Winter time Love

     俺は君との思い出を幾年もつむいできた。
     あの時、君に出会ってから。
     俺は君に心奪われていた。
     そして、君の瞳の奥に潜む凍てついた悲しみにも。
     君の過去、君の痛み、君の苦しみ、俺に出来ることなら分かち合いたいと思った。
     君に出会って数年後。
     その望みはかなった。
     ウェディングドレス姿の君は泣けてくるほどに美しくて、優しくて。
     生まれ変わってもこの思い出は消えないだろうと思った。
     そして、時は流れ。
     子が生まれ、孫が生まれ・・・。
     俺の髪に白いものが増え、君の目じりに皺が刻まれていくうちに。
     俺たちは日々の生活に追われ二人でいる時間が少なくなっていた。
     なあ、マリア。
     また、二人で街を歩いてみようか。
     結婚する前のように。

     あなたがわたしを変えてくれた。
     わたしには好きな人がいた。
     少女だったころの淡い初恋。
     その淡い思いは戦の炎で散った。
     あの人を失ってからわたしの心はあの凍てつく大地のように冷たく固く閉ざされた。
     あなたに出会うまでは。
     あなたがいるだけでわたしは幸せだった。
     些細な仕草や気遣いがわたしの心をなごませた。
     あなたの微笑みは心の氷を溶かしていった。
     そして、ウェディングドレスに身を包み、仲間たちの祝福の言葉の雨の中であなたと誓いを立てたときは幸せの
     あまり気が遠くなりそうだったのを覚えている。
     しかし、子どもが生まれ、孫が生まれ、日々の生活に追われ老いていくうちに私は日常の中ににある幸せを見失
     ってしまった・・・。
     ねえ、一郎さん。
     最後にデートしたのはいつだったのでしょうね?

    

     「久しぶりにデートしないか。マリア」
     大神一郎は年のせいかすっかり深くなった笑皺を刻ませて妻のマリアに言ってみた。
     「な・・・何をいっているんですか。おとうさん。いい年をして・・・・」
     マリアはすっかり赤くなりうろたえていた。
     大神はうろたえるマリアの顔を見た。
     時がたったなと思った。
     相変わらず彼女は美しい。
     しかし、子どもを生んでからやや太った体と銀色に変わりつつあるブロンドヘアは二人で過ごしはぐくんた時の
     流れの悲しさを感じさせた。
     マリアはそんな自分を恥じているのか俯いている。
     「いいじゃないか。マリア。ほら・・・。海人も家族水入らずで食事を楽しむといっていたし、それに・・・」
     大神は咳払いすると続けた。
     「それに・・・、今日はクリスマスじゃないか。祝おう。ふたりで」
     大神はマリアのふっくらとした手を取った。
     マリアは思った。
     この人は変わらない。
     無邪気で、ほがらかで。
     たとえ顔に皺が増えても、手がかさついていても。
     その性格は、私が愛したこの性格は変わらない・・・と思った。
     マリアはやれやれと肩をすくめ、大神の無邪気な誘いに応じた。

     二人は久々に歩く横浜の街並みの変貌に戸惑っていた。
     街を歩く少女達は色鮮やかな模様の服を着て着飾っている。
     マスカラとアイシャドーで平坦な顔を彩って。
     少年達も流行なのかくたびれたジーンズをはき、色あせたジーンズを羽織ってギターをかき鳴らしたかと思うと
     缶コーヒーをすすりながら政治や国を嘆き、議論していた。
     幼さを隠そうと必死に背伸びをして。
     ふたりはそんな若者達に呆れつつもそのけだるさを気取りつつも見え隠れるしている幼さと熱気に苦笑い
     していた。
     その背伸び具合をほほえましいと思う。しかし、どこかで思ってしまう。近頃の若い奴は・・・と。
     それだけ俺が年を取ったということかな・・・と大神は心の奥で呟き、老いた自分を痛感していた。。
     前の私なら軽蔑していたかもしれない、道行くこの子達を。でも今は穏やかな気持ちで見ている・・・。
     年を取るというのも悪くないかもしれないとマリアは心で呟き、苦笑した。
     「冷えてきたな、マリア。コーヒーでも飲みに行くか」
     「ええ、じゃあ。あの店に久しぶり行きますか」
     「ええ、あの店に・・・。でも、まだあるのかしら」
     あの店。カフェパウリスタ。
     二度目の戦いが終わり、二人で訪れたカフェ。
     そこで二人は酒を酌み交わし、温かな夜を過ごした。
     二人は思い出の場所を探し、まだ面影の残る建物を見つけ、顔をほころばせ、ドアを開けた。

     しかし・・・・。

     「・・・・ここも変わってしまったのですね」
     「ああ・・・」
     「そして、一郎さん・・・」
     「ん?」
     「いくら店の中が暖かいとはいえ、アイスクリームを頼むなんて。いい年をして・・・」
     「でも、なかなかうまいよ」
     「一郎さん!!」
     マリアは憮然とした顔でコーヒーをすすっていた。
     対照的に大神は上機嫌でアイスクリームに舌鼓を打っている。
     カフェパウリスタはすっかり様変わりしていた。
     昔の面影は外装のみ。
     静かなピアノが店内を包み、窓から港の明かりが蛍火のようにほんのり灯るのが見えるこじんまりとしたカフェはめまぐるし
     く変わるロックのレコードが狭い店内に響き、若者達の喧騒と煙草の煙が充満する騒々しい店と化していた。
     マリアの知人であるオーナーが亡くなり、その息子が寂れたカフェを若者がにぎわう喫茶店へと様変わりさせたのだ。
     レトロさゆえの温かな趣のよさと引き換えにして。

