ツートーン・ステップ (1)








 オー・マイ・ゴッド。
 ちょいと溜息でもつきたくなるような気分だった。

 事務所のデスクで、あたしは書類の山を前にしてうめいていた。つまりは仕事の話だ。今抱えてる案件が、どうにもうまくない。
 かいつまんで説明すると、盗品の宝石を掴まされた依頼人が宝石店を訴えたんだけど、これが相手が悪かった。老舗の大物宝石商で、依頼人とは会ったこともないと知らぬ存ぜぬを決め込んでる上に、逆に名誉毀損と営業妨害で訴えられちまった。おまけに、依頼人が他にも盗品の宝石を持ってたのが見つかって、窃盗の容疑までかけられてる。
 なのに、こっちに有利な材料は何もない。このままだと依頼人をみすみす刑務所送りにしちまうことになる…。
 とはいえ、ここで弱音を吐いてちゃ敏腕弁護士の名が廃る。まだ裁判は始まってもいないんだ。開廷までになんとかして糸口を掴まなきゃ…。

 気を取り直して深呼吸したところで、じゃん、と蒸気電話のベルが鳴った。当たり前の反応で受話器に手を延ばしたところで、あたしの体は何故か硬直した。


 この電話に出ちゃいけない。
 理由はわからないがイヤな予感がする。
 きっととんでもない面倒に巻き込まれる…。


 しかし電話のベルはじゃんじゃんと鳴り続けてる。
 あたしは首を振った。待て待て、もし依頼人からだったらどうする。


 そして、あたしは電話に出た。
「こちらワインバーグ法律事務所…」










「ほんっとに、今は後悔してるよ。なんで電話に出ちまったんだろう。あんなにイヤな予感がしてたのに」

 ぼやいたところで、センター・ストリートの紐育市警本部まで来ちまったからにはもう遅い。


 あたしの目の前にはヤツがいた。


「よう、久しぶりだな。元気そうじゃないか」
 なんて、どのツラ下げて言うかって襟首掴んで揺さぶらなかったのは、そうするには鉄格子が邪魔だったからだ。その鉄格子も、こいつと一緒だと似合いのインテリアみたいに感じられるから不思議だ。こいつの発散する胡散臭さの成せる技かもしれない。現にヤツは、留置所のベッドに悠々と足を組んで腰掛け、自分の部屋にでもいるみたいにくつろいでた。



 ロベリア・カルリーニ。
 こいつと手錠に繋がれて巴里の街を逃げ回ったり、マシンガンで撃たれそうになったり、あちこち飛び降りたり、そう、何よりプードルのカトリーヌちゃんに至近距離で吠えられたり!…したのがほんの3か月前の話。あれはあたしの人生でもベストスリーに入る最悪の体験だった。


「この女はスリの容疑で逮捕したが、掏られた財布は見つかっておらず、被害の程が定かでない。身元引受人に君を指名したので連絡したのだが、知っている相手かね?ミス・ワインバーグ」
 ソルト警部があたしに尋ねた。
 警部とは、仲良しとは言わないけど、まあ顔見知りだ。警部にとっては、あたしはブロードウェイのスターじゃなくて、弁護士のミス・ワインバーグだ。そのあたしが、こんな凶悪そうな女とどうして知り合いなのかと、警部の渋面は訝しんでる。
 警部直々の電話を無碍にもできずここまで来ちまったけど、…まだ間に合うかもしれない。

「さてね。見たこともないよこんなヤツ」
 二度と面倒に巻き込まれるのは御免だった。あたしは冷たく言い放ち、踵を返して帰ろうとした。

「おいおい待てよ!あんたが言ったんじゃなかったっけねえ、うまいバーボンをおごってやるから、紐育に来な、ってさあ」
 背中に投げられた言葉にあたしの足は止まった。…そういや確かにそんなことを言っちまったような…。
「ありゃ嘘だったってのかい?…こういうのは何て言うんだっけ…詐欺罪?」

