夢一夜


      素肌に肩袖通しただけで色とりどりに脱ぎ散らかした 床に広がる絹の海・・・・。

      神崎すみれは整った顔におしろいを施し、今日の衣装を選んでいた。
      今日は彼女の引退公演。
      帝国歌劇団トップスターから神崎重工社長令嬢へ戻る日・・・・。
      すみれは様々な思いを胸に秘め、紅をひいた。
      彼女の瞳には迷いはなかった。
      「すみれさん、出番ですよ」
      真宮寺さくらのせかす声で意を決したようにすみれは立ち上がり、楽屋を後にした。
      スポットライトは美しい化粧ときらびやかな衣装に身を包むすみれのために用意されたかのように燦然と輝いていた。
      すみれはファンに一礼し、数々の男達を魅了した、大輪の華さながらの笑みを浮かべ挨拶をした。
      嗚咽交じりのすみれコールとスポットライトに包まれ、すみれはあることに思いをはせていた。

      それは一年前のことだった・・・・・。
      彼女には恋焦がれた男がいた。
      彼女は男の些細な仕草、さりげない優しさにほれた。
      いやな顔せずフォークを拾うその優しさ。
      わがままさを叱ったその厳しさ。
      蜘蛛に噛まれた時に傷口をためらいなく吸ったその潔さ。
      男は彼女の理想だった。

      今まで何不自由なく育てられ、豪奢な着物や香水、彼女の愛でるものは何もかも手に入った。
      男からの愛の言葉もそのうちに手に入ると思った。
      しかし、どう手を伸ばしても、もがいても彼の愛は手に入らなかった。
      なぜならば男は別の女性を選んでいたからだ。
      プラチナブロンドの髪の長身の美女。
      男と彼に選ばれた女はお似合いのカップルだと誰もが評した。
      すみれもふたりを同じように評し、時には典雅な冗談でからかっていた。
      ねたみとうらやみを心に隠して。
      
      鏡を見るたびにため息をつき、おしろいを塗った。
      届かぬ恋のために。
      目覚めるとともに、着る服を何時間も選んだ。
      少しでも振り向いてもらえるように。
      
      しかし、思いは届かなかった。
      素直じゃないと思いつつも、男につれない態度をすみれは取った。
      叱られてもかまわない。
      そのときだけはあの人は私を見てくれるから。
      すみれは鏡を見てはそう言い聞かせた。
      微笑で心を隠そうとした。
      しかし、泣きぼくろが影を作り、微笑を憂い顔にさせた。
      その度にすみれは泣けてきそうになった。
      いつか、母親であり先輩女優である神崎雛子が言った。
      「泣きぼくろのある女は男で泣きを見るわよ。お気をつけなさい、すみれさん」
      豪奢なシガレットホルダーをつけた煙草をけだるげにくゆらせながら。
      まだ幼かったすみれは母のその態度と言葉に反発した。
      私は社交界の花。
      艶やかに咲く社交界の花。
      誰もが称える、私の肌を、瞳を、唇を。
      殿方は引く手あまた。
      私に振り向かぬ人などいない。
      そう思っていた。
      しかし、母親の予言は当たり、鏡の中のすみれは涙を流していた。
      男への報われない思いのために。
      そして、その男で泣きを見た彼女自身のために。


      すみれは歌った。
      センタースポットに立つ彼女は生まれながらのスターだった。
      スポットライトのまばゆい光に包まれ、歌い、踊る彼女は大帝国劇場の歴史を飾るほどの美しさだった。
      後に、人に長く語り継がれるほどの神々しさだった。
      時に、可憐に。
      時に、挑発的に。
      その度に観客は歓声をあげ、すみれとの別れを惜しんだ。

      時がたち、フィナーレが近づいていく。
      すみれは朗々と観客に向け歌の合間の語りをする。
      皆、観客も仲間達も別れを惜しみすすり泣く。
      彼女といつもいがみ合っていた長身の女、桐島カンナも目を赤くして涙こらえている。
      引退公演の最後の曲は「センタースポット」。
      名実ともにすみれを帝都のスタアと人々に証明させたヒット曲。
      歌おう。
      皆のために。
      この日の為の皆への別れ歌を。
      すみれはそう思った。
      しかし、まばゆいスポットライトの中、すみれはこの歌を歌う事をためらった。
      彼女には思い残したことがあったからだ。
      
      あの人に一度も思いを告げていない。
      あの人に・・・・。
      すみれは憂い顔で立見席の方を見上げた。
      すみれの想い人はそこにいた。
      もぎり服の青年。
      穏やかな瞳の優しき青年。
      すみれはまっすぐに青年を見つめ、曲目を変えた。
      「それでは、聞いてくださいまし。これが私のあなたへのメッセージ・・・・」
      皆が「センタースポット」を期待していた。
      しかし、すみれが呟いた曲名は違うものだった。
      「夢一夜」
      客席からどよめきの声が響いた。
      バックで踊ろうとしていた帝劇のメンバーたちもたじろいでる。
      慌てふためくカンナをマリア・タチバナは制した。
      「すみれ・・・・。これがあなたの告白なのね。中尉への告白・・・」
      マリアは心の中で呟き、瞳を伏せた。
      黒子たちはスポットライトを淡いすみれ色の照明に変え、楽団たちもすみれの心に応えるようにギターだけの演奏にした。
      すみれは歌った。

      素肌に肩袖通しただけで
      色とりどりに脱ぎ散らかした
      床に広がる絹の海・・・・

      作詞家・三波降雪が仄かに思っていた芸者、花乃屋吉次のために書いた大衆歌。
      すみれはこの歌を聞いた当初、下賎な歌と鼻白んだ。
      しかし、聴いていくうちに歌の中の女が自分と重なり、こっそりレコードを買い、誰もいないときを見計らっては聴いていた。
      そしてほんの一筋涙を落とした。
      すみれにとってそんな思い出の歌だった。
      彼女の歌声は穏やかな波のように客席中に響いた。
      淡いスポットライトはスタアとしてではなく一人の女としての神崎すみれを浮かび上がらせた。
      歌が終わりに近づく・・・・。

      あなたを愛した儚さで
      私は一つ大人になった
      ああ夢一夜
      一夜限りで咲く夢に身を任す・・・・

      曲が終わり、その後に続く拍手と歓声ですみれは我に帰った。
      見上げると彼女の想い人は静かに拍手を贈っていた。
      思いが届いたのかどうかはわからない。
      しかし、伝えた。
      私の思いを。
      たとえ実らなくとも・・・・。
      幕が下り、すみれは舞台袖へ向かった。
      吹っ切れた。
      何もかも。
      思い残すことはない。
      さあ、歌おう。
      私が恋した人ではなく私に恋した人たちのために。
      皆が待ち望んでいたあの歌を。
      すみれは、後に続く仲間達に言った。
      「さあ、アンコールですわよ。歌いますわ、センタースポット」
      その顔にはもう迷いがなかった。


            

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