     隅の席で二人はばつが悪そうにため息つきつつ店内を見回した。
     明らかに落ち着いた老夫婦という風情の二人はかしましい店内では浮いていた。
     「・・・退屈そうだね。マリア」
     「いいえ・・・・」
     「ごめん。俺が誘っていなければ・・・」
     「いいんです・・・」
     「・・・・マリア」
     「時が流れ、時代は変わり、古いものは淘汰され、新しいものが生まれる」
     「・・・・」
     「そうやって人は歴史を築いていくのですもの。仕方ありませんよ・・・」
     「そうだね・・・・」
     そんな二人のため息も轟音のようなロックミュージックがかき消していった。
     カウンターにかけられたそのレコードのジャケットにははるかな星空を見るように遠い目をした長髪の青年が写っていた。
     轟音さながらの激しいギターの音と吼えるような歌がやみ、新しい曲に変わった。
     ワルツのような柔らかな旋律だった。
     歌い方も先ほどとはうって変わって甘くも儚げな歌い方だった。
     二人はその曲に耳を傾けた。

     
     今年の冬風は冷たくて
     僕は恋して、恋し続けたいんだ。
     風がこんなに冷たいから
     暖めてあげるよ、君を。君の手が僕に触れていくね
     
     さあ、いとしい人よ。踊ろう。
     今年の冬は冷たいけれど
     君は温かくて
     僕の冬の日の恋も温めてくれる
     僕の冬の日の恋も

     冬の風が青く凍てつく
     北の海から吹いてきた風が
     愛をなくしたからのだろうか
     自由になろうと躍起になって

     さあ、いとしい人よ。踊ろう
     今年の冬は冷たいけれど
     君は温かくて
     僕の冬の日の恋までも温めてくれる
     君は温かくて、僕を温めてくれる
     僕の冬の日の恋も・・・・

     二人は見つめ、微笑み合った。
     「あなたの言葉みたいですね・・・この歌は」
     マリアは苦笑いした。
     「・・・・ん?」
     大神は最後のアイスクリームをすくいながらきょとんとしている。
     「この歌は・・・」
     「どういう意味かな・・・・?」
     大神は相変わらず首をかしげている
     マリアはふっくらと瞳を細め笑った。
     あなたはあのころと変わらない。
     本当に。
     「店を出ましょう」
     大神はマリアの言葉に従い、そうした。
     外を出ると木枯らしが寒く二人の肌を凍えさせた。
     大神は凍え、歯をカスタネットのように鳴らしている
     「真冬にアイスクリームなんか食べるあなたが悪いのですよ」
     「ごめん・・・・」
     マリアに母親さながらにたしなめられて大神は俯く。
     「マリア」
     まだ歯をがちがち鳴らしながら大神は言った。
     「手をつながないか?」
     「何を言ってるのですか!!」
     マリアの頬がみるみるうちにトマトさながらに赤くなった
     「だって・・・。なあ・・・」
     「?」
     「ここは冷たい。でも、マリア。君はとても温かいから」
     「・・・・」
     「そう、とても寒い日も君が温かくしてくれるから」
     皺の増えた顔を真剣な表情で引き締め、大神はマリアに呟いた。

     そう、その言葉。
     あの歌はあなたの言葉を思い出させた。
     凍える大地、永遠に続く白。
     あなたと二人、ロシアを訪れた日。
     あのクリスマスの夜。
     あなたは微笑んで私の手を取り、言いましたね。
     「ここは冷たいね。でも、マリア。君は温かいね」と。
     あの冬の日の恋のエピソードの一つ。
     他愛のない、でも大事なエピソード・・・。
     時が流れてもあなたの変わらない言葉とぬくもりがうれしくて
     あのクリスマスと同じ言葉をかけてくれたのがうれしくて
     例えあの名も知らない歌で思い出したのだとしても
     私は泣いてしまいそうです。
     ねえ、あなた。
     プレゼントは何もいりません。
     指輪は私の指にはもうきつすぎて
     薔薇色のドレスも私には似合わない
     花も庭に植えている花がいずれ開くことでしょう
     きらびやかな宝石もあなたからもらった指輪と
     肌身離さずにつけているロケットだけで十分。
     その代わり、今年のクリスマスは・・・。
     あなたとの冬の日の恋をもう一度育みませんか?
     
     あの歌のように。
     温めましょうか。
     冬の日の恋をもう一度。
   
     マリアはふっくらとした手で包み込むように大神のかさついた手を握った。
     大神もゆっくりと握り返した。
     互いのぬくもりがとくとく流れていく
     体温、血の流れ、脈拍を通して。
     時は1968年。時間がめまぐるしく流れていく時代。
     しかし、手をつなぐ老いた二人は緩やかに時を感じていた。
     いつの間にやら降り積もる雪とともに。



     さあ、いとしい人よ。踊ろう。
     今年の冬は冷たいけれど
     君は温かくて
     僕の冬の日の恋も温めてくれる
     僕の冬の日の恋も
・・・。
     
     BGM The doors "Winter time love"


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