「何?弁護士のミス・ワインバーグが詐欺罪だと?」
 頼むからソルト警部も反応しないでくれよ…。あたしは泣きたいのを我慢して振り向いた。
「あー…確かに、こいつはあたしの知り合いだし、身元は保証するよ…だから保釈してやってくれないか」
 渋々、あたしは警部に言った。まあ、こいつが何をしに来たのか知らないけど、大ごとにして巴里華撃団に迷惑がかかっても、ウチらの体裁が悪いだろう。




「いやあ、面目ない。知らない街ってのは勝手がわからなくてねえ。巴里の街なら、サツなんかに捕まったりはしないのにさ」
 警察署を出てセンターストリートを歩きながら、ロベリアは嘘くさい笑顔で言った。こいつが殊勝な言葉を吐くなんて、裏があるに違いない。
「そうか…警察にあたしを呼び出させるために、わざと捕まったってわけだね」
 こいつ本人から電話があっても、あたしが出向くとは限らない。でも警察に呼ばれたら、弁護士のあたしが知らんぷりするわけにもいかないと踏んだのだ。
「なんだ…お見通しじゃしょうがねえな」
 しれっと言ってロベリアが笑顔を引っ込めたので、あたしは思い切り頭にきた。
「それより、あの時掏った財布を返しな!おかげで土産が買えなくて、あたしの面目は丸つぶれだったんだからね!」
「紐育にお招き下さったのはあんただろ?足代に使わせてもらったよ。しけた額だったしさ」
 ここであたしがこいつの首を絞めなかったのは、法廷で鍛えられた鋼のような理性の賜物だ。
「あんた…あたしに喧嘩売るために紐育まで来たのかい」
 低い声で凄んでみせたが、ロベリアは屁とも思ってないようだった。
「だから酒を飲みに来たんだよ。ジャズの店だっけ?行きつけの酒場があるんだろ?」
 ふざけんな、とあたしが言う前に、割り込んだ声があった。


「おい、女!さっきはよくも好き放題に言ってくれたな!」 
 丁度警察署から1ブロック来たところで、男が一人、あたしたちの前に立ち塞がってた。
「ああ…アタシに財布を掏られたウスノロ野郎か」
「なんだと!?」
「ウスノロをウスノロって言って何が悪いんだよ。それともウスラバカのほうがよかったかい」
「貴様あっ!」
 わめいてるのは、オイリーってチンピラだ。先年の災厄からこっち、随分真人間になったって聞いてたけど、財布を掏られた上にこんな調子で馬鹿にされたら、黙ってられなかったんだろう。一言お礼を言いに待ち伏せてたってことか。
 ロベリアのヤツめ、警察にわざと捕まるために、騒いで揉めそうな相手をわざわざ選んで掏ったってわけだ。
 やれやれ。弁護士だと名乗ってこの場を収めるべく説得しようにも、オイリーは文字通り油を注がれて火がついてる。穏便には済みそうにない。
「いいかい、逃げるよ」
 あたしが小声で囁くと、ロベリアはあたしをじろりと睨んだ。
「ああん?こんなチンピラのクズ、叩きのめしてやりゃあいいじゃないか」
「この女!言わせておけばどこまでも!」
 オイリーが拳を構えて殴りかかってきた。

「いいから!来るんだよ!」
 ロベリアの首根っこを掴んで走り出したところで、
「放せよ!」
 乱暴に振り払われて、そのはずみであたしはこけそうになった。そこへ男の拳骨が飛んできたのを、あたしは顎を逸らして鼻先すれすれでからくも避けた。殴る相手が違うだろうと言いたかったが、頭に血がのぼっちまってどうでもいいんだろう。
 しかし、逃げる気のないヤツと逃げるってのは、手錠で繋がれてるほうがどれだけマシかってくらいに面倒だった。
「やめろって言ってんだろ!?」
 応戦しようとしてチェーンを振り上げたロベリアの腕を押さえれば、
「邪魔すんなよ!」
 どん、と肘鉄をくらって突き飛ばされる。でもそのお陰で、丁度オイリーが飛び込んで来たのが空振りになった。その勢いでオイリーがつんのめってる間に、あたしはロベリアを羽交い締めにして耳もとでがなった。
「いい加減にしな!あたしは揉め事は御免なんだよ!」
「…けっ、なんだよ訳ありの相手か?つまんねえな」
 不服そうに言いながらも、ロベリアは起き上がったオイリーに見事な素早さで足払いをかけた。その隙にあたしは、タイミングよく通りかかった蒸気タクシーにロベリアを押し込んだ。
「出してくれ!」
 急発進したタクシーのミラーに、地団駄を踏むオイリーの姿が映ってる。頭が冷えて、水に流してくれるくらいに寛大になってはくれないものか…まあそう都合よくはいかないよね…。

