンナ。そんな気分じゃないのよ」
「イヤだ」
「やめて」
「イヤだ。イヤだ…!あたいが留守にしなきゃよかったのか…?あんたを一人にしなければ…」
 露わになった胸の谷間に、だだをこねる子供のようにぐいぐいと顔を埋めた。
「カンナ…違うわ…私が…私の」
「言うな!」
 カンナが遮った。
「何も考えるな!心も、体も、空っぽにしちまうんだ。あたいが…埋めてやる。あたいが、あんたを大好きだってことを、あんたにはあたいがいるってことを、思い知らせてやる…!」
 激しくぶつかるように、カンナが口づけた。歯や鼻がごつんと当たった。そむけようとする頬を押さえ、口を開かせて、舌を追い回して捕らえる。
 マリアは抵抗した。だが、カンナの力は圧倒的だった。肩を叩く非力な腕は、片手でたやすく頭上に束ねられた。
「や、やめて…!カンナ!」
 抗議の声にかまわずに、白いうなじを削るように歯をたて、カンナが舌を走らせた。跳ねる腰を腰で押さえ、服を押し下げ、動きを封じるために指を奥深くまで差し入れる。
「はっ…!」
 長い指に唐突に貫かれ、マリアはピンで留められたように硬直した。
 ぐんと反らされた無防備な胸に、カンナは襲いかかった。大きく口を開けて、揺れる薄紅色の先端をくわえ込み、噛みしだく。ミルクを流したような肌が、カンナの唇から逃れ出て、また吸い込まれ、唾液に濡れてこぼれ落ちた。
「痛っ…!!」
 マリアが悲鳴をあげて、びくんと震え上がったので、カンナははっとして顔をあげた。
 腫れあがったように紅く染まった乳首のそばに、カンナの犬歯がくいこんだ痕が、薄く血を滲ませていた。



「わ、わりい…」
 敏感な部分に自分がもたらしたひどい痛みに思い至り、カンナはうろたえた。荒い息を吐いて胸をあえがせながら、マリアのまなじりには涙が浮かんでいた。
 自分がしたことは、マリアにさらに無力感を与えただけだったのか。カンナは自制を失った自分を呪い、後悔の呻きを堪えた。
「いやよ…私、こんなの」
 マリアはカンナから目をそむけたままつぶやいた。
 そして半ば諦めたように、どこか他人事のように言った。
「もっと…やさしくして頂戴」


 やり直す機会を与えられたことに、カンナは安堵した。マリアも望んでいるのだ…できるなら、忘れたいのだ。
「ごめん…あたいが悪かった…」
 舌先をそっとのばし、これ以上できないくらいに軽く、やわらかに、滲んだ血を舐め取った。小さく触れる部分はすぐにひんやりして、その細やかな感覚に、マリアはようやく溜息を漏らした。
 頬を抱いて、カンナはもう一度、やさしく口づけるところから始めた。歯の滑った部分が紅い筆あとのようになっている喉を、癒すように舐めていく。傷つけた部分を痛めないように、胸の先をそっと口に含んで、舌先でいたわった。
 腰を撫でながら手を降ろし、今度は慎重に指を差し入れる。探り当てた小さな粒を、二本の指の腹で、丁寧に擦り上げた。
「気もちいいか?マリア…」
 囁きながら顔をのぞき込むと、マリアは答えずに、軽く眉を寄せて眼を伏せていた。
「…気持いいだろ…?」
「…はあ…っ…」
 やがて浅い息が靄のように流れてきて、カンナの胸はときめいた。マリアが歓んでいる。自分は今、マリアを歓ばせている…。
「ん……ふ…あ…っ」
 核となる部分を指で挟んだまま、子宮を揺りあげるように振動を伝えていくと、マリアは身じろぎをして喉を鳴らした。マリアがまぶたの裏に見ているまばゆい光が、カンナにも見えた。
(何も、考えるな、マリア…今…真っ白に、してやるから…)
 強さと速度をわずかに増すと、マリアの手が浮いてふらふらとさまよった。
「つかまれよ、マリア、あたいに…しっかりつかまってろ…」
 肩に導いた白い指が、その瞬間に深く食い込むのを、カンナは目の奥で確かに感じていた。






 マリアが疲れ果て、眠りに落ちるまで、カンナは何度も白い体を抱いた。
 ようやく息づかいがおだやかになった寝顔を、じっと見つめ、カンナは静かに声をかけた。
「ぐっすり眠れよ…悪い夢なんか見ないで、な…」
 思いのほか細い肩に、敷布をしっかりと巻きつけてやって、カンナはそっとベッドから抜け出た。
「あとで、もう一度様子を見に来るからな…」



 だが、その後でカンナが見つけたのは、余裕なく物の散乱した、からっぽの部屋だった。






《了》












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