懺悔〜涙の意味〜





背後から圧し掛かる男の荒い息遣い。余裕の欠片もない愛撫と、背後から耳にかかるそれに応えるように、時折、腕の中の女が甘い声を漏らす。
闇の中絡み合う、二つの肢体。欲望のままに行われる、誰も知らない二人だけの秘め事。
―――― カタン・・・
ふいに聞こえたその音に、激しく動いていた二人の動きが止まる。
普段なら聞き逃しているだろう、小さな音。だが深夜、誰もいる筈のないこの部屋で、その音はとても大きく響いた。振り向いた二人が目にしたのは、立ちつくす一人の影。片手で覆った口元。見開かれているだろう瞳の色は、見えなくても想像がついた。
「・・・あ」
男が思わず漏らした呟きに、その影が反応する。大きく震えの走ったその体を自らの手で抱きしめて、影は踵を返した。
「・・・待って」
背後からの声に耳を塞ぎ、駆け出した人影。その後ろ姿を、男は為す術もなく見つめていた。

閉めた扉を背に、彼女は何度も荒い呼吸を繰り返した。混乱する思考。思わず感じた目眩に吐き気を感じて、彼女は咄嗟に体を折り曲げた。
「・・・どうして・・・っ」
覆った口元から洩れた言葉。苦しさのあまり涙が滲む。不意に、そのぼやけた視界に浮かんだ光景。今でも信じられない。いや、信じたくなかった。闇の中、素肌で絡み合う二人。それが自分のよく知る人だったなんて。優しく触れた大きな手。その優しさ、温かさは今も覚えている。その手が自分以外の女性を抱いていた。自分には見せたことのない荒々しさを持って。
(・・・隊長・・・)
その場に力なく蹲り、胸元のペンダントを握りしめる。祈るように両手を口元に添えて、彼女は唯一心の拠り所である人の名前を呼んだ。閉じた瞼に焼き付くように浮かんだ人。だが、彼の姿を認めた途端、それは豹変した。裸の女性を背後から抱きすくめ、その首筋に顔埋めて、刺すような冷たい視線だけをこちらを向けた人。見たことのない男の顔がそこにあった。
「・・・嫌ぁ!」
両手で頭を覆い、床に這うように崩れ落ちるマリア。
「・・・可哀相な人」
そんな彼女の頭上から声がかかる。そっと髪を撫でる手のひらの感触。起る筈のない出来事に、彼女は慌てて顔を上げた。そして、そこに今、一番会いたくない人の姿を見つける。
「・・・サキさん・・・」
「・・・あの男に裏切られて」
「隊長は、そんな人じゃないわ!」
サキの言葉に、反射的にマリアが反論する。悲鳴のような声を上げた彼女を、サキは、どこか歪んだ、しかし悲しげにも見える眼差しで見つめた。
「・・・あんな場面を見せられて、よくそんなことが言えるわね」
「・・・っ」
「彼ね・・・私になんて言ったと思う?貴女に触れるのが怖いんですって。・・・可笑しいわね。そんなことを言って私を抱くのよ。・・・貴女の代わりに」
最後は呟くように告げた彼女の眼差しは、本物の悲しみに濡れて見えた。そんな彼女に一瞬、目を奪われていたマリアの隙をついて、サキは彼女の体を押え込んだ。
「・・・あの男が、どんなふうに私を抱くか、教えてあげましょうか」
「・・・やめて、サキさん・・・嫌っ・・・」
耳元で囁かれた言葉に、マリアは身を捩って抗った。胸元に伸ばされた手を避けるよう身を捩る。だが、同じ女性とは思えないほどの力で、彼女はマリアの体を押さえつけた。
「・・・知りたくないの?・・・あの男のことなのに・・・それとも怖い?」
「・・・違っ」
「さあ・・・マリア。目を閉じて。これは私の腕じゃない・・・彼の腕よ。そしてこの手も・・・」
そう耳元で囁いて、たくし上げた上着の裾から手を滑りこませる。その冷たい感触に、マリアの全身に振るえが走った。そのまま胸元を探り当て、乱暴な手つきで揉みしだく。彼女は空いたほうの手で、衣服の上から押さえつけようとした。だが、そんな彼女の手をサキは容易に持ち上げると、その手首を掴んだまま頭上に持ち上げる。
腕を上げることで開いた胸を、割り込んだ手は思うまま嬲り続ける。握りこまれた時、マリアはとうとう我慢できずに、苦痛の声を漏らした。
「・・・痛いでしょう?・・・酷い男。大切な貴女にまでこんなことをするなんて・・・」
打って変わって、優しい手つきで宥めるように触れる。気がつくと、胸から腰にかけて素肌が露出していた。抗い、身を捩る内に乱れた衣服を、いつの間にか上手く取り払ったのだろう。彼女は慣れた手つきで、次々とマリアの鎧を剥がしていく。
「・・・貴女も可哀相な人ね。本当は、彼に抱かれたくて堪らないんでしょう?」
吐息と共に囁かれた言葉に、マリアの頬が瞬時に紅く染まる。
「・・・そんな・・・私は・・・そんなこと・・・」
「・・・一度だって思ったことはない?」
笑う彼女に吐息が耳にかかる。心の奥底を見透かしたようなその笑みに感じる居たたまれなさに、マリアは思わず唇を噛んだ。そこに彼女の指先が触れる。
「・・・噛まないで・・・恥ずかしがることはないわ。自分の心に素直になりなさい、マリア。・・・何もかも・・・隠しちゃ駄目」
「・・・サ、キさん・・・」
「ここにいるのは、私と貴女、二人だけ。・・・だから何も隠すことはないわ。貴女の心の中にあるもの全部、吐き出して構わないのよ」
自分を見つめる眼差し。不可思議なその色に捉えられたような感覚に、彼女は一瞬、体を強ばらせた。だが、それも一瞬のこと。力の抜けた体が、サキの胸の中にもたれかかる。
「・・・抱いて・・・ください・・・」
閉じた両目から零れた一筋の涙。
「・・・貴方の温もり・・・もっと・・・感じさせて・・・」
「・・・マリア」
かみ締めた唇から洩れた呟きに、サキは、マリアを抱く腕に力を込め、そっと自分の唇を彼女に寄せた。それを黙って受け入れた彼女の脳裏に浮かぶのは、唯一人の男。その男に抱かれる夢の中に漂いながら、彼女は再び涙を流す。床の上、絡み合う肢体。怪しく美しい、二人だけの世界。そして、彼女が求めた確かな熱。その熱に浮かされたように、彼女はいつまでもその男の名を呟き続けていた。止めどなく流れる涙。その意味も解らないままに。

狂おしい夜。一夜の夢がその時、確かに彼女を支えていた。






《END》






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