 気を揉むあたしの横で、ロベリアはふんと小鼻に皺を寄せた。
「ありゃ昔のオトコか何かか?いい趣味してるな」
「…あのさあ…」
 息切れが収まったところで、あたしはひと息に言った。
「あいつは確かにただのチンピラだけど、そもそも最初にちょっかい出したのはあんたの方だろ!?それにあいつだってこの街の市民なんだ。あんたには紐育はアウェイかもしれないけど、あたしはここがホームだ。誰彼構わず喧嘩売ってまわるわけにはいかないんだよ!」
 なのに、ロベリアは途中で小指の先を耳に突っ込んでしらけた顔をした。
「あー、窮屈な話はそのくらいにしてくれよ。それより、うまいバーボンだ。約束だろ?」
 こいつはどこまで図々しいヤツなんだろう。あたしは憮然としたまま答えた。
「あたしは仕事を抱えてて忙しいんだ。あんたなんかと飲んでる暇なんてないね」
「そいつは残念だ…じゃあ、ちょっくらさっきの紐育版エビアン警部に詐欺罪で訴えて来ようかな…ここで降ろしてくれるかい」
 …長い長いあたしの溜息がタクシーの床に落ちた。





 噎ぶようなサックスが、豊かな音色で体を包んでいる。
 スウィングドアの外は丁度よく日も傾いて、飲むにはいい時間になってた。
「ふうん…ここがあんたの行きつけの店かい」
 ロベリアが店内をぐるりと見回した。

 あたしたちはマーキュリーのカウンターに並んで腰掛けていた。
 このあたりで、ロベリアみたいな真っ白な白人…しかも明らかにカタギには見えないヤツが一人でうろうろしたら、どうなるかわからない。でもマーキュリーならあたしの顔が利く。あたしの連れだから、誰も面と向かって絡んでは来ない。
 とはいえ、黒人だらけの店の中で、ロベリアは目立ちまくっていた。中にはあからさまに反感の眼を向けてくるヤツもいる。
 それでも、本人はまったく気にする様子もなく、
「気取らなくて、いい店じゃないか」
 なんて言ってるんだから…まあ肝が太いのは確かだな。

「よう、サジータ。見ないお連れさんだな」
 馴染みのマスターに声をかけられて、あたしは答えた。
「ちょいと腐れ縁なんだ…あたしのブッカーズを出してくれ。シングルで2杯ね」
「あいよ」
 ここまで来たら、けちけちしみったれるのは野暮ってもんだ。財布やらの怨みはひとまず脇へ置いて、あたしはとっておきのボトルを振る舞ってやることにした。やっぱり酒は気分良く飲みたいからね。どうだいサジータ姐さんは太っ腹なのさ。
「とりあえず、乾杯だ。これで約束は果たしたからね」
 かちん、とグラスを合わせて、琥珀色の液体を口に含む。しなやかで心地いいオーク樽の香りが広がる。
「うん…まあ、悪くない酒だ」
 なのにロベリアの感想といえば、スモール・バッチ・バーボンの最高級品に向かってひどい言いぐさもあったもんだ。…でもまあこいつには上等な褒め言葉なんだろう。

「巴里花組のみんなは変わりないかい?」
「ああ、あのうっとうしいヤツらか…まあ、元気なんじゃないの?そっちはどうよ」
「ウチらもみんな元気さ…来月から新しい公演の稽古も始まるし」
 ジャズの調べをBGMに、あたしたちは当たり障りのないおしゃべりをした。
「本業の方も随分繁盛してるみたいじゃないか」
 さっき仕事が忙しいとか言っちまったからだろう。ロベリアに振られて、あたしは言葉を濁した。
「これがなかなか一筋縄じゃいかなくてさ…」
 守秘義務もあるし、酒のうまくなる話じゃない。
「ふうん…そういや、あんたの稼業なら、紐育の街のブラックマーケットの話なんて知らないか?」
「まあ、警察に出入りしたりして、多少は耳に入って来るけどさ…丁度今抱えてる案件にも関係が……あ、いや、…でも、なんでだい?」
「別に…こっちの同業者の景気はどうなのかと思ってさ…」
「おいおい、紐育までシマを広げるのはやめてくれよ」
 あたしが眉を上げると、ロベリアは喉の奥でくくっと笑った。
「安心しな…アタシの縄張りは巴里だけさ。…例えば、あっちじゃ裏ルートでお宝をさばく時は、窓口になってる骨董品屋があるんだけど、こっちにもそういうヤツがいるんだろうな」
「どこも似たようなもんだね…この辺じゃ、レキシントン街のベンじいさんがやってる古売屋がそうだって、小耳に挟んだことがあるよ」
「成る程…流石だねえ、紐育の街のことなら、表にも裏にも通じてるってかい…お見それしたよ」
「え…いやあ…そんなもんじゃないさ」
 持ち上げられて、あたしは居住まいが悪くて頭をかいた。
 ロベリアはまた小さく笑うと、グラスに唇をつけ、眼を閉じてしみじみと言った。
「うん…こりゃあうまい酒だ…こんなうまい酒がおごりだなんて…アンタ……いいヤツだな」
 あたしは折角のブッカーズを噎せそうになった。紐育に大雨も大雪も願い下げだ。



 でも、ちょっといい気分でもあった。
 こいつと、こんな風に酒を飲めたら、ってあの時思ったんだ。
 それが実現してる。
 どんなにあたしたちが真逆でも、馬が合わなくても、一緒にうまい酒を飲んで、どうでもいい話をして…ホントに、そんなことが出来てるじゃないか。

 弁護士も泥棒も、黒も白もない、同じ人間どうし心を開いて、こんなふうに仲良くできれば…。

「よーし、今日はとことん飲もうぜ!仕事は明日だ!もう一杯いきなよ!」
「その前に、手洗いはどこかな」
 ロベリアがグラスを置いて、スツールを降りる。
「奥を右だ…マスター、ダブルでもう二杯!」





 いい感じに酔いが回って、あたしはふわふわしてた。
 ステージの演奏はスローテンポなピアノに変わって、耳に心地よい音色だった。うっとり聞きながら、あたしはジャズのメロディに浸っていた。




 ロベリアがやけに遅いな、と思った時には、15分くらいは経ってたかもしれない。
 まさか酔い潰れて動けなくなったりしてるんじゃないか。いやいやあいつがそんなやわなわけがない…そうか時差ぼけで眠くなったとか…?心配して席を立つ。
 トイレの手前の、楽屋の入り口でドッチモがサックスを磨いてた。
「どうした、サジータ。飲み過ぎたか?」
「いや…あたしの連れを見なかったかい?」
「アイスブルー・アイのねえちゃんなら、さっき裏口から出てったぜ」

 ドッチモの言葉で、あたしの酔いはふっとんだ。
 ロベリアのヤツ、いったいどうして…。
 おごってやると言ったんだから、飲み代を踏み倒すとかいうわけでもない。じゃあ、なんであたしを置いてとんずらを決める?
 あいつとの会話を思い出す。…ブラックマーケットがどうのって…。
 さては盗品でも持ち込んでさばくつもりか。


 アルコールの霧が消えて、熱いような冷たいような怒りが渦巻いた。


 人をおだてて、いい気分にさせておいて、情報を引き出すのに利用したんだ。


「あいつめ……許さない…!」

 あたしはロベリアを追って店を出た。





《続く》